密室の恋2 1.恋の神様

髪を切ったばかりの自分の顔を眺める。

『柴崎コウみたいなパッツン前髪にしてください』

喉元まで出掛かってた台詞を急遽飲み込んで、『柴崎コウみたいな』を省略しちゃったのだが、まあまあ成功の部類に入ると思う。
長い間ストレートロングで、下手すりゃ半年髪をカットしてない状態が続いただけに、スタイリストさんもはさみを入れる直前、『切りますよ。いいですか?』と念を押して聞いてきた。
そして仕上がった鏡の中の自分の姿。確かに柴崎コウだった。遠目には。

切りたくなった理由は、正月に実家で見た雑誌の表紙のコウちゃんが可愛かったから。
衝動的にってやつだけど3月まで我慢していたの。だって年末に切ったばかりだから。もったいないじゃん? カラートリートメント込みで15000円するしね。

前髪切ると運命変わる。
って言わない?

飛行機恐怖症な私。
アトランタまでの飛行時間知って恐れおののいた。
12時間て。本当に行けるのだろうか?
試しに、飛行機で帰省を試みたものの、あえなく撃沈……。
しょっぱなから頭がぐわんぐわんしてゲロってしまったのだ。
しかも悪天候で機体は伊丹に引き返してしまう始末。
ヒーヒー言いながら実家に電話かけて迎えに来てもらった。
ああ、もうサイアク。
そのせいで鼻高々に自慢するはずだったアトランタ行きの話が、

『羽田〜出雲も無事に乗れん人間がアメリカだ〜? 無理無理、何時間かかると思っとるんだ? 具合が悪くなった所でどうするんだ? 空の上だぞ』
『そうよねえ。何かあって迎えに来いって言われても困るわあ』

何ですと!?
いきなり家族全員にダメだしされてしまったのだ。

おまけに。
会長=おじいちゃん、食事の世話=半分介護、なんて勝手に解釈してくれて。

『やっぱりあんたには無理無理。お年寄りの世話なんて。東京だから何とかなってるんでしょう。飛行機も乗れないのにアメリカなんて。オカさんとこみたいに旦那さんの転勤ならまだしも、あんた1人で行ってどうするの!? ちょっとばかし料理ほめられたからってのぼせ上がらないの。現実的にならなきゃだめよ』
『だから東京なんか行くなっつーとんじゃ。今年いっぱい働かせてもらって戻ってくればいい。これ以上心配かけさすな。戻ったらすぐに見合いじゃ、見合い!』

と全く予想外の反応に終わってしまった。

ちょ、娘の話聞けーー! オカさんてダレ!?

でもまあそうだよね。普通会長というとおじいちゃんだよね。
でもね、そんな要介護のおじいちゃんがアトランタの企業で役職につくかい?
その辺からしておかしいと思うんだけど。

真実を知ったら驚くだろうな。
名誉回復のためにも是非乗れるようにしないと。


デスクの上のミラーから目を離し、小さなノートPCでブログの編集作業に取り掛かる。ついに! 引っ越したばかりの新居は小さいながらも快適。フローリングにベッドとデスクとチェアを置き、床に座る生活に別れを告げた。本当はコンランショップで買いたかったけど妥協して揃えたフランフランのデスク&チェアー。

『ゆるカフェ』と(適当すぎる)タイトル変更してはや4ヶ月。
店長に発見されたのを反省して、そして会長に見られちゃったのがこっぱずかしくて、一時閉鎖しようかと思ったものの……。
開き直った!
もういいや、見られちゃっても。
皆のコメント、そっちのほうが大事だから。ええ。
そういうわけでタイトルだけ変えて今に至ってる。
中身は相変わらずの食べ物ブログだ。
最近ではえらそうにレシピを載せることもしばしば。実際自炊や主婦してる人から生の意見もらえてすごく助かってるの。

さて……。
未チェックのコメント筆頭は、またまた、というか、毎回マイペースを貫くコメントを下さる古参のみなみんさんだ。

『……ところで、ヒロくんとドレスを見に行ってきました!』

って。コメントの殆どにヒロくんネタがくっついてるの。

『あけましておめでとうございます〜〜。ヒロくんとお正月に東京大神宮に行ってきました〜。ご存知ですか?縁結びの神様で有名な神社です。こんな所にこんなご立派なお社があるんだぁって感動しました。すっごいひとでしたよ!みなさんやっぱり神様にお願いしちゃうんですね〜。ヒロくんたら〜奮発してお札を入れてました。ご利益があるといいな』

今年一発目の書き込みがこれ。その後彼氏と結婚が決まった彼女の文章は幸せが溢れていて、『いいなぁ……』とつい呟いてしまう。

そうしてもう1人。『いいなぁ』連発なのが同じく古参のプシィさん。

『みなみんさん、いいなあ〜。ドレス姿かわいくってヒロくんもデレデレでしょうね。私は当分かかりそうです。彼氏は最近痩せてしまって山ちゃんからバカリズムに激変しちゃいましたよ。差し入れにも気を遣います。こちらのヘルシーメニュー参考にさせてもらってます』

試験勉強中なんだよね。彼氏さん。
それにしてもバカリズムとは……。
ぷっ、ちょっとかわいいよね。
みんなけなげだ。思えば今までの私にはこれ系のときめきがなかったな。

『みなみんさんへ。ドレス何種類着られるのかな〜。彼氏とドレスを選ぶって行為が幸せそのものですね。都内の教会でしたっけ。よかったらどこかに画像アップしてくださいね!』

『プシィさんへ。バカリズムにへんし〜んですか。ちょっとつぼっちゃいました(あの雰囲気好き)。ヘルシーメニュー考えちゃいますよね。私もこのところご年配の方にお出しする機会が多くて』

と返信して、新規に記事を書く。

『もうすっかり春ですね〜。今日は半日ぶらぶらしてきました。目黒通りの家具屋さん中心に。あ、髪も切ったんですよ。主に前髪だけどね〜。目指せ柴崎コウ(笑)。ずっとワンレングスだったのでとても新鮮です。いいことあったらいいな。目黒も久しぶりに行ってみたけど見てたら欲しくなっちゃいました。一人用のソファを買いたいなと思っています。サイドテーブル置いてゆっくりひとりカフェ…もいいですよね』

保存していた部屋の画像入れて更新すると、コメントが入っていた。キョンママさん。主婦の方。

『バカリズム!うちの主人もそれっぽいかな。おのろけになりますが一緒にいてラク〜。BだけどBっぽくないの。話変わりますがBの人って両極端ですよね。良いか悪いか。主人の前に付き合ってた人もBなんだけど、も〜〜〜すごかった(笑)。主人に救われた気分です』


Bか。
そういえば。
元彼氏4人のうち3人がB型だったな。
この遭遇率ってすごいな、よく考えてみれば。
今頃気付くな?
付き合ってた男どもは、一言で表せばマイペース。
マイペースなんだけど、男らしい感じじゃないんだよね。
少年っぽいといえば聞こえはいいけど。ときめき皆無。
何で付き合ってたんだろう。
今思うと不思議だ。
友達の延長かな。
しかし学習能力ないな、私。普通1人で懲りるよね?
同じようなのを続けて選ぶとは。
見る目ないのね……。

BよりもABってどうなんだろうね。
完璧主義って以外に。血液型の話って自分からはしにくいな。

『キョンママさんへ。一緒にいてラクっていいなあ。私も最近年のせいか激しいのは疲れる(笑)。ずーっと黙って手をつないでいても飽きないようなゆるい相手がいいです。あ、でも草食系男子はパス』

一通りレスして、画面閉じて。
ネットし放題のワンルームマンションなので前より部屋でネットすることが多くなった。仕事場の素敵キッチンをさらせない代わりに部屋のあちこち撮って載せてるの。

もうワンショット入れるか、と思って見るとりらっくまの携帯ホルダーに挿した携帯が光ってる。見るとゆなからのメール着信だった。

『正月の写真彼に見せてたらさ、出雲大社で式挙げても良かったねってぬかすの。ハズイよねwww』

ぷっ。
どうでもいいのろけメールだ。
そうそう、参拝客に花嫁姿さらすことになるからね。ちょっとした芸能人気分が味わえるの。

『いいんじゃないの?エリカさまになった気分でやっちゃいなよ』

打つたびに携帯に付けたストラップが揺れる。
ゆなを含む地元の友達連中(男女混合チーム)と毎年恒例の出雲大社初詣ツアーに行ってきたのだが、ふと目に付いたこれを買ってみたのだ。
浮いた感じしない天然石の縁結びストラップ。9月の誕生石ラピスラズリがあしらってあるの。さすがにサファイアはなかった。でも落ち着いた色合いがお気に入り。

出雲大社も縁結びで有名だ。東京じゃあんまり知られてないかな。
毎年10月には全国の神様が出雲に集ってあの子とあの子をくっ付けようなどと話し合いをするんだって、小学生まで信じていた。つまり恋愛の神様の総本山なのだと。
それを特に意識していつになく丁寧に拝んできたの。


誰とは言いませんが、いいご縁がありますように……。
連れのヤローどもは論外ですからお間違えのないようお願いします、縁結びの神様……。



デスクの脇には同じくフランフランで買ったフォトスタンドが立ててある。
中のハンサムな男の人の写真と目があう。
彼の名は九条高広。会長の弟クン。
せめて私も人探しの手助けをしようと会長に申し出たらこの写真を渡された。
正面顔のどう見ても証明写真。まあ何とも味気のないこと。もうちょっと色んなスナップがあればイメージしやすいのに。男所帯ってそういう写真撮らんのか。
しかしさすがにあの人の弟だけあって、かっこいいこと!
似てるって感じじゃないけどね。さわやかな好青年という類だろうか。会長はお父さん似で弟はお母さん似なんだって。……どんだけ美男美女なんだよ、ご両親。
キムタクみたいなライトブラウンのライオンヘアー。身長は182cm。歳は28。
この写真は5年位前のものなので勝手に現在図を脳内修正して。毎晩のように眺めて顔を頭に叩き込んでいる。
この人口爆発シティで1人の人を見つけ出すなんて至難の業だ。新宿だけで毎日300万人以上行き交ってるらしいし。
そもそも高広クンがここに来るかどうかもわからない……。

でもね。
もし私が彼の立場だとしたら、定期的に肉親の様子探りに来ると思うんだ。仲良しだったお兄さんの姿をそっと確認しに。やっぱり心配だもの。

違うかな……?

万が一ってこともある。世の中何が起こるかわからないから。私がいい例だ。室長のお呼びがなければ今の待遇はなかったんだもの。まさに千載一遇、こんな四字熟語を遣うこともめったにないのに自分の人生でそんな目に遭うなんてね。
奇跡よ再び。早く見つかってほしい。
そうすれば会長も心置きなく渡米できるだろう。
あんな悲しい顔することもなくなる。
だから私の飛行機克服と同じくらい重要課題なの。

神様、九条高広クンにあわせてください。お願いします……。
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密室の恋2 2.会長のお誕生日

春めくにつれ、会長室もちょっと変わった。
社長や副社長が菓子折り片手にやってきては、新調したソファに座って小難しい業界話や釣り話をして帰っていくの。おっさんの社交場か……。
みんなニコニコ優しいから私も全然緊張しない。その一品に飲み物添えて出すだけでいいんだもの。楽勝だ。

今日はそれの進化形、取引先の社長さんを招いて商談交じりの会食だ。
いつもは釣り接待なのだが……。
つまり、釣り仲間やね。
社長さん、2月末奥さんと一緒に、『綾小路きみまろと大間でマグロを食べつくすツアー』とやらに行ってきたそうなのだが、2日目の朝、別口でマグロ釣り体験に単独で参加した所、足場が悪く転倒してしまい、何ヶ月も前に予約して楽しみしていたせっかくの体験ツアーは、外国人観光客の派手なリアクションをただ眺めるだけの寂しいものになってしまったそうな。
それ以来、奥様より釣り禁止令が出て接待釣りは廃止。ついでに夜の接待も動脈硬化その他色々心配なので控えて欲しいと。
今時の中高年事情を配慮し、初の会長室接待となったわけ。
私的にはそんなツアーがあること自体驚きだが……きみまろて。結構な人気振りらしい。

「ようこそ。さ、どうぞ」
「いやいや、どうも、お招きに上がりまして」

60過ぎのおじいちゃん。いつも釣りで一緒の副社長が出迎える。

料理を並べるのはこのために用意されたコンランショップの特注ダイニングテーブル(スゲー)。
桜の枝を生け花びらを散らし白い器とガラスの器を取り混ぜ、ライナー類は鶯色と桜色の春色コーディネート。と、ここまではショップ専属のスタイリストさんがされて帰られたので私は料理をするだけでいい。

メインディッシュは社長さんの持ち込み、大間の捕れたてマグロだ。

他の観光客が盛り上がる中、救助ヘリも呼んでもらえずひいひい痛がっていた社長さんを気の毒がって、『いいのがとれたよ』って船出してくれた漁師さんがわざわざ送ってきてくれたんだって。クール宅急便の生鮮時間便というやつで、朝とれたブツが飛行機に乗って午後には東京着。スゲー。

『市川さん、接待なんて……大丈夫?』

例によって室長に心配されたけど、年寄りメニューはお手の物だ。
まずはなまこのポン酢和えをカクテルグラスに入れて、つるっと召し上がっていただく。そして先付けもどき6品。
その間にメインの調理をば。
赤味のお刺身と、トロのあぶりと、にぎりを少々。焼き蛤、茶蕎麦、よもぎ豆腐、自家製松前漬け……と『凝った物は出すな』という会長のお達しに従い質素なながら飾り付けでごまかして。何たって器がいいからね! 1枚6000円位するの。
茶蕎麦はブログで教えてもらった一品をヒントにあれこれアレンジしたもの。のせる具は春の七草系の薬味と卵と実家から送られてきた蟹だ。


「ほう、このお茶は緑茶ではありませんな」

会食の最中、社長さんが傍で立っている私に湯飲みを向けた。

「……いわゆる健康茶です。もちろん緑茶もございますよ。ただいまお持ちいたします」

と返すと社長さんは手で制した。

「いやいや、さっぱりして刺身に合いますな。こちらで結構」
「私もよく頂くんですよ。もう3ヶ月くらい経ちますかな。それで最近、いいことがありましてね」

副社長が間に入る。

「何でしょう?」
「ほら、ここなんですが、見てください」

おもむろに右の額の髪をかきあげる。社長さんは覗き込んで、

「? 白髪の合間に黒いものが見えますな」
「そうなんです。何年振りでしょうか、黒い毛が生えてきたんですよ。発見したときはそれはもう……歓喜致しましてね。妻を呼んで大騒ぎでした」
「それがこの健康茶の効果だと?」
「ええ、おそらくね。他に何も変えちゃいないですから」

えーー? 初耳。
……実を言うと、健康茶は健康茶でも、どくだみ、すぎな、よもぎという厄介な畑の邪魔者、いわゆる畑版『余分3兄弟』を干して煎って煮出しただけなんだが。
普段会長がよく飲むから試しに出してみただけ。効能なんて考えたこともねーよ。
しかし、そんなことこの場で言えない。

「それはいいお話ですな。しかし育毛にはどうですかな。私はもう随分前から頭髪に縁がなくてね」

頭を擦る社長さん。なるほど、見事に産毛状態だ。

「ご自宅で飲まれてみてはいかがですかな? 私も瓶詰めにして頂いているのです」

ちょ、そんなたいそうなもんじゃね――…。
雑草ですよ、雑草。つまり元手はタダ。今も実家の軒先に山ほど干してある。東京でもあちこちに生えてますけど?

「ほう、よろしいですかな?」
「え、ええ。ご用意いたします」

微笑んでごまかす。
育毛? 養毛? そんな話聞いたことねー。
白髪はともかく育毛には効果ないと思うけどな。うちのお父さん、何十年も飲んでるけど寂しい頭してるもの。あるとしたらデトックスの方だろう。何せ強靭な雑草。何吸収してるかわかりゃしない。

「しかしさすがに会長はお若い。ふさふさして羨ましい限りです。そういえば……おいくつですかな?」
「……34です」

! 会長、お誕生日迎えられてたのね。34歳になっちゃってたんだ。教えてくれればいいのに。

「ほう、お若い。いいですなあ……」

ため息、な社長さん。遠い目で会長の御髪を眺める。くす。誰だって年取るんだからそれは仕方ないだろうに。何かかわいいな。

「最近とみにお若くなられて。そろそろご縁談ですかな?」
「いえいえ、そんな暇はありません」
「そうですな。確かに会長は最近お変わりになった。やっぱりこのお茶のせいじゃ……」

オイオイ、どうしてもそっちに話をもっていきたいのか、副社長。

「健康茶といえばB社の玄宗用命茶が爆発的に売れてましたな。尿酸値が劇的に下がるというフレコミでしたが。私も飲んでみましたが効果は?でした」
「あれは実は薬事法に触れるとか何とか言われてませんでしたかね……」

うーーん、一体これのどこが商談なんだ? という話はぼそぼそ続き、必須ミネラルが何とかかんとか、果てにマツモトキヨシの株価がうんぬんという話題にまで発展した。
退屈だろうって、緊張するだろうって――…? いいえ、ちっとも! このおじいちゃんたちのさざなみのような会話が耳に心地よくて、眺めは相変わらず抜群で、話しかけられた時しか喋らない会長は最近髪を染めたのかますますかっこよくって……緊張するどころか、ずーっとうっとりと立っていたのだった。


〆に抹茶を立てて和菓子を添えて。社長さんは(若返りの?)お茶っ葉や松前漬けを土産に帰っていかれた。
きれいに空になった皿を前にほっと胸をなでおろす私。
緊張感なしとはいえ、半分以上残されたり……じゃやっぱさえないものね。
しかし。
小さめのガラスのエッグスタンドに山盛りに盛ったわさびが綺麗に空になっているのには驚いた。おじいちゃんたち、わさびつけすぎじゃない? これだけは奮発して生の本わさびをおろして出してみたのだが。平らげる量じゃなかろう。まるでわさびがメインでまぐろが付け合せ、みたいな。これって健康上どうなの?

会長は特に表情も変えずコーヒーで一服。
自分の親ほどの社長さん相手じゃ話しにくいだろうな。
すっかり片付けた後、ねぎらいの言葉を掛けてみる。

「お疲れ様でした。会長」
「いや、1泊2日の接待がほんの数時間で済むのだからな。君こそお疲れ様。無理言って悪かったね」

楽勝ですけどね。カフェで働いてたときのこと思えば。

つい、目がいってしまう、おじいちゃん羨望の会長の御髪……。最近色が変わったと思うのは気のせいじゃないよね? こうして近くで見ると明らかに違う。深いブラウンの髪。前は真っ黒だった。

「……会長、いつ髪を染められたんですか? その色、いいですね」

本音で聞いてみた。焙煎したコーヒー豆のような色。いかにもいい香りがしそうだ。

「何もしてないよ。地色だ」

え? 地の色? 前は黒かったじゃん。

「ふ、今まで染めていたんだよ。白いものが目立つんでね」

エー、そうなの? 苦労……してたのかな。

「最近あまり気にならないからそのままさ。あれは鬱陶しいな。ひと月に一度は必ず染めに行かなきゃならん。」

羨ましいなこの色。私なんて15000円出して染めてカットしてるんですよ? 男の人って少々伸びても後ろに流しちゃえばいいんだ。
そう……髪も伸びた。
前はいかにもビジネスマンな切り揃えた黒髪だった。ミッチーみたいな。
それはそれでかっこよかったのだが、今のナチュラルな流しスタイル、一段と男前……。

「んーー、話に出てたが、あの茶のお陰かな?」
「そ、そんな」

ありえねーし。マジで聞いたことない。

「君、今日の夜空いてるか?」
「は、はい」
「食事に行こう。早く終われそうだから店にでも寄ってみるか。何か欲しい物があれば――…」
「は、はい。いえ、あ、ありがとうございます」

ご褒美か? やった――…。


会長、何だかご機嫌だ。


「会長、お誕生日過ぎていたんですね。知らなくて失礼しました」
「迎えたところで嬉しくないからな。年をとるだけだ」
「いつだったんですか?」
「今日だよ」

クールにさらっと言われて。私はびっくり。

「そ、そうだったんですか? 早く言って下さいよ。お、おめでとうございます」
「だから嬉しくないんだって」

キャー、お誕生日に私が奢ってもらうのってどうなのよ?

「何かお作りしましょうか」
「いや。気持ちだけで十分」
「じゃ、じゃあ明日にでも……」
「いいよ。今日の成果を頂いておくから。最高のプレゼントだ」

ドキ。キザな台詞がサマになるのはさすがだ。

3月23日。またひとつおじさんになってしまわれたのね。
8歳も上……。



会長のお誕生日なのに……。
青山のmiu miu直営店でお財布を買ってもらった。
前から欲しかった、長財布。
COACH買おうと思っていたんだけど、バッグを買ってもらって以来miu miuの財布も可愛いなと思い始めたの。
でもね、自分で買うにはちょっと高いんだな。
おねだりを狙ってたわけじゃないけど、ラッキー。

「そんなものでいいのか」

みたいな反応だけどね、会長は。
彼にしてみればカスみたいな額だろう。百億単位の商談がまとまったそのご褒美としては。

会社帰りのmiu miuは混み合っていて、春色のバッグや財布を次々手に取って見てる。女の人同士が一番多い。カップルや、外国人の女の人を連れた強面のおっさんもいて。
会長は……ひときわ目立つ。こうして外界に連れ出すとよくわかる。女の人の視線もちらほら受けて。
ああ、可愛くなりたいな、なんて自然と思う。
どうみても上司と部下、ご主人様と世話係だけどさ。
並んで釣り合うくらいになりたいの……。
柴崎コウなら誰もケチつけようがないよね。

食事は青山のフレンチとイタリアンが合体した創作料理系のお店だ。
創作料理とはいえ高そう……。
個室に通され、ゆっくり運ばれてくる料理を愉しむ。

「乾杯」

まずは祝杯。トスカーナのフレッシュワインだって。素敵。

「髪を切ったんだな」
「あ、はい」
「いいね。君はまだまだ若くて。何でもよく似合う」

そんな……。少しは可愛く映ってる? 気付いていたんだろうけど口にしてもらってやっぱり嬉しい。

料理も美味しい。さすが自家製のパンチェッタや生ハムだ。フォークがムチャクチャ進む。会長もこういうのはお好みなのよね。

「あ、あの、会長」

思い切って言うんだ。髪切ったことだし。

「私、その、飛行機に乗ると酔う体質でして……」

ドキドキしながら告げた。帰省の時とんだ目に遭ったこと。

「そうか、それは大変だったね」
「12時間て……。大丈夫でしょうか」

マジで死ぬんじゃないかというくらい私には大問題なのだが。

「寝てりゃどうってことないんだがね。困ったね」

出雲まで1時間少々……国内線でそれではかなりの重症だ……と会長は視線を宙に浮かべた。



帰りのタクシーで。
手を握っていた。
鳩山総理が美由紀夫人としてた指と指を絡めるアレ。
あまり話題にならないけどテレビで見て素敵だなと思っていたの。
まさか派遣先の一番偉い人とすることになるなんて夢にも思わないよね。
いつ頃からだろう、帰りの車内ではこうしてる。
いつも先に乗せられる私の左の手のひらに会長の右の手のひらが重なって……自然と指が絡まる。
熱くもなく冷たくもなく、私には丁度いい、あったかくて大きな手。
会長はやはりご機嫌だ。

「あの社長が残さず食べるとはね。はじめて見たよ。よく好みが分かったね」

え……。いえいえ、とんでもない。テレビや本の受け売りですわ。
母親が、みのもんたの番組なきあとたけしの健康番組にのめりこんで、色々送ってくるのだ。今日の蟹もそれ。間人蟹と言ってちょいと高級な松葉蟹だ。何とかって成分が体にいいからおじいちゃん会長に献上しろって。
……だからおじいちゃんじゃないっつーに。いつバラそうか。

「お優しいから気を遣ってくださったんでしょうね」

私が言うと会長はいやいやと首を横に振った。

「君にはそう見えるかい? かなりの食わせ者だよ。下で決定した取引要綱も彼の一存で取り消しになるんだ。副社長が苦労していたんだが、お互い釣りが趣味ということでしばらく船を出して接待してたのさ」

へえ、そうだったんだ。

「それがこんなにたやすく済むとは……。君のお陰だ」

だからあれのどこが商談? あんなけちけちメニューでいいならお安い御用だ。材料費知って驚くなよ。

「それなのに君は変わってるね。わざわざ安い給料にしろというのだから」

くすっと困った顔をされる。
そう。
結局私の給料は秘書さんたちとの兼ね合いも考慮して、手取り22〜23万ということにしてもらった。
それで十分なの。
ボーナス桁違いだし、もちろん正社員だし、材料費は別だし、いっぱいご褒美もらえるし……。

「我が社は一般社員にも業績連動型賞与を導入している。わかるかい? 君がどんなに遠慮しても社に貢献すればするほど給与はアップするんだよ」
「そ、それは……。営業社員さんとか、総合職の方対象なんじゃ……。私なんてただの食事係……」
「私の査定でどうにでもなる」

ぎゅっと指に力がこもる。
間近で見つめられて。低い声で囁かれて。それで私はまたいい気になる。

『よしよし、よくやったね、ご褒美をあげよう』

ご主人様になでなでされてくぅんくぅん甘え声出すワンコの気持ちがよく分かる。
ご主人様の満足そうな顔を見るのが何より幸せなのだ。
私、変なのかな。
でもね、それが心地よくってくらくらするの。

「助かっているんだよ、本当に。予定が少し早まるかもしれない」

霞んでいく頭の奥で何故かゆるいオサレ系BGMが流れる。
この人のテーマ曲であるかのように。
いつも上から目線のエラソーな人なのに何故……。
お洒落だからかな。
スーツにしても髪型にしても洗練されてて他の人と違う。

「ああ、頑張った甲斐があったな」

ほろ酔い気分も手伝って、最高に心地よい。
湯煎にかけられとろーんと溶けていくチョコみたいな、ゆるくて優しい絶妙のさじ加減。これがずっと続けばいいのに……。

「問題はフライトだな。だが乗れるようにしておきなさい。君がいないと困る」
「はい……」

そうして渡された1枚のカード。

「乗り慣れるしかない。これを使ってくれ」

乗り慣れろって。
用もないのに飛行機に乗ってこいって?
考え所が違うわ。
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密室の恋2 3.歌舞伎町boy

ピンクの春財布……。
なんて可愛いんだろう。
いかにもいい運を呼び込んできそうな、薄い桜の花びらのような淡い色。
思わずバッグと重ねて写真を撮った。かわい〜。春色倍増。
miu miuなんて全くノーマークだったな。伊勢丹にもあるのにね。

早速次の日から使いはじめる。

「会長、昨夜はありがとうございました」
「いや、どういたしまして」

相変わらずクールなお返事。
何かお返ししたいな……。
ネクタイとか? 外食?
お好み焼きリベンジとかどうかな。
お好み焼き……。いきなりハードル高いかな。匂いがついちゃうしな。

11時前に出て行かれる。今日はお昼いらないので私は午後まで暇。
……なのをいいことに、ネットし放題。あらゆる料理サイトを見て回るのがとにかく楽しくって。これも仕事と言えば仕事だ。何て美味しい仕事なんだ。

そしてブログ。ご年配向けホームパーティ風とタイトルつけた昨日分の記事にコメントがついていた。

『素敵〜。持込のトロあぶってちゃちゃっと出せるなんていい奥様ですね(笑)。このお皿もしやコンランのでは?さりげなく食器類いつも豪華ですよね』

『なるほど、セレブ様だけにおもてなしもあるのですね。お疲れ様でした。蟹入りお蕎麦美味しそう…。ズワイガニかな?お抹茶に和菓子って新鮮でいいですね。私もやってみよう』

『ご来客だったのですね。さすが美味しそうですね。よもぎ豆腐ってはじめてみました。どうやって作るんですか?ところでkofiさん、柴崎コウちゃんに なっちゃったんだ。かわいくって目力ありますよね。私も先日髪切ったんですが、どうされますかって聞かれて木村カエラでって言いましたよ。恥ずかしかっ た〜。でどうなったかはご想像にお任せします (笑)』

『すごい!一段と気合入ってますね。これだけの料理を並べるなんて私にはまだまだ。。。一生無理かも。。大きなテーブルですね。ダイニングテーブルって 180CMくらいでいいのかな?ヒロくんがでかい方がいいって…。キョンママさんは旦那様とらぶらぶっぽいですね。いいなぁ〜』

『またまたごめんなさい。みなみんさん、自分で言うのも何ですがらぶらぶですよ!正月に『カールじいさんの空飛ぶ家』観たのですが、私しょっぱなから号泣 しちゃったんですね〜。そしたら旦那が手を握ってくれて。ずっと握ってました(笑)旦那は本当は宇宙戦艦ヤマト観たかったらしいですけどね。年寄りでしょ w10歳離れてるの。串かつ食って手つないで帰りました♪』

10歳!? そうなんだ。どうりで。やっぱり落ち着いた人がいいよね。うんうん。

「串かつか」

それもいいな。
カウンター席で並んで食べたい。
会長最近メガネしてないから油の飛びはねも気にしなくていいよね。て、そこまで飛ばないか。


ネットでお店を検索してめぼしいところを携帯でチェックしながら一人うろつく。
夕方時の新宿。下見のつもりだったのが、いつのまにやら買出しもかねて。新品の財布をチョコチョコ出すのが嬉しいの。
会長に買ってもらったバッグは結構大きいので少々の物なら入る。
傷がついちゃうって後生大事にしていたのは最初だけで、一度満員電車に揺られてしまったものならすっかり普段着バッグと化してしまっている。
実家にもこれひとつで戻ったり。
悪友どもにえらい好評だったのよね。特にゆなに羨望のまなざしで見られた。

『そんなに給料上がったの?』

だと。正社員になった記念に自分で買った、ということにしちゃったからね。

駅で白バラコーヒーを買ってそれも詰め込む。
あれ以来うちの冷蔵庫に定番のごとく入っている。
新宿駅のスーパーで偶然見つけたときは思わずまじまじと手にとって見てしまった。
ちょっとカロリー高いけど、これでプリンやゼリー作ってもいけるの。
あとカルピスもうちの新定番。
ホットにしたり炭酸ソーダで割って飲んでる。

ところで。
さすが乗降客数世界一を誇る新宿駅。人がすごい多い。
特に歌舞伎町のある東側一体はこれからの時間帯がね……。
そんな所を携帯チラチラ見ながら歩いていたからかもしれない。
向こうから歩いてきたらしい人と結構激しく肩をぶつけてしまった。
わっ、と思った瞬間。バランス崩して、今度は急いで歩いてたらしい別の人と思い切りぶつかった。

「きゃ、ごめ……」

と口にした瞬間、私は見てしまったのだ。
その人の指に光るでかい指輪がバッグに当たるのを。
当たるだけならまだしも、ぴーーっと擦れたのだ。
私は思わず持ち上げた。
大切な大切なバッグに、ついに傷が。

「え〜〜! ちょっ!」

信じられない、シャーリングの所ならまだしも、一番目立つ上部のフラップの所にくっきりと傷がついちゃったのだ。

「ま、待って! そこのひとっ」

無意識で大声を出した。
背の高い男の人だ。

「待って! そこの、白い服の人っ」

立ち止まらないから叫んだ。

「ん?」

すごい勢いで走り寄って手を掴んだ。にっくき凶器ともいえるでかい指輪した手を。

「オレ?」

その人はやっとこっちを向いた。

「み、みてください、このバッ……」

目が合うなり、どきっとした。

――えっ?

毎日拝み倒してる写真の彼にそっくりだったのだ。

「えーーー?」

立ち尽くしちゃうよ。

「あ、ごめん、ぶつかっちゃって謝りもせず」
「そ、そ……」

私はあまりのことにびっくりして口をパクパクさせてただ指さしていた。
バッグを目の前に差し出して。

「あーー、ごめん、それか。申し訳ない」

彼はやっと理解したようで、やんわり手を引いた。

「ごめん、この指輪だな。危ないよね」
「いや、あの……」

―――九条高広くんですか?

その台詞が頭の中回ってるのに口が動かない。

「miu miuか。悪い、弁償するよ」

ドキドキしてきた。会長の弟かもしれない上に、ハンサムだ。
いや、それより何より。
声が――…。
上から浴びせられるこの声がすごく素敵なの。
一度聞いたら忘れられない声。
誰に似てるとか聞かれてもちょっと思いつかない。

「見せて――…」

バッグに手を出されて思わず引っ込めた。

「? 買って返せばいいんだろ? オレこれから仕事なんで君の名前とか教えてくれない? 携帯番号とか」
「そ、そんなっ。買って返すって。そんな問題じゃありませんっ」

素直に名前交換すればいいのに。
こんな非常時に貧乏人根性が打ち勝つ私って。

「何? ごめん、マジで急ぐんで。オレ、ここにいるから悪いけど来てよ。店だけど指名しなくていいからさ。『バッグの件で』って言って貰ったら分かるようにしとくから」
「え? ちょっ……」

その人は困った顔をしたかと思うとさーーっと足早に去っていった。
私に一枚の名刺を渡して。



いつの間にか部屋に戻っていた。
無残にもゆるいカーブの傷がついたバッグ。よく見ると金具の所も。
信じられないけどさっきのが現実だってこと物語ってる。
写真と名刺とバッグをチラチラ見てため息をついて。

「ホントに高広くんか〜? できすぎじゃない?」

『愛のトリマー 幹MIKI』

これ、ホストクラブ……。
どうりであの格好。
似合ってたけど、上から下まで白尽くめって。EXILEかよ。
高広―TAKAHIRO―ホスト系―マジモンのホスト。できすぎだろ。
良家のご子息がホストなんて。
顔も……。
あの時は似てると思ったけど、違うと言われれば違うような。
いつも眺める彼は似てるとしたら平岡祐太だ。
一方さっきの人は……。
背はもこみちのように高く、顔はもちょっとお水系。
DAIGO風味のもこみち? とにかく綺麗な顔だ。
そして声がものすごく素敵。
ほんのちょっと鼻にかかる、よく通る声。


「どうしよう、これ……」


どうしようったって前に進むしかないよね。
やはりここは肉親である会長に報告せねば。

翌朝そのつもりで出社した。

しかし。こういうときに限って早朝重役会議なんだよね。
おまけに長引いちゃって、私は会議室ですぐそこにいる会長見つつ、うずうずしていた。
そう、最近は重役会議の茶汲みもやってる。資料とミネラルウォーターとコップを並べるだけだが。室長と私の担当。前は秘書さん達交代でやってたらしい。
まあ、それはどうでもいいとして、ここに来てこんなにいらいらしたのははじめてだった。

『会長、弟さんっぽい人見かけたんですけど』

こう言えばいいよね?
でもホスト……。
会長は何て言うだろう。

やっと会議が終わって、会長室に戻られる。
私は後片付けがあるので少し遅れる。
部屋に戻ると、会長はいつものように席についてPC眺めていた。
チャンス! コーヒー出すついでに言えばいい。
急いで支度する。

結構部屋っぽくなった会長室。
ソファコーナーと、豪勢なダイニングコーナーと、昨日いつのまにか置いてあったマカロンのでかいのみたいなオットマンが3個。
モノはコンランショップで仕入れたらしいが全体的な雰囲気は青山のカッシーナにあるカトリーヌメミっぽい。
色を抑えたシックなホテル系インテリアは、ここオフィス? と誰もが思うだろう。

「会長、エスプレッソ、テーブルに置きますか?」

何て訊ねる選択肢も出来たわけだ。

「いや、こっちに持ってきて」

返事の先は前と変わらないのだが。

「あの……」

カップを置いて、目が合いそうになった瞬間、私は切り出した。

「実は……」
「会長!」

しかし。
何の嫌がらせかいつも静かな会長室に異質な声が響く。
めったにここに来ない秘書室の男性社員さんだ。

「何だ」
「すみません、会長、TIIL2016プロジェクトの件で」
「私に? すまんが、社長に回しておいてくれないか。それは社長の直轄チーム担当だ」
「あー、いえ、あのその」
「会長」

室長が後ろから顔を覗かせる。この空気。あまりよろしくない案件のようで。
私はすごすごと会長のそばを離れた。

「社長が海外出張でいらっしゃらないので」
「ああ、そうだったな。急ぎか?」
「それが……。申し上げにくいのですが。まずこちらをご覧下さい」
「……」

渡された資料を読む会長の顔が雲っていく。

「当初の出資比率と違うじゃないか」

「会長!」

また別の声が後ろから。

「申し訳ありません、若干の修正を認めていただきたく参上しました」

若い男の社員さん2人だ。

「申し遅れました、私はプロジェクト推進2課の水城と申します」
「同じく音無です」

ぺこっと頭を下げる。

「実は―――」

込み入った話になってきた。喋ってるのは最初の人だけだ。どうも黙ってる方のミスをかばっているように見える。
会長の怒った顔……。相手には悪いがかっこいいな。

「伝達ミスじゃないか。下手をすると訴えられるレベルだぞ。一体今いくつ裁判を抱えてると思ってるんだ」
「申し訳ありません」
「まあいい、もう降りてくれ。白本君、至急経産省の流通グループ課長に面会のアポをとって――…」
「お願いします! 私が責任をもってやり遂げます」

男性社員さんはひときわ声を張り上げる。

「何をだ」
「逆にチャンスだと思うんです。オリンピックが流れた後の最大の事業計画です。主導権を得て次世代エネ展と連動させたい、社長も当初そうおっしゃってました。どうか新案でやらせてください」
「社長が? 聞いてないが」
「最初のプランです。重役会議で却下されました」
「―――…では来週のプレゼンにおいて重役とT不動産の社長、副社長全員の賛同が得られる計画書を作成しなさい。出資に見合う成果を上げられる事業案を。社長には伝えないでおく」
「わかりました。全て修正したものを今週中に用意します。是非会長にお目通しをお願いします」

息を吐きながら頷く会長に礼をして2人は出て行った。

「……規模はともかく所詮は名古屋博のようなものだが。――…白本君、ロステックの枝元社長と連絡をとってくれないか。車も回してくれ」
「はい」

室長も出て行き、しーんとなる。

「あ、あの……」

弟のことだけでなくどんな話も非常に切り出しにくい雰囲気に。ちょっと〜。

「ふっ、また根回しか」

会長はじーっと書類を睨んでいた。

「……水城か。派遣上がりだそうだが、大したものだ。『気難しい会長』に罵倒されるの覚悟でわざわざ上がってくるのだからな」

派遣上がり……。男の人もいたんだね。

「ああいう人材を引き抜くとはうちの人事も見る目はあるようだ。金属資源部レアメタルユーラシアブロックB担当……鬼塚についてあの厄介な仲介業者を、モ ンゴルルートを安定させた功績は大きい。運も強いな。代理出席の会議で社長の目に留まり、新設部署のリーダーに抜擢、か。社長ならずとも将来が楽しみだ」

「……高広に少し似ていたな」

えっ。
独り言みたいなので返さないでいたけど、最後の台詞にドキッとした。

「ああ……。背格好が似ているな」

ちょ、早く言ってくれればもっとよく見たのに。会長ばっかり見てて見逃していた。弟に似てるって……そんなにかっこよかったか?

「無事でいればあんな感じなのだろうか。いかんな、つい思い出してしまう」
「会長……」

やっぱ早く見つけてあげなくちゃ。

「あの……」
「失礼します」

何か言おうとして、またまた遮られる。

「会長、枝元社長ですが、現在大阪にいらっしゃるそうです。午後帰京、15時よりハイアットで行われる臨海SORACITYレセプションに出席されます」
「ハイアット? そこのか」
「いえ。失礼しました。ハイアットリージェンシーです。社からは福島専務と産業流通部の担当者が出席する予定になっています」
「私が代わろう。連絡を取って変更してくれ」
「かしこまりました」
「車は? 少し出てくる」
「はい。エントランスに着けておりますわ」

「よし。……今日は戻れそうにないな。君はもう帰っていいよ。ご苦労様」

会長は室長もろとも出て行った。
しーーんとなる部屋。
帰っていいって。まだ昼前なんですけど。
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密室の恋2 4.孤独なトリマー

帰っていいって言われてすんなり帰る……。
わけにはいかないよね、アルバイトくんじゃあるまいし。
というわけで昼食後久々に下に降りて秘書室のお手伝いをする。
室長はいなくて、社長が出張中(で暇?)な社長秘書の吉永さんと並んで作業をする。
時折かかってくる社長あての電話の合間にキーボード打ってる感じな吉永さん。不意に話し始めた。

「……なんだかんだ言って面倒見いいのよね、会長」

今回のことだね。
室長から秘書室の全員に概要は伝わってるみたいだ。

計画のひとつが『誰かのミスで』大幅に見直さなきゃならなくなった

フォローに名を上げた社長のお気に入り君

を更にフォローするため、会長が出て行った

という所か?
あくまでも私の想像だが。

「さすが問題処理が抜群に早い。助かってるのよね、実際。アメリカにいらした頃のお知り合いが官庁の現場の中堅どころや他企業の要人でいらっしゃったりするから、会長が話をつけると一発で済んじゃったり、っていうパターンも多くて」
「そうなんですか」

よくわかんないし、適当に頷いておくだけだ。いつもの話……。

「実際、気配りとかすごいと思う。社長と副社長がぎすぎすしていたのだって会長が間に入って無言でとりなしてくれたようなものだしね」

えーー? 社長と副社長ってそんな感じだったの?
想像できないんですけど。
いつもにこにこして優しいおっさんだけどな。

「本当は会長職なんて閑職なのよ。あの人の任務は合併関係だけ。専用部署作って承認とったり手続きが面倒だし、急を要する事態だったからお父様の後を引き 継いで会長に就任。……されたのはいいけど、実際はどんどんご負担が増えちゃって。大変だろうって思うからこっちも気を遣うじゃない? でもね、拒絶され ちゃってたのよ、ぜーーんぶ。『余計な気遣いはいらない』って、ずっと……」
「へえ……」

間抜けな相槌を繰り返す私。
何となくわかるな。
気難しいって言っちゃえばそうなんだけどさ。

「誰の言葉も届かなくて。お茶もコーヒーも飲んでもらえなくて。最初の頃は前の室長さんが時々来てくれて、まだそこまでピリピリした感じじゃなかった。ここ1、2年かなあ……。口にしてみるとそんな長い間じゃないわね。とにかく室長がまいっちゃってね」

顔をしかめて笑みを浮かべて。
その表情でもって推して図るべしというもの。
つい数ヶ月前までの会長とこの人たちの関係。

「別にね、会長のお人柄がどうこう言うわけではないのよ」
「はあ……」

「オレ、会長のこと嫌いとか、そういうのじゃないっすよ」

向こうのデスクで作業していた男の社員さんが顔を上げた。
吉永さんの言葉に添えるように。
聞いててつい口出さずにいられなくなって?

「オレも。何を言うか一瞬戸惑ってる所を先に怒られちゃう、っていうか。いつもそんな感じなんすよ。むしろ尊敬してますよ。何やっても早いし」
「うんうん。会長は悪い人じゃないっすよ。ただなあ……」

ちょ、相変わらずのこの若者言葉。
秘書室社員にしてそんな口調なんかい。
こういうのこそ会長がいたら怒られそうだが。

「S物産さえねえ」
「S物産がなあ……」

吉永さんと他の社員さんの声が重なった。

「ライバル企業だってのは知っていたけど、なんつーか、そこまでするかってレベル? 因縁めいてませんか。会長お気の毒……」
「オレ、新宿のあっち側行くの激減したんすよ。あん時はさあ、何だかビル見るのも嫌って感じだった」

去年会長の口から聞いたS物産。
やっぱり最大の難点だったのだろうか。

「あれさえなきゃ会長も今頃はアトランタかNYか。キッツイ仕事せずに済んだだろうになあ」
「別の人格だったわね。ここの皆……腫れ物を触るみたいだった」
「ああ、腫れ物! ついこの前までそうだったっすね〜。会長に何を出したら喜んでもらえるか……。究極の課題だったな。マジ室長が一番滅入っちゃってさ。 慰めるわけじゃないけどー、『コーヒー入れるマシンもあるし豆もあるし、そこのスタバの店員さんにでも来てもらいますかーー』って、やけくそでそんな話し てたんだよ。そうしたら次の日こいつがエレベーターで君のこと話してるの聞いてきてさ。速攻で室長が調べて、ここへ来てもらったんだ」
「うんうん。何も考えずに皆、『それだ!』って。くく、今思うと笑い話だな」

そうなのか……。
スタバの店員て。やっぱり茶汲み『のみ』の採用だったんかい!
何てまあ贅沢な職場。いやいや、この人たちには死活問題だったんだね。

「市川さんに来てもらってホントによかったー。それでも最初は難儀するだろうって心配してたけど。プロってやっぱ違うんだなー。会長の表情が違うよ」
「前はあんな風だったんだよな。若返られたよ」
「誰かが、『北風と太陽』みたいだって言ったらさ、こいつが、それよか『アルプスの少女ハイジ』だろうって」

えっ? ハイジ?

「うんうん。だしょ?」
「まーなー。ニュアンスは合ってるよな。市川さんは知らないかな。ハイジ」

知ってますよ〜。
アニメは見たことないけど。
私がハイジ?
何その例え。
会長が……オンジかーー?

「うくっ」

私は思わず噴出した。
口押さえていたのに。
見事ツボにはまってしまったのか、ククククと腹の底から湧き上がる気味の悪い笑いが止まらない。

「ちょ、やめてくださいよっ」

そう言ったつもりだったが、多分変な発音にしかならなかったろう。
それにつられちゃったのか部屋に笑い声が響いた。

「やだー、やっぱ微妙じゃない? ハイジは逆でしょ、オンジがハイジの世話してあげるんじゃないの」
「ですかー? 村の連中とオンジが仲良くなってくのが見所じゃなかったでしたっけ?」
「見所はクララの感動シーンよ!」
「あ、クララがいたっけな。まーまー、ニュアンスは一緒っすよ。ハイジが来てオンジもフランクフルトのおっさんもロッテンマイヤーさんも皆人が変わったんですよ?」
「だっけー? よく覚えてないわ。にしても会長がオンジ? お気の毒よ、あんなにお若いのに!!」
「すいませんっす」
「やめろよー」
「会長が聞いたらむっとしちゃいますよ〜〜」

ここホントに秘書室? みたいに当分笑い転げて、私はつい会長のことをオンジと言い間違えそうになった。

「……ああ、可笑しい。とにかく〜、会長が元に戻られて良かったって話なの。 ねーねー、ところでさ、今日、ケーキ作ってくれるよね?」
「え?」

すかさず最後にリクエストが。
目で同調する皆の衆。
何も知らない室長が戻ってきて……。頭数も揃った所で私は久々に給湯室に立った。



そうか私はハイジとみなされていたのね。
新たな見解を知り、たらふく食って楽しく終業〜。
したのはよいが。
ロッカーのバッグを見るなりどーーんと心が沈んだ。
この傷。
泣ける……。会長がNYで買ってきてくれた(出張はアトランタではなくNY)、記念すべきプレゼント第一号なのに。
どうしよう、これ……。
しゃがんで例の名刺見てしばし固まってしまった。

「あら、どうしちゃったの、それ」

近距離の声にびくっとして見ると吉永さんが覗き込んでいた。
視線の先はもちろんバッグ。
目をぱちくりしてる。

「……駅の近くで人とぶつかって。その時につけられちゃったんです〜。何か歌舞伎町の人みたいなんですけど〜〜」

名刺を見せて説明をした。

「そうなんだ〜。ホスト? 何だか律儀ね〜。弁償するって?」
「はあ。お急ぎだったみたいで店に来てくれって。でも私そういう所行ったことなくって。店に入らなくても呼んでもらってくれって言われたんですけど……」
「ふーーん」

吉永さんはしげしげとバッグを眺めたのち言った。

「付いていってあげようか? 早い方がいいでしょう?」
「え?」



新宿ってやっぱ日本有数の歓楽街よね。
マツキヨ過ぎるとドキドキする。
実ははじめてな歌舞伎町。テレビでは良く見るけれど。
やっぱひとりじゃ無理無理。今日はこの人がいるから来れたようなものだ。
全然物怖じしない吉永さん。

「ね、ここ、メンキャバじゃない?」

愛のトリマーというどぎついネーミングも自然に感じちゃう、歓楽街ど真ん中のその店の前で平然と言ってのける。

「メンキャバ?」

不思議な顔するだけの私の答えなんてはなから求めてないのだろう。

「入ってみない? そんなに高くつかない筈よ」
「えっ」



『いらっしゃいませ!』ってドラマで見るようなイケメンホストがずらーーっと並んでご主人様挨拶されるのかと思ったらそれほどでもなく、あっという間に席に通される。
ドキドキしながら見回す。小奇麗なアイボリー調の明るい店内だ。

「ちょ、吉永さん……」

早速『ご指名』なんてしちゃって。若い子2人も。
じゃんじゃんオーダー入れてる。
私は、「あ、あの、MIKIさんいらっしゃいますか?」声出すのがやっとだった。
愛想よく返事貰ったのはいいが、彼はすぐに来なかった。ジュースすすりながら見回すと彼っぽい人が遠い角の席で誰かの相手をしているのが見えた。
ドキッとして再認識した。
やっぱりかっこいい。
遠目でもそう思うのだから本物の美形だ。

「あー、ごめんね、待たせちゃって」

あのウルトラ美麗ボイス伴って彼はやってきた。ドキドキする。
隣に座って、ソファが揺れた。ああ、ダメ。免疫ないから。
美形の横に座るのなんて会長がはじめてというレベルの私だ。震えさえおこるっつーの。

「わざわざ来てくれたんだー。はじめて、かな?」

ぶんぶん首を縦に振る。

「だよねー。心配しなくていいよ、うちはホストクラブとは違うからね」
「あなたが例の人? かっこいいじゃない」

助かったー。吉永さんがうまいこと言葉をはさんでくれる。
吉永さんて……慣れてるのかな。少なくとも初めてじゃないみたい。さっき、メンキャバって言ってたっけ? 何それ。
吉永さんが隣の彼と喋っているうちに少し気が落ち着いてきた。

「あ、あのー、私、どうすれば」

バッグのことを言ったつもり。

「ああ、バッグ預かってもいいかな」

傍らのバッグを見て彼が言う。疑うわけじゃないけど会長と行くリッチなお店以外では大抵クロークに預けないの。万が一何かあったら嫌だから。と、大事にしてるようで普段コーヒー牛乳やら小麦粉やら入れ放題だが。まあそんなもんだ。とにかくそばに置いておきたいの。

「は、い」
「荷物入れ替えてもらえる? 何か持ってくるわ」

さっと立ち上がってどこかへ消える。
彼が店内を抜ける間に複数のテーブルよりお声がかかる。
それをまた感じよくキャッチして返して。
人気あるんだな。もしかして1番人気とかそういうの?

「いい感じじゃない。バッグを預けてどうするの?」
「え? いや、あの、しゅ、修理っていうか」
「えー? 弁償してもらうんじゃなくって?」
「へ、へんですか?」

私がそう望んだんだが。
だって会長に買ってもらったバッグ。大切にしたいじゃない。

「修理ってやってるのかな。伊勢丹だよね?」
「は、はあ」

よく知らないけど。
彼は戻ってきた。
その伊勢丹の派手なチェックの袋を持って。

「これでもいいかな」

話は反れるが伊勢丹の紙袋って地方のなじみのない人間にはデパートのそれに見えないよね? 最近は見慣れたが。
彼が持ってきたのは紙製じゃなくて布製だった。布製もあるんだ。エコバッグかな。まあそんなことはどうでもいいが。

「じゃ、またあとでね」

彼は私たちの席には座らずによそのテーブルに着いた。思わず目で追ってるとそこのお客さんにじろっと睨みつけられた。キャバ嬢系派手なメークの子。コワ。やっぱり人気あるのね。かっこいいもんね。
それはさておき。
彼は高広くんなのか?
何となく。
何となく……だけど、隣に座った感じが会長っぽいような。
ホストにしては品がいいというか。
当てにならないか。
何せ美形遭遇率限りなく0に近い私だし。
悶々として大して食の進まない私と対照的に吉永さんは盛り上がっていた。
この若い子たち気に入ったのかな。
結構オーダーしてるけど値段どのくらいなんだろう。
そういえばこういう所ってバカ高いんじゃないの?

今更ながら不安になってきた頃、彼が再び戻ってきた。

「ごめん、何度も。君の携帯番号教えてもらえるかな」

さっと携帯出して言われる。
何の疑いもなく携帯を差し出した私。思えばぶつかった際にこうしておけば何もここに来る必要はなかったわけだが。まあそれはおいといて、彼は手馴れた感じで赤外線ピピピをはじめた。私も合わせる。

「市川香苗さんね。フルネーム貰ってよかったのかな」

言われてはじめて『あっ』と思う。赤面するがもう遅い。

「ええ……」

チラッと見ると当然私のにも彼の名前その他登録されちゃってるわけで。

『不破了』

新規登録されたその名前を確認してドキンとした。
違う……。
まあ、そうか。そうだよね。

「ふ、ふわさん? 不破さんこそ、いいんですか? 本名、ですよね?」

ぶりっこな言い方をして密かな動揺をごまかした。
彼はにこっと笑って「もちろん」と言った。

「仕上がり次第連絡するわ。今日は悪いけどそれで我慢して」

いやいや、本来私はこういうズタ袋系……。
miu miuのお財布がちょいと哀れだが。
よく考えればこの荷物の中で一番価値があるのって会長から預かってるカード2枚かもね。いや間違いなくそう。
食料その他雑費用に渡されたのと例の飛行機乗り回し用。
特定セレブ用なのだか知らないが見たことないカードだ。限度額なんてあるのかあればどの位なのか想像すらできん不気味なカード。
飛行機の方は置いといて、これって会社の経費にちゃんと回されてるんだろうか?
何だかそうじゃない気が。
そんなことを帰り道歩きながら考えていた。幡ヶ谷だからすぐ電車降りて吉永さんと別れたの。
結局1万オーバーだったらしいが、『安いから私が出すわ』と言うのを強引に折半してもらった。
貧乏性のくせに、私。
伊勢丹柄がちょっと恥ずかしい。
そして彼の本名を知ってがっくり。
夜風がまだ冷たい、そろそろ桜が目立ち始めた夜だった。
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密室の恋2 5.王様と王子様

何だかすっきりしない朝。
ケータイの不破了という名前をガン見して、首をかしげた。
芸名みたいに思うのは気のせい?
一字足せばふかわりょう……。
それにこの『了』っていう字。
終了とか完了の了だよね?
そんな字、子供の名前につけるかな?
ごくごく素朴な疑問だが。
了一、了介……。あるっちゃあるか。
でも。

思い切れない私はやはり会長に判断してもらおうと、台詞まで考えていた。

『会長、弟さんに似た人を見たんですけど、一緒に行ってもらえませんか?』

ドキドキしながらドアを開けて。
いつも私より早い会長は既にそこにいた。
見るなりあれ? と思った。
久しぶりに眼鏡をかけたお姿だったのだ。

「おはようございます」
「おはよう」

眼鏡に挨拶してるみたいに思わずじーと見つめてしまう。

何故復活?
いちいち反応してる私って中学生か。
いや、反応しない方がどうかしてる。
前とは違う薄いシルバーフレームの眼鏡。よくお似合いで!
メガネフェチでもないのに目覚めてしまいそうじゃないですか。
雰囲気だって違う。
ワントーン明るいスーツだからか。
ライトグレーの三つ揃え。
何となく不機嫌そうに見えるのは気のせいか。
昨日の外回り、ひょっとして長引いちゃったのかな?

言うの忘れて見つめてるもんだから変な顔される。

「何だ? 何か言いたいことがあるのか」
「はっ、あの」
「……言いにくいことか? 君が私に言えないこととは何だろうな」

そんな言い方されると余計言いにくいじゃないかー。
『かっこいいっすね♪』なんておちゃらけようものなら睨まれちゃいそう。
――マジでかっこいいんですけど。
前の黒髪眼鏡スタイルとはまた違う。
袖口からちらちら覗く時計はオーデマピゲのピアノの鍵盤のヤツですよ。
ベーシックなスタイルの中、最も目立つのがちら見せの個性的な時計。
スタイリストがついてるんじゃないの? と思うほどのキメようだ。

「金の話か? 君は妙に遠慮するからな」
「い、いえ」

お言葉ですが。
赤の他人の部下にカードをぽんと渡すあなたの方がおかしいのですよ。

「私も君に話があるんだが。先に言わせて貰うよ」

ドキ。とするがそれはただの連絡事項だった。

「1時過ぎ、緑川が来るから何か出してやってくれ。軽食で結構だ」

緑川さん!
おっさんはおっさんでも若い年代のおっさんだね。
久しぶり〜。

「君と話がしたいそうだ。髪は結わなくていいよ」

はっとする。
というのは私はロングヘアーなので一応勤務中は結うなり結ぶなりしてるのだが、来客があるとあらかじめ分かってる日は編み込みお団子ヘアーにしてる。中国娘みたいに高い位置じゃなくて低い位置で両サイドにね。時間なんてたっぷりあるからいつも挨拶後で十分なんだけど。
今日はそれするなと。
会長って、見てないようで見てるんだよね。

「昼食もそれに合わせてくれ。それまで飲み物以外はいらない」
「はい」

結局言えなかったじゃないかー。
食事いらないって、やっぱり昨夜遅くなったのかな。
今晩会食の予定入ってるが。
明日は泊りがけ接待ゴルフ……。

何となく不安を覚えた私はごくごく胃に優しげなメニューにしてみた。

野菜とチキンをのせた薄〜いフラットブレッドに付け合せは豆腐と豆のディップ。マスタードをきかせたあっさりめのソースをかけて。海藻と人参のスープ。手づくりハニージンジャーエール。チキンはヨーグルトでやわらかく仕上げた。

約束時間の少し前。
緑川さんは部屋に入るなり「おお」と声を上げた。

「いいじゃん〜。部屋らしくなったなあ。ナル、一家の主っぽいな」

この人限定、随分可愛らしく聞こえる愛称で呼ばれる会長はそれには答えず表情だけ崩してテーブルに着いた。

「市川さん、こんにちは。いつもすみませんね、ご馳走になります」

明るいけれど品のある明るさ。さすがお金持ちのお坊ちゃんよね。
ここに来るのはそういう人ばかりなので本当に助かる。
私は秘書室の人たちにありがたがられてるみたいだけれど、それは私も同じですよ!
あの人たちは、カフェの裏側がどんなだか知らないだろう。
毎日のランチタイムの戦場状態にはじまり、プチパーティや披露宴二次会なんかの貸切も結構多かったが、そういうお客様のまー、わがままなこと!
にわか保育士となってギャン泣きのおこちゃまのお世話したり、明らかに浮いてるおっさんが暴れだしたり、カラオケボックスの店員と化したり、色んなことがあったな。
薄給でそれを強いられるのだから体調だって崩しますって。
それに比べればここは天国だ。
ご主人様はかっこいいし、何でも食らうし、お客様はそのご主人様厳選のvipしかやって来ないし。何故か貧相なものほど喜ばれるという変な舌持ちだし。
予算はこれまたドラえもんの4次元ポケットかっつーほどザルだし。

「ますますいい感じになったな。ナルの趣味だろ、これ」
「……ラナに会ったんだよ」
「ラナ? ラナ・ジーンか」
「ああ。EHDのMDだそうだ」
「へえ〜。今東京に?」
「そこのホテルの改装をするらしい」
「ほ〜。それでここも?」
「ふ、そういう話になってたよ。エレベーターで話しただけなんだが」
「出世したなあ」
「いや、そうとも言えんらしい。福岡と、大阪も回って、その後大口が入っていない。フリーの方が楽だったと嘆いていた」
「どこも厳しいなあ」

そうは見えんが、この人も一応アメリカ時代の同僚らしき人なのよね。
当然知り合いも日本人だけじゃないわけで。
こういう日常離れした会話を聞けるのも何かゆったりしていいよね。
しかし聞けば聞くほどザルだなあ、会長、大丈夫なのか?
言い方からして会社の経費じゃないっぽいが……。

緑川さんは食後一服した後キッチンを見せてくれと言ってきた。
ドアを開けるなりまたまた超肯定的な反応。

「ひょひょ〜。いいじゃん、いいじゃん、新婚さんのキッチンだねえ」
「くす。そう見えますか? 緑川さん、願望があるんじゃないですか」
「いやぁ、逆にこういうの見せられて願望が生まれるんだよ」

カウンターと窓際にずらっと並んだハーブ類のポットや花を挿したグラスをにこにこしながら見て回る。何だか学校の先生みたい。

「順調に育ってるって感じだねえ。ナルにもやっと春が来たんだな」

ちょ。だから言い過ぎだろうに。確かに『擬似』新婚生活ではあるけどね。

「まだまだ置けるね。何でも言って買ってもらいなよ」
「まさかー。一応会社ですよ、ここ」
「いいんだよ。ナルは甘えて欲しいのさ」

マジで赤くなるじゃないか。そういうのはお嫁さんになる人に言って。
今の所会長は結婚する気ないみたいだけど。
あれ程かっこいいのにもったいない話ではある。

「色々あったもんなあ。ナルにこそ幸せになって欲しいよ、オレは!」

意味深に窓の外を見つめる緑川さんを見てふと思った。

この人、もしかして、高広くんのこと知ってる?
もしそうなら。
会長よりこの人の方が言いやすそう。

「あ、あの……」
「ん?」
「緑川さんて、会長の弟さん、ご存知なんですか?」
「高広か? うん、知ってるよ」

やっぱり!

「それで今、どこにいるかわからないって……」
「ああ、そうだね。残念だけど。ナルが話したのかな」
「はい」
「君には結構話してるんだね。もしかして、そのきっかけになった事件のことも?」

私は頷いた。

「そっか」

緑川さんは穏やかに微笑んだ。

「それで、写真見せてもらって、よく似た人見たんですよね、新宿で」
「え?」
「その、歌舞伎町なんですけど。ホストさんなの……」

言ってるそばから恥ずかしくなって声が小さくなる。

「香苗ちゃん!」

緑川さんはいきなり呼び名を変え、私の両肩をがしっと掴んだ。

「君は何ていい人なんだ! そこまで考えてくれてるのか、ナルのこと。オレは感動した!」

目がうるうるしてないか?
いや、駅でぶつかっただけなんですけど。
確かに店に会いに行きはしたが。
吉永さんに半分払ってもらって。

「いいんだよ、君はそこまでしなくても! 親父さんが手を尽くしてる筈だ」
「でも……よく似てたんで」
「オレも何度か高広っぽいヤツ東京で見かけたよ」
「えっ、そうなんですか」
「ああ。ナルは王様タイプだが高広はモロ王子様キャラだからな。似たヤツはホストにいそうだね」

プ、王様!? 確かにそうかも。偉そうと言うか生まれながらの風格だよね、あれは。

「でもなあ、顔はいいが、ナルより変わってるかもしれないな。九条兄弟は何から何まで正反対でさ。クールなナルに対して高広は全くの自由人。明るくてとっ ちらかった性格だよ。おふくろさんにそっくりらしい。スーツ着るのが大嫌いで女に全然興味ないんだ。あ、だからといってゲイの類じゃないよ。かっこいいん だが、女を寄せ付けないオーラを放ってるんだ」

へえ〜。
じゃ、違うかな。
あの人、すごい人気あったよ?
にこにこして、慣れていたし。スーツも着てたな。EXILEスーツだが。

「会長も女性を近づけない感じですよね?」

ふと、疑問を抱いて聞いてみる。

「ああ、今はね。昔はそれなりにいたよ。ていうか、仕事できてあの外見だからさ、人が寄ってこないわけないんだ」

そうなんだ。
まあ、かっこいいから……。

「あくまでも昔の話だよ。ナルはあの通り典型的なAB型で中々理解されなくてさ。気を回しすぎて逆に冷たく取られちゃうんだ。それでもめるの、しょっちゅうね。オレは免疫あるからどうってことないけど」
「免疫?」
「石を投げればABに当たるような家で育ったからね」

えー。それはすごいな。私のB型男遭遇率に勝るかも。

「根はいいやつなんだよ。やっとそこを理解してくれる子に出会ったんだな。オレは嬉しい! 自分のことよりも嬉しいぞ!」

またがしっと肩をつかまれる。

「ああ、成明、苦労した甲斐があったなあ。やべえ、マジで涙出てきた」

肩震わせちゃって……。
私はそっと離れて常備している蒸しタオルを差し出した。

「はい。ご自慢の眼鏡が汚れちゃいますよ」
「気が利くなあ。ありがと」

緑川さんは眼鏡を外しそれを顔に当てる。

「いい匂いがする」
「香りを忍ばせているんですよ。お店では当たり前のことです」
「そっかー。ああ、いいなあ、オレも結婚したくなってきちゃった! 婚活パーティ申し込んでみようか」

だからー。ぶっ飛び過ぎだって。

「取り乱しちゃってすまん。オレはナルの歴代の彼女見てきてるから感慨もひとしおなんだ」

歴代って。そんなにもてたんかい。
ひょっとしてアメリカ時代=会長のモテ期?
誰もンなこと言ってなかったぞ〜〜?

「あー、さっぱりした。香苗ちゃん、今後もナルのことよろしく頼みますわ。香苗ちゃんの支えが何より力になると思うから」
「はいはい」

くすくす笑って受け流した。
そんなんじゃないんだけどなー。
もう何言っても無駄か。

「ありがとうございました。弟さんのお話と会長のモテ話」
「あ、誤解与えちゃったかな? 過去は過去だよ。ナルはオンナオンナしたタイプはダメなんだ。オレははっきりわかったよ! 遠慮なんかしてないで思いっきり甘えてやってくれ。それが言いたかったんだ!」

オイ、褒めてるのかけなしてるのかわからないぞ〜。
悪かったな〜、女女してなくって……。



来客去った後、お片づけをしてると妙な気分になる。
いつの間にかふんふん口ずさんでいる自分に気付いて。
結婚してるみたい……。
はっとして止める。
そこらへんはわきまえているつもり。
自分を見失わないよう、のめり込まないよう。

黙って書斎で作業してる旦那様。
な役の会長はやっぱりどこかいつもと違う。
思いきって聞いてみた。

「会長、体調がすぐれませんか?」
「? 何故」
「今晩も会食ですよね。明日はゴルフで朝早いし」
「ああ、昨夜の話か。予定外だったからね。君にそう見えるのなら私はもう年だということだな」
「そんな」

そういう言い方されると気になるじゃないか〜。

「眼鏡をされているの久しぶりですよね」
「これか。目がちかちかするんだ。今日は天気が良すぎる」

じゃ、遮光レンズ?
ゴルフ用のかな。
何だか辛そう。
辛そうだけどそれが素敵に見えてしまう私って……変?
素敵な眼鏡姿。
そんな理由じゃなきゃ毎日でも見たいところだが。


それから水城さんが上がってきたりして時間は過ぎた。
終業間際、何か飲み物をと言われて、微炭酸のミネラルウォーターにはちみつをたらしライムを搾って氷浮かべて持って行った。

それを2杯飲み干して、

「飲み過ぎたかな」

額に手を当てはあー、と短く息を吐かれる。

「ドクターにお薬頂いてきましょうか?」

私は言った。飲んですぐ効くわけじゃないけどね。

「いや、いいよ。もう出なきゃならん。ついでに寄っていこう」
「じゃ、連絡入れときますね。先生お帰りになってたらいけないんで」

医務室につないで。係りの人にちょっと驚かれたけど、何なんだ。

「珍しいですね。会長がそんな飲み方されるなんて。どちらのお店に行かれたんですか?」

「君とは行けない店だ」

ドキーン。大人の回答。
一体どんな店だー。
ドキドキして、ドアの手前で足が止まってしまった。「い、行ってらっしゃいませ」そこでお見送り。医務室までついて行くつもりだったのに……。



どうよ、あの色気。
美人が具合悪そうにしてると余計美人に見えるって言うけど、それって女の人だけじゃないんだね。
思い出すだけでドキドキするわ。
日本一麗しいオンジだ。

うとうとして目が覚めたら朝だった。
シャワー浴びようと小さな部屋の玄関入ってすぐの場所にあるシャワールームに入る。
この部屋に決めた一番の理由がココだ。
文字通りシャワールームでバスタブはない。
不動産屋さんで間取り見せてもらった時は想像できなかったが、『現場ご覧になると決定率高いんですよ。女性の方は特にね』なんて言われ、実際その通りになった。
とにかく可愛いの!
壁と床が白いタイルになるだけでこんなに素敵なの? って驚いた。
イケアや無印のモデルルームコーナーにありそうなシンプルさ。
トイレも洗面台もゴージャスな仕様じゃない。シャワーヘッドは固定式のプールにあるヤツみたいに素っ気無いのにそれが逆にいい雰囲気をかもし出して。
廊下に面した壁に小さな換気扇がついていて使った後回しておけば水滴が消えからっとしてるの。タイルだけはちょっと高級なのかな。つるつるした陶器製のヤツじゃない。担当のお兄さんも『アレと違ってすぐ乾きますよ』って言ってた。
よくある丸い浴室灯もかわゆく見える。
実際はせっまいのにね。

仕上がりにいち髪のマスクしていい匂いが部屋に立ち込める。
狭い部屋ってこういうの早いよね。
いい気分でごろごろしてるとあの派手な伊勢丹バッグに目が留まった。
何だかちょこんと立っててかわゆく見えたのでパシャとカメラに納める。
それをブログに使った。
前撮っていたバッグの画像と並べて『before→after』とタイトルつけて。

『こんにちは!東京は桜もうちょいですね。実はお気に入りのバッグがかわいそうな目に遭っちゃいました。今お直しに出しています。伊勢丹袋は深い意味はありませんが、その時の間に合わせです』

すっかりブロガー。
後で近所の桜の木でも探して撮って載せるか、なんて思いながら。
途中まで下書きしておいて、昨日のコメント返しに回った。

『スープ、体によさそう。どうやって作るんですか?』

とあったので、素直にレシピを載せた。
レシピと言うほどのものじゃないけどね!
チキンをゆでたスープを使ったお手軽メニューだ。

『仕上げにオリーブオイルたらして。体にはいいと思いますよ』

書いてて思い出した。
会長、無事にゴルフしてるのかな。
不況とかいいつつゴルフ接待って健在なんだよね。
月に2回はゴルフってあったような。ひどいときは週末全部とか。
会長は何だかゴルフは好きっぽい。釣りはそうでもなさそうだ。
何をしようと自由だけどさ、気をつけてくれよー。
会長あってこそのこの生活なんですから――…。

天気もいいので近所を散歩した。
地元の公園は桜が5分咲き、というところか。
適当に写メる。
のんびりした商店街。
ちらほらオサレな店も散らばってて。
その中の一軒で、ちょいと気が早いが籠バッグを買った。マルシェ型っていうのかな。イタリア製で、ブラックと金のコーティングされてて、もち手はチェーン。リボンもついてる。通勤にも使えそうだ。
バッグが戻ってくるまで、しばらくこれで代用しようか。

もうあったかいから、これでもいいよね……?
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