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密室の恋3 その1

風薫る5月某日。
晴天にもかかわらず朝っぱらから新宿某所に雷が落ちる。
……会長のね。
「何やってるんだ! そんな手が通用すると思っているのか!」
「申し訳ありません」
ひたすら頭を下げる社員さん2人。何だか取引の手順をミスった模様。
重要取引らしいが、何故会長がいちいちお小言を? と思われる向きもあるだろう。
ここの会長は(この人限定だが)一般に想像される会長とはちょっとニュアンスが違う。ゼネラルマネ−ジャーというか若年寄というか怒り役というか、そんな(損な?)役どころだったりするのだ。
まあつまりバリバリ現職なのですよ。引きこもり気味ではあるが絶対権力保持者。表に出ないナベツネさんみたいな存在である。
「謝罪もメールで済ませるのか?」
「すみませんっ」
会長、機嫌わるっ。よくわかんないけど自分も殆どネットで済ませてるじゃん。下手すりゃ1日中PCの前。ブツブツ……。
しかし毎度毎度かっこいいな。
こんなに怒りマークがお似合いな34歳男子はそうそういないだろう。
いいぞ、もっと怒られろー。
なんてね。
あ、でも突っ立って楽しんでるわけじゃありませんよ。
一方的に怒鳴り散らしてるようでいて、ちゃんと後でフォローが入るんだから。いわゆるアメとムチ。後日この人たちは、同じ会長室で会食に招待され、改めて叱咤激励、はっぱをかけられるのだ。
そのお食事のお世話をするのが私の仕事らしい仕事……いえ、決して他が仕事らしくないってわけじゃないのだけれども。
「もういい、降りてくれ」
「は、はい。申し訳ございませんでしたっ」
社員さんが出て行った後、何も見なかったかのような顔して本日のランチの確認をする。
「あのう、あさってのメニューに考えてるものをいくつかお昼に出そうと思うんですが、いいですか? 巻き寿司なんですが。お味見していただいても」
「……ああ」
不機嫌っすな。目も合わさずに返事かよ。
うん、最近忙しいみたいだから、会長。
さすがにこの不景気、大企業といえどものほほんとしていられないみたいで、昼間の外出が多い。今日も午後から不在。私の仕事は……。やっぱり暇? いえいえ、あさっての接待に向けてメニュー煮詰めようか。


はぁ〜。
キッチンに戻るとつい視線を奪われる。窓際にずらりと並ぶグリーンの数々。ねぎにみつばにパセリ、しそ、バジル、ルッコラ……レモングラスなんかもある。ミニトマトなんて花咲かせちゃったりして、ただでさえショップ仕様のお洒落なキッチンが一層華やいでいる。
元々は、空いたビンに料理に使った残りの一枝なり根っこなりを挿しておいてたものが勝手に育っちゃったんだけど。年間通して安定した室温に日当たりも丁度いいし、これを生かさない手はないよね。別にケチってやってるわけじゃないんだけど、ねぎとかちょこっと必要なときに便利いいの。
ええ、決して節約してるわけじゃないですよ。
エコとも言う。最近はパンにつけるクリーム類もお手製だ。クロテッドクリームにサワークリーム。サワークリームは置いておくだけで勝手に発酵しちゃってるから面白くって、自分用か? と思うほど大量にストックがある。パン酵母作りにも挑戦中。窓際でぷくぷく泡立つ種菌見てると何だかいとおしくさえ思えてくる。
背景は新宿高層ビル群。3m以上あるカウンターに最新家電。気分はすっかり料理研究家ですよ。
こんなしあわせ〜な職場、1人で楽しんじゃっていいのかな?



さて、ランチの時間だ。
本日のお品は和風創作。花篭弁当ぽく六角形の浅い籠に料理を入れてお持ちした。
「お好きな具を巻きますよ。どれがいいですか?」
おなじみのでんぶ、しいたけ、かまぼこ、ごぼう、みつば、玉子焼き、穴子に加えて山菜煮、きんぴら、牛肉のしぐれ煮、かにサラダ、アボガドクリームなどなどちょこっとづつ色々ある。
「んーー。適当で」
PC見たまま答えるご主人様。このところずっとこんな調子なので、気にせず具をちょんちょん寿司飯の上にのせて巻き簾で巻く。それを切って皿にのせて籠の中へ。付け合せは竹ひごに刺して全部手でつまんで食べられるようにしてある。黙って口に運ぶ。お行儀悪いですぞ。でも本人はこのスタイルがいいんだろうな。1秒も無駄にしたくないって感じ。仕事人間……。
飽きもせずじーっと見てる私。
ナルくんたら、またまた眼鏡しちゃって。
さては夕べ夜遊びしたな?
いけないお店で遊んだ次の日は目がチカチカするとかで眼鏡で出勤なさるのだ。まあ、男盛りの年齢だしね。お咎めは申しませんが、体には気をつけてね。会長が倒れちゃったらこの夢の暮らしがパアになっちゃうから……。
細いけれどしっかりしたつや消しシルバーフレーム。鼻あてなんて付いてなくて、こういうのどこで買うんだろう? 君はお鼻が高いのだね。前髪が眼鏡に当たる。全体的に少しウェーブして、パーマでもかけたのかな。最初の頃と比べると随分伸びたなあ。伸ばしっぱなしかな?
「夕べの食事でねぎが盛ってあったが、こんなにぬるぬるしてなかったな。何故だろう?」
へっ?
唐突なお言葉にどこかに飛んでた頭が呼び戻された。
「ねぎの内側がね」
「ぬるぬるしてますか? 何故でしょう。すみません、チェックしときます」
ねぎぬる〜? ねぎってぬるぬるしてるものじゃないの? ぬるぬるしすぎ? やばいっ。窓際の水耕栽培もどきだから? そこまで気付かなかった。
「香りも強いな」
「そうですか?」
口に残っちゃうのかな。気をつけねば。
「あの、それで……。会食のメニューはこんな感じでよろしいでしょうか」
「ああ。いいんじゃないか」
一瞬ドキッとさせられるものの、別に怒ってる様子もなく、ずっと画面見たままだ。
もー。オヤジ化……。
「そういえば松前漬けと茶をまた持って帰りたいと言っていたな。出せるか?」
「はい」
「ん……」
こっくり頷いてまたお仕事モードへ。
私は籠を持って下がった。完食……。


会長ったら変なところで細かいのよね。ねぎって、スープ代わりのお吸い物に浮かべたねぎだが。よくお気づきで。さすがAB型……。
片付ける傍ら、デスクのPCをいじる。
毎度おなじみレシピサーチやらブログ更新やら画像処理やらに加え、最近はネットの付き合いも広がってきて、色々参加しているのだ。
某コミュ。キョンママさんのおすすめもあり……。
AB型研究会というのもそのひとつだ。
『ABって〜誰も気付かないこと気付いたりするんだよね』
『ああ、そうそう、そういうとこあるよね〜』
『ぼけっとした感じじゃないよね』
『気に入らないのかなと思ってどきっとする』
血液型にしろ星座にしろ占い系に疎かった私がよくぞこんな所を覗こうという気になったなと思う。お陰で洞察が深くなったというか、ますますウオッチングしちゃうというか。『カフェ店員のぼやき』なんてのもあって、時間つぶしにはことかかない。
ま、そんなわけでついついネットにのめりこむ時間が増えるのだ。
『今日はご機嫌ナナメだなー。最近食事作っても何も言わない』
『そういう男の方が多くない?うちのも言わないよ。サービスエリアの食事なんかにはうるさいのに』
『文句言わないだけマシ。うるさいやつに限ってラーメンすら作れないもん』
『電子レンジさわれなかったりね』
『でもお魚さばける』
『へ〜いいね〜』
『それだけできれば上等じゃん』
いつしか媒体は携帯に変わり、次々文章が連なる。
こちらは『気になる人をウオッチしてニタニタする』というテーマというかトピックというかタイトルというか。片思い両思い彼氏ダンナその他対象は誰でもよくって、感じたままつぶやいてほんわか気分を分け合うの。学校の先生もいればどうやら不倫相手? みたいな人もいる。今日は時間帯的に何となく主婦っぽい人が多いような気がする。話題もそれてるが、気にしな〜い。
そう。ブログとは別人格の私がそこにいる。
会長だけでなく弟の高広くんにも見られてしまった私のブログはどういうわけか時折常連さんの恋バナで盛り上がっちゃったりして、私は冷静なコメントを返さざるをえない。見られてるかもしれないし、何より仕事だし。
でも。やっぱり物足りないのですよ!
会長見てるとついつぶやきたくなっちゃうんだもの。というわけでめげずに新たな分野に進出する私。携帯でやる分なら誰にも見つからないだろうと、こっそり日々1人打ち込んでいる。
『たま〜に釣ってきた魚をさばいてくれるの』
『釣り人ね〜イカス』
『潮干狩りもいいよね〜そろそろ』
『連休どこか行きました〜?』
『富士』
『サービスエリアの飯ばっか食ってた』
主婦の人はいいな。一緒にどこへでも行けるから。これが夜になるとまたメンバーが変わるのだが。
私はすっかり時間を忘れていた。
「市川くん」
ドアの音と同時に会長に呼ばれて、ぎくぅと身なりを正す。慌てて携帯を切ってポケットの中へ。素早い……。
「あ、は、ははい」
やば〜い。怒られることはないだろうけど。さすがにこれは内緒にしとかないといかんでしょう。
「出かけるから後頼むよ」
「はい」
「4時前に戻るから、軽食用意しといてくれ」
ほー。食べるのか。
「はい。パンでよろしいですか?」
「ああ」
何だかんだで結構食うんだよな。
最近のお気に入りはミニパン系と濃い目のコーヒー……。
今日はアラビアコーヒーとクロワッサンにしとこうか。一口サイズだとポイポイ口に放り込めるから生地がポロポロ落ちるなんてこともないの。
意外とバター系のパンがお好きみたいだし。忙しくて疲れ気味なのかな?
「じゃ。行って来るよ」
「い、いってらっしゃいませ」
私は後ろ手に座ったままの変なポーズで見送った。
何だか変な感じ……。
まるで旦那さんが出かける時みたい。
皆はどうなんだろう……? 本番でこれやってる人は。
ああ、また携帯いじりたくなってきた。
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