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密室の恋 8

 目覚めは最高だ。
 隣りの男のお陰で早寝早起きの習慣がついちゃって。
 けど今朝は先週の『みなみんさん』のかきこみがちょっと胸に引っかかっていた。
『毎晩接待ってなんか心配じゃないですか?病気とか』
 そうだよね。
 みなみんさんのカレシは30過ぎててウチの会長は33歳……。
 そろそろ成人病が気になる年代だろうか。
 不安だ、突然倒れられたりしたら。
 だって!
 もしも会長が入院でもしたら私はその間プーになってしまうじゃん?
 そんなの困る!
 あの人に健康でいてもらわなければ私の仕事は成り立たない。
 ――何が何でも会長には長生きしてもらわないと!
 というわけで、私は朝早くから携帯でネットにつなぐ。
『成人病 メニュー 血液サラサラ』
 などのキーワード検索かけてメニューを組みなおして。
 早朝から開いてるお店で材料仕入れて出社。
 なんかこの行為自体おヨメ気分だったりして。会社に料理作りに来てるOLなんてひょっとして私だけ……?
 ―――。ま、いっか。お茶汲みの上級職だと思えば。
 さあヘルシー大作戦スタート!
 密かに意気込む私は朝一番ある錠剤を会長にお出しした。
「あの、よろしかったらこれをお飲みください。胃のもたれなどに少しでも効きますよ」
 ……実は100円ショップのシロモノなのだが。家にあるのをとりあえず持ってきた。100円ショップの袋のままじゃアレなんでかわいい小瓶(これも100円……)に入れ替えて飲んでたんだけど、効果ははっきりいってよくわかんない。でもおじさんには少しは効くかもしれない。そんな思いつきで。何のサプリかラベル貼るの忘れたのでよくわからないけど、『お酒をよく飲まれる方へ』みたいなこと書いてあったはずだ。
「で、こちらは目の疲れにいいです」
 と、ブルーベリーの錠剤まで(――こちらは小瓶にブルーベリーのシール貼っていたので間違いなくブルーベリーだ)。毎日PC睨んでてきっと目もお疲れ気味だろうから。
 会長はお水と小皿に載った錠剤を見つめたまま黙っていた。
「……あ、すみません。お嫌いですか、サプリメント」
 ―――はっ、嫌なのかも。すぐに謝る私。
「……いや。置いといてくれ。あとで飲む」
「はい」
 ホッ。ちょっと緊張した。いきなり過ぎたかな。オヤジ扱いするなって?
「……悪いが濃い目の入れてもらえる? どうも昨夜の食事が合わなかったようだ」
 と、コーヒーのご注文が。
 案の定……。というか私の不安は的中したみたいだ。胃のあたりを手で押さえる会長。
 やっぱ『接待』って不安要素大だ。無理にでも飲まなきゃいけないなんて。しかも連日でしょ? まるで早死にしろって言ってるようなものじゃん……。
 ――だから! 死んでもらっちゃ困るって!!
「……あの。それでしたらエスプレッソはいかがでしょうか」
 私はそんな進言をしてみる。
「ん?」
「あ、その、エスプレッソの方が胃には優しいですよ。抽出時間が短いのでカフェインも案外少ないんです」
 別に銘柄にこだわってないって言ってたから。コーヒー日に何杯も飲んでたら胃に悪いのは確かだ。
「……そうか。ならそうしてくれ」
「はい」
 ここに来てはじめてエスプレッソマシンの電源を入れる。スタバのヤツだ。エスプレッソ以外にも使えて便利なマシン。これも室長が揃えたのかな。きっと気を使ってあちこち探してきて……。そんなあれこれ思ってるうちにいい匂いが辺りを覆う。
 圧縮音とともにデミタスに注いで角砂糖をポトン……。会長にお渡しした。さっき置いていったコップとお皿が空になってるのでそっちを下げる。
 少しして戻ると、
「もう一杯くれ」
 と言われる。
「あ、お口に合いましたか」
「ん。濃さが丁度いい」
「それじゃおつぎします」
 お部屋に満ちる濃厚な豆の香り。ああ〜、コーヒー好きじゃなくてもいい匂いと思ってしまうよね。カフェインの誘惑。それは紛れもなく麻薬(アルカノイド)でもある。
「市川くん」
「はい」
「明日から朝はこれにしてくれ。気分がすっきりする」
「あ……。はい」
 よっしゃあ!
 妙に嬉しくなって私は厨房に引っ込んで小さなガッツポーズをした。
 くす。
 何か憎めないな。
 あの人……。
 何だかんだ言って何でも飲むし食べてくれるじゃん?
 食後のお皿やカップも綺麗で。よほどいい躾されたお坊ちゃんなのだと想像つく。
 ちょっと一瞬コワイけどこの調子でいけば私……。

 ―――この部屋に半永久就職できるかもしれない? ククク……。



 お昼は早速健康メニュー。
 生ブラッドオレンジのジュースと、牛蒡、寒天、にんじん、パプリカその他を詰めたピタパンを出す。
 ブラッドオレンジは母親が以前『あるある大辞典』か『みのもんた』の番組のどちらかで紹介されたとか言って送ってきたことがある。東京でも売ってるっつーに。もー典型的なおばさんなんだから。『みのもんた』と『あるある』と『細木和子』の信者と化してるのだ(アチャー。絶対田舎には帰りたくないっ)。
 まあそれはおいといて、純粋に健康にはいいらしいよ? 今朝買ってきたの。ジューサーがないので手で絞って漉した。
「は―。たまにはこういう飲み物もいいな」
 会長はジュースを飲んだあと、椅子の背もたれにもたれ軽く目頭を押さえた。目が疲れてるんだ……。一日中PC見てたらそりゃよくないだろうな。
 ささっと厨房に戻ってまた奥の手を出す私。
「あの、よかったらこれ使ってください。目元がすっきりしますよ」
「え?」
 すぐ目の前に差し出されたものだから会長は自然とそれを受け取った。
「アイマスクなんですけど。あっためても冷やしても使えるんです。今レンジで温めましたから、15分くらいはあったかいですよ」
「ん……。そうか」
 あまり気乗りしない風に両手でマスクをぽんぽん渡す。中にゲル状のものが入っていて温めたり冷やしたりして使えるアイマスク。私の愛用品でもある。もちろんここに出したのは新品だけども。
「……。君は気がきくんだな」
 そう言ったかと思うと、会長はおもむろにメガネを外して。
 私はその想定外の光景に目を奪われた。

 ―――すご、きれいな顔……。

 想定外ってことはないんだけど。アイマスクするには眼鏡外さなきゃならないわけで。
 だがその当たり前の行為によって現れたフェイスに私はときめいてしまう。

 ―――こんな顔してこの人女嫌いなの? もったいないじゃん。

 つい余計なおせっかいまでやいてしまうような整い方。

 ―――眼鏡外して歩けばいいのに。そうしたら秘書室の人もきゃーきゃー騒いだりして?

 中には眼鏡をかけたほうが好きという通な方もいるだろうけども。
 会長は何も言わずぽんと目の上にアイマスクを載せて椅子に寝そべった。高級なエグゼクティブシートは上手い具合にリクライニングして、私の胸のすぐ下に会長の顔が。
「ん――。確かに気持ちいいな」
 そう呟く会長のすっと通る鼻筋がアイマスクしてるせいで更に強調されて。

 ―――超カッコイイ―……。

 思わず呟きたくなるというもの。彼の視界が遮られてるのをいいことにまじまじと見つめる私。ゆるやかに時は流れる。
「……そんなに……長時間PCの前にいらっしゃったら疲れてしまいますよ……。少し休みながらされた方が……。お酒も少し控えられた方が……」
 胸の奥が波打つのを感じながら囁くように。そう言うと会長は少しだけ笑った。
「私の決裁印がないと動かないものが多いんだよ。特に役所関連はな」
 しばらくしてアイマスクを取って、眼鏡をかけて改めて会長はそう言った。
「でも……」
 ――普通会長って社長とかより暇な感じするけど? 『特命係長只野仁』に出てくる会長なんて正にそうじゃん? あ、例えがよくないか。
「―――社会の殆どがコネで動いている。私の家には曽祖父の代から続く人脈があってね。つきあいってものはどうしてもビジネスと切り離せないんだよ。私自身、各省庁に数十名個人的な知り合いがいるしな」
「は、はあ」
「そのしくみがあと何年持つか知らんが……。有効な限り続けざるをえないだろう。我が社は旧財閥時代からのグループ会社が200を超えるからね。その横のつながりだけでも相当なもんだ。君はウチの株価が今日現在いくらかわかるか?」
「え、い、いえ。知りません」
「フ、1060。少し値を下げたな。ウチは言わずと知れた古株企業だが私の父の代から外資の巨大グループと手を組んできた。予期せぬ買収や過当競争を回避するための業務提携や合併事業……それを通じてまた新たなコネを作って。しかしそれでも万全とはいえない。私はしばらくアメリカにいたんだが、その当時から知る同世代の若い事業主とも懇意にしている。これまでのように古い付き合いだけではもうやっていけない。のんびり休んでる暇なんてないよ。この椅子に座ってる限りはね」
「そ、そうですか。でも私にはちょっと……。難しい、かな?」
 よろめきそうになる私。急に真面目な顔して。ドキドキするじゃん……。
「知っておきなさい。基礎の基礎だ」
「は、はあ……」



 予備室の机についてPCを開く。ブログを覗くとその後みなみんさんから短いコメントが入っていた。

『じゃアップを楽しみにしてますねー。それとごめんなさい、はじめてなのに長文ばっかりで。。また来ますね』

 かわいー人だ。カレシに『美味しい』って言ってもらいたいってその気持ちがかわいいよね。
 ――それに比べて私。今まで付き合った人でそんな風に思った人っていた?
 料理を作ってあげることは確かにあったけど、
『どう?』
『うん、美味いよ』
 その程度で終わっていたような。
 みなみんさんみたいに浮かれることはあんまりなかったかもしれない、この26年の恋愛経験で。
 ラブ♪って。ありえない、ありえない――。
 
 ラブ……。
 


『知っておきなさい。基礎の基礎だ』

「…………」
 さっき言われたこと思い出してぽっと胸があったかくなる。
 あのエラソーなものの言い方も妙に私のつぼにはまるの……。
 経済の基礎なんかより私は、会長の任期の方が知りたいです。
 何で社長じゃなくて会長なの? ずっと会長のままなの?
 聞きたいけど聞けない疑問が頭を巡って。
 仕方なく会長やってるってニュアンスに取れた。
 どうしてなのか私にはよくわかんないけど。
 あの人にはずっと元気でいてほしい。
 こんな楽な仕事ってないもの……。

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