密室の恋 12
――株式会社東英商事、代表取締役会長、九条成明。
その経歴は華々しい。
ハーバード大学卒業後、アメリカの大手M&A専門コンサルタント『メジソンアソシエイツ』に入社。主に企業再生部門において手腕を振るう。経営不振に陥ったアメリカのデパート『マークスコンフォート』を僅か1年足らずでリカバリーさせたりと、その分野では有名らしい。
しばらくNYで暮らすが、父親が社長を務める当時の(株)東京開成商事及びグループ企業内部からの熱望により、4年前に帰国(よそ様の会社の面倒ばかりみてないでさっさと跡を継げって?)。同時期に社名変更した(株)東英商事会長職に就任、同系列の開成銀行、新東京電機、東英不動産の相談役、監査役、執行役を兼任、現在に至る(誰も教えてくれそうにないからネットで調べたの)。
花の男盛り、働き盛りの33歳、独身(もうじき34歳になるらしいけど)。その容姿は同年代のイケメン俳優に負けず劣らず麗しい(はっきり言って勝ってるのでは? と私には見える)。
その上お家柄も申し分ないとくれば、さぞかし女性におモテになることでしょう。
と思いきや。
実際は変なおじさん。
日中は自室に引き篭もり、人(特に女性)を寄せ付けようとしない。
『バレンタインなぞウザイ』
『お茶汲みの出来ない秘書は鬱陶しい』
などの言動から、相当の『女嫌い』ではないかと推測される。
休日は接待ゴルフ、接待釣りに費やし、釣り仲間の姫島副社長(53歳)は唯一気を許せる部下であるらしい。
変な人。
社長ではなく何故か会長に就任したことで一気におじさん化してしまったのだろうか。
でも。
その方にお仕えしてる私もかなり変……。
なのかもしれない。
ふわーーっと日常を逸脱する瞬間。
朝一番に嗅ぐ珈琲豆の匂いがとても好き。
白と濃い目の天然木の組み合わせが素敵なピカピカのシステムキッチン。シーンとした室内にエスプレッソマシンの音だけが響いて。脇の細長いガラス戸から差し込む朝日も優しく。地上52階から見下ろす景色はそりゃあもう圧巻。というか足元までガラスで怖いくらいだ。
まるで億ションの独立キッチン。生活臭がなく、モデルルームで暮してるかのような錯覚に陥る。自分の給料じゃ一生こんな部屋には住めっこない……。
つかの間、『擬似』新婚生活気分に浸る私。
『仮の』旦那さんは超カッコいい人。
変だけど癇に障ることさえしなきゃずっと黙ってるし。素敵だからどんなに長い時間見てても飽きることはない。
『おい、メシ』 ならぬ、
『おい珈琲』
『はいハイ』
結婚ってこんな感じなのかな。本番の予行演習とか。今の所は……貞淑妻でOK?
――変かな、私。
「どうぞ」
「ん。そこに置いといて」
大きなデスクの、彼の左手が来る位置に小さなカップを置く。
この瞬間も好き……。
PC見たまま手だけ動かしてカップを探る、その仕草をさりげなく見届けて。
この人私がいようがいまいがまるで眼中にないから。
そんな僅かな時間。
不意に会長はPCから目を離して、
「……キミは髪が長いな」
とこちらを向いた。
「えっ」
―――ヤバイ。私はさっと右手で髪を掴む。
「す、すみません! ついうっかり……。ふ、不潔ですよね、結ってきます!」
―――いっけない!
この人、『潔癖症』だったんだっけ。
長い髪は厨房ではご法度。カフェでは結んでたのにぃ!
ていうか、早く言ってよ! 先週のうちにっ。
結ぶ時するように髪に指を絡ませる私。
……しかし会長はゆるい視線のままでいた。
「?……いや。そういう意味ではなくて。珍しいなと思ったんだ。久しぶりに見た気がする。髪の長い女性」
―――は?
……珍しい? って何で。
きょとんと、口が半開きになってしまう私。
……珍しくないでしょ、腰まであるっていうのなら少々珍しいかもしれないけど。
ワンレンの女なんてうじゃうじゃいるじゃん、ここ新宿よ?
――いや、外に出なくても会社の中にだっていっぱいいそうだけど?
ていうか、私の髪が長いって今気付いたの??
不思議な空気が私の動作を凍結させる。
次のひとことで更に。
「秘書にもいないだろう。その髪……綺麗だな」
―――え?
一瞬胸がときめくものの。
……それって誉められてるの? はたまたボケ?
会長の言い方はかなり微妙である。普通誉める時はこんな顔して言わないもの。
――確かに秘書室にはいないけど。
ロングヘアーでも、巻き系か丸い系が今の主流、モテ髪ですから。
綺麗? でも私の場合伸ばしっぱなしだから天使の輪が浮かぶほどじゃない。
「……あ、あはは、会長、そんな真面目に言わないで下さい。綺麗じゃないし、ありふれてますよ。シャンプーのコマーシャルご覧になるでしょう? 触るとするっと指先を滑る。綺麗な髪ってああでないと」
ま、シャンプーの世界じゃストレートのロングヘアーは永遠のミューズだよな。
「コマーシャルなど見ない」
しかしパシっと否定される。
……は、さよか。
CM見ないって。
この人NHKしか見ないの?
……いや。テレビ自体見ないのかもしれない。
マジ?
「……そ、そうですか。すみません。あの、次から結んでおきます」
「いや。別にそのままでいい」
……誉めてるつもりだったの?
よくわからなくて結局彼が飲み終えるまでそこに立っていた私。ーーと言ってもたったの二口で飲めちゃう量だけども。
くいっと最後飲み干して彼は直接私にカップを差し出した。
「珍しいだろう。よく言われないのか」
と軽く首をかしげて。
―――はあ?
あんたの方がよっぽど珍しいよ。
そこらへん歩いてる女の子目に入らないの?
ワンレンの子なんてマジいっぱいいるよ!?
茶パツじゃなくて黒髪なのが珍しいのかしら?
「は、はあ。言われませんけど。……し、失礼します」
こそこそとバツ悪そうに退散する私。「ん――……」と彼はすぐにオシゴト顔に戻っていく。
……どーよ、このヒッキーぶり!
パタンとドアを閉めて悶々とすること数十秒。
……一体いつから引き篭もっちゃってるわけ!?
変な人だ。隠居した爺様だよ、まるで。
いくらおじさんに囲まれてるからってさぁ。
よほど女に興味がないのかしら!?
まあ私にはそれ以上のことはつっこめない。
日常の業務に戻ろう。
まずは片付け。ビルトイン式の食洗機まで装備されているが、そんなに洗い物の数がないのでシンクで手洗いする。
すぐに終了。
お昼までまだ当分ある……。
またネットでもするか。
と振り返ると、隅っこのステンレスワゴンに置いていた昨日のお釜が目に入った。
「あ、そうそう、コレ」
手に取ってよく見てみる。
―――みなみんさん曰く、輸出仕様だって。
なるほど、箱の4面に日本語、中国語、英語、フランス語、の表記がしてある。
その名も、
『ごはん丸―gohanmal―』
って。
……なんかネーミングはイマイチな気がするが。
改めて付属の説明書を読んでみると、色んな使い方ができるようなことが書いてある。
「へーー。パンも焼けるの?」
メインは炊飯の他蒸し物、煮物みたいだが、内釜をチェンジするとパン焼き器にもなるらしい。
――それは使えそうだ。
これでいう煮物って肉じゃがとかポトフみたいなオイルで炒めない系統のものだが、そもそも煮物自体あの人に出す料理にはあまり関係ない。
でもパンならいけそうだ。早速明日チャレンジしてみようか。
毎日時間がたっぷりあるので少々手間暇かけられるし。
よーし、明日は手作りパンに決定!
少し早いが、お昼の用意に取り掛かる。
巻物の種類もそろそろ少なくなってきたな、と思いつつメニューはトルティーヤ。小麦粉よりヘルシーかなと思って。
具材は3種類のスプラウト、高島屋食品売り場ご自慢の超高級手作りハムにマスタードとアーモンドソースからめて。
ま、こういった類のもので押さえておけば無難だろうか。
あの人は何も言わないから。そういう点じゃ楽かもしれない。
と、さくさく仕込んで。
お昼時。それに珈琲とハイビスカスティー(といつものサプリ)添えてランチプレートをお持ちした。
会長は休みもせず、ひょいと掴んで口に運んで。
私もお昼にしようと退散しかけた。
すると、
「ここで食べてもいいよ」
と言われる。
「え? でも」
会長は画面見たままだ。
「ま、別にどっちでもいいけどね。ここの方が景色がいいだろう」
は? 気を使ってくれてるつもり?
確かにキッチンじゃ立ち食いになっちゃうし、予備室は窓ないし、秘書の席は部屋の隅っこにあって眺望は劣るが。
「は、はあ。じゃ、そうします」
反論する気もなくて従う私。
かくしてまた補助椅子を出してデスクの隅っこで自分の作ったものをかじる。
この光景、ちょっと変かもしれないけども。
彼を観察したければこれほどのポジションはない。存分に見れる。会長は全然こっち見ないから。
しかし目はPC向いたまま会長は喋りだした。
「……キミが持ってきたこのサプリメント、どこの?」
――うっ。
いきなり私はハムが喉につまりそうになる。
……どこって。
『100円ショップのです』
なんて言えない。
「え、えーと。どこだったかな。スミマセン、忘れました」
「そうか。ウチのグループのじゃないな」
「は、はあ。こちらでも販売されてるんですか?」
「ああ。何社か出てたと思う。形状は同じだがね。製造工場が一緒だから」
「はあ」
「この2、3日調子がいいような気がする。キミがくれた錠剤のせいかなと思ったんだが」
――は?
……そんなに早く効くもの?
まだ3日くらいしか経ってないよ!?
普通こういうものって1ヶ月以上飲み続けなきゃ効果ないんじゃない?
ちなみに私はそれ以上続けても効果がよくわからなくて飲むの止めてしまったのだが。
「本当に楽なんだよ。目がかすまないし、胃もたれもなくて。こんなことは珍しいんだ。何て種類のもの?」
「えーと、ビタミンミネラル……。だったかな?」
よく覚えてない。多分そんなんじゃない。逆にこっちが聞きたいくらいだ。
不思議な人……。更に不思議なことを言われる。
「この赤い梅みたいな味の飲み物は何だ?」
――梅。友達にコレ出すとみんな必ずそう言う。
でもこの人が言うとなんかおかしい。
私は密かに沸きあがりそうになる笑いをこらえ、答えた。
「あ、すみません。ハイビスカスです」
「……ハイビスカス。そうなのか。懐かしい味だな。梅の味のするお茶を飲まされていたことがあったが、それを思い出した」
「は、はあ」
やだ。そんなおじいさんみたいなこと言わないで下さいよ。ただ酸っぱいだけですって。でも健康にはいいのよ。それは私の折り紙つきだ。
「それ、ウチも飲まされてましたよ。梅茶ですね。母親が色んなお茶を買ってくるんです。ウチ、一家揃ってお茶好きなんで」
番茶なんかは煎茶と違って入れるの楽だろう。
「でも会長、お茶がお好きなんて珍しいですね。男の人で聞くの初めてです」
珍しいと言われたお返し……じゃないけど、私はそんな風に言った。まあ育ちがよさそうだから何となく想像はつくけど。
「―――好きというか。私は祖母と乳母に育てられたんだ。だからなのかもしれないな。ジュースや珈琲を飲まされた記憶が殆どない。ケーキのようなものを食べる時くらいかな。変わった飲み物を出されたのは」
乳母? 乳母ってばあやさんとかそういう人のこと? それと祖母に育てられたって。
じゃあ、お母さんは?
聞きづらいことを会長は自ら口にした。
「母は弟を産んですぐに亡くなってね。父はその後再婚もしなかったから、私と弟には母親の思い出がないんだよ」
―――そんな。
それは調査外だ……。一転して気まずくなる私。
「す、すみません。変なことを言いました」
はちゃー。変なもの出しちゃったかな。昔の記憶に触れるものを……。
「いや。キミは飲み物全般入れるのが上手いんだな。さすがに店で出していただけはあるね」
「は、はあ……」
うつむいたままの私。今日の会長の喋りはいつもと違う。いつもの株価がうんぬんとか『〜が嫌い』とかじゃなくって。
……弟? 弟がいるの?
それも調査外だった。