密室の恋 13
ふぅーーー。
キッチンで息を漏らす。
ダメ、どうしても憎めない、あの人。
ううん、それどころじゃない、言葉の端々、表情が私の五感をくすぐるの。
―――こら、ごはん丸。あの人コンラッドでどんな風に喋ってたか教えろ。
無機質な白い炊飯器をペチッと指ではねる。
気になるの、あの人の存在。
どこでどんな風に何してたか、全部知りたい……っていうか。
ただ気難しいおじさんじゃない。
―――何なの? おばあちゃんやばあやさんの入れたお茶ばっか飲んでたからあんなになっちゃったの?
今時お茶汲みにうるさいのってどーよ。会社で唯一飲めたってアレ、掃除のおばさんのことでしょ?
「プ」
変な人……。
サプリにしたって、そんなすぐに効かないはずなのに。
もしかして。
100円サプリ(200円だったかもしれない?)って貧乏人には効かないけど、金持ちには効果あり、とか!?
いいものばっか食ってるから体のサイクルおかしいのかもしんない。
―――……で、弟ってどうなのよ? この会社にいるのかしら。
結局、こっちから聞けなくってわからず仕舞いだ。
あの人の弟だからまたまたイケメンなんだろうなあ。
……想像してみる。
あの人から眼鏡取った感じ?
はたまた全然違う遊び人風だったり!?
しょうもない馬鹿息子でマジヒッキーだったりとか!?
―――教えてよ、誰かぁ。……ダメダメ、誰も言いたがらない、きっと。
ふと、ごはん丸の説明書を手にとっていた。
何気に開いてみる。
読んでおかなきゃ。明日パン作るって決めたし。
でも変なところで指が止まる。
出来上がりのブザー音が選択できるらしい。
ていうか、曲だ。ちょっと前の流行り曲のリストまである。
何この炊飯器。着メロじゃないって。
いや、ある程度値のはる炊飯ジャーってこういうの選べるんだよな、確か。
私の部屋のは安いからそんな機能ないけども。
しかし。
SMAPの『世界にひとつだけの花』とか、ケツメイシの『さくら』とか。
―――コレ普通なの? 実は製作者の好み??
さすがもと半導体メーカー? 関係ないか。
よその国の人にこんな曲選ばせても仕方ないんじゃないかな。そこまで考えてない?
と面白半分にいじって私は中島美嘉の『雪の華』をセレクトした。
別に音なんてわかるだけでいいのに、何故か私はそれにした。季節柄かな。と言うよりあれが流れてたCMが面白かったからかもしれない。
設定完了!
もちろん音量は最小にして。
改めて、パン作りのページをめくる。
超カンタン、ただ材料をぶっこめばいいだけだ。
炊飯器でパンか……。やっぱ『ごはん丸』って名前間違ってない?
……何だかみなみんさんのこと思い出して、部屋を移ってブログを見るとコメントはなかった。あるとちょっと焦ったりもするが、ないと何となく寂しかったりするのは不思議なもので。炊飯器のこと書くわけにもいかず、私はちゃちゃっと画像を載せた。
さ〜、久々のパン作りにトライ! といつにもまして張り切って出社。
出したエスプレッソ片して、とっととキッチンに篭る。
っても粉とイーストと砂糖、塩、水を投入するだけなんだけど。
その間、合わせる具を作る。
順調順調。働いてる時のようにせかされることがないから。
調理台での作業が終わってほどなく、香ばしい匂いが私の鼻腔をくすぐる。
言うまでもなく、パンの焼ける匂いだ。
「ふわぁ〜〜〜」
この匂い、たまりませんっ。マジパン屋さんみたい。
そして完了のメロディ……。
ラララ〜♪♪♪
思いのほかかわゆく響く。
内釜を出すと、もっと匂いが溢れた。
「うわ。うまそーー! 早く食べたい!!ーーーあつっっ」
……そんなけしからん職務態度の私は全然他の音に気付いてなかった。
「何してるんだ?」
突然、ドアが開いて会長の声にびくっとした。
「きゃ……」
「ノックしたんだが。気付かなかった?」
「は、い、いえ。すみません」
「いや、いいんだよ。ただ、何か匂いがするから何やってるんだろうと思って」
「え」
あ、いけね。バレてた? あとで言おうと思ってたのに。
「―――いい匂いだね」
「え?」
ドキっとした。
「あ、え、あの、おととい頂いた物、パンも焼けるって書いてあったので、作ってみたんです」
「へえ」
会長も……この匂いいいって思う? ドキドキする。なんかいつもより穏やかに見えたから眼鏡の顔。
「え、えーと、また後で出しますね。まだちょっと熱いんで」
「ふーーん。別に熱くてもいいけど」
「え?」
「いいよ、別に。少々早くても」
「は?」
ってまだ11時……。いつもより約1時間早い。
さすがの会長もこの匂いには食欲が刺激されるのかしら?
実はこっそり出来たてをつまみ食いしようと思ってたんだけど。私。
我慢できないし、この匂いじゃあ……。
「あのー、じゃあ、パンと中身を別々にしましょうか」
サンドしなくても食べりゃ一緒だ。いえいえパンは出来たてが一番いいに決まってる。
「懐かしいな、この匂い。NYにいた頃を思い出した」
「へ?」
急に言われて。またまた……。思いがけないことを呟くのだ、この人って。
「―――10年位前か。住んでた部屋の近くにベーカリーがあってね。早く起きた日なんかに窓を開けると匂ってきたもんだ」
「は、はあ」
NY……。行ったことがないケド。若かりし頃? 喋る彼の能面じゃない顔がまぶしい。普通の世間話してる青年Aといった感じでしょうか。
―――会長ったら。腹減ったんなら素直にそう言ってよ。
香ばしい小麦の匂いは天岩戸に隠れてしまった天照大神を誘い出した女神の踊りをもてはやす歓声のように彼を導いたのだろうか。
「え、えと、じゃ、切りますね。ほかほかの内に」
「うん」
というわけでいつもより随分早いランチとなった。
またデスクにお邪魔して。切りそろえたパンに3種類の具を入れた器を白い皿に載せて。
何だかデリカテッセンみたいですね、と言うと、彼はさっきの続きを喋り始める。
「――パンと、付け合せに惣菜を買って食べていたんだよ。SOHOのDEAN&DELUCA。日本にも入れたね」
ディーン&デルーカ? 品川とかにある……。お洒落なデリだ。カフェバイト時代お味見に行ったことがある。ちっちゃいスイーツがいっぱい並んで美味しそうで、すごく豊かな気持ちになる、海外って感じのお店。
でもNYのお店は知らない。見当つかない。多分雰囲気は違うんだろう。会長の発音はモロ現地風だった。
「beansの種類が豊富で……通っていたのは最初の頃だけだったが、レストランで食べた食事よりもよく覚えているな。友人はchelseamarketの方がいいってそっちにわざわざ行っていたけどね。俺は家にもオフィスにも近いし、DDで間に合わせることが多かったな。冬なんて半端じゃないくらい寒いからね。ボストンほどじゃないが」
完全にその当時に頭がいってるご様子で……。
っていうか、私は聞き逃さなかった。
―――『俺』って。会長、今オレって言った?
変なところでつっこみたくなる私。
はじめてだから。この人が俺って言うの。
なんかそれが気になって……。すぐ近くで食べてて、目が合わせられない。
「彼は、今思うと熱心に組み立てていたんだろう、将来の事業を。ユダヤ人街やアイルランド系の食べ物屋にも足を運んで俺に教えてくれたよ。先日の家電メーカーをはじめた男だがね、しきりにぼやいていたんだ。『日本の家電は洒落たものがない』とね。まさかこんなに早く着手するとは思わなかったが、海外のメーカー並みにリサイクルにも対応してるらしいよ。ウチも出資しているから頑張ってもらわないとな」
「はあ」
って微妙にいつもの話題。りさいくる? それは気付かなかった。
会長。こんな嬉しそうに語ってくれるなんて。パン効果?
『俺』って……。