密室の恋 19
休日前の夜。私はデートの待ち合わせ、ならぬ、本屋で結構な時間過ごしていた。もちろん女友達と待ち合わせでもなく。そこは料理本コーナー。まわりは若い女の人だらけだ。
メニューの研究。うちの店で出してた料理中心じゃそろそろ底が見えてきそうだし。何せあれだけの調理道具。もっとバリエ増やさねば。
熟読(…って立ち読み)。厳選した一冊をレジで清算。浮かれる人ごみを尻目にさっさと改札へ。携帯が鳴った。
「あ、あたし。ひさしぶり。ねーねー、今暇?」
着信、ゆな。数少ない同郷の友。珍しくないがちょっと会ってなかったな。
「んー。何?」
暇だけど、もう電車乗るモードなんですけど。冷静な私。
「ねー、今新宿勤めだよねー。あたし新宿いんだけどぉ。ごはんどうよ」
お誘いか。早く言ってよー。もう乗っちゃいそうな気分なのに。
「えーと、もう家付近なんだよね。明日じゃだめ?」
て、軽い嘘。明日ってその気も無いのに。近所に来てるから会おうってだけだもの。『じゃ、ま、いっかぁ……』そんなのりだろうと。
だけど。
「ん、そっかぁ。ざーんねん。あしたー。いいよ。久しぶりに会おう」
あれ、そうくるか。となると断るわけにいかない。
「うーーん」
半日くらいなら……。ぼんやりそう思った(イヤなんかい!)。
「あのー。ひとり連れてくけど。遠慮無しに話そう。あした、12時。ポルカでヨロ」
「なによ、ひとりって」
「ん。あたしのコンヤクシャ」
さらっとそう言われて。
「え? っとそんなのいたっけ」
ぶしつけな返し。
「いたいた。急にそうなったのー。紹介したいし。もち式にも出てよね」
「あ、う、うん、も、もちろん。……あ、おめでと」
「ん。あんがと。じゃー詳しいことはまた明日」
パツッと切れた。しばらく会ってなかったと思ったら……。結婚のご報告? そーいうお年頃なのよね。ぅーー、現実味あるじゃん。
でも別にカナシくないしっ。
私はちょっと驚いたけど顔に出すまでも無くホームに向かった。
次の祝日。約束の店で私を待っていたのは、腕くみカポォ……超らぶらぶなふたり。旧友と、はじめて見るその人は、黒ぶち眼鏡のとっても優しそうな人。
……この子、こういう趣味だったっけ? 全然ちゃうやん!
「ね、こちら……みのがきさん。で、こっちが、いちかわ、かなえちゃん」
「はじめまして。……みのがきさとしと申します」
「あ、ど、どうも。いちかわです」
わー、なんかやだ、こういうの。胸の奥がムズい。まあ、趣味はともかく、とってもあまったるいらぶらぶ光線。まわりにもその空気伝わるくらいの。
「ねー、かなえ、新宿のーでかいビルに派遣してんだよねえ。ちょっと話してたらさとくん仕事で行ったことあるって」
「え」
「あ、どうも。申し遅れましたが僕……」
と言って、その人は名刺を差し出した。
「あ、ど、どうも」
つられて私も乙女な財布から名刺を出した。ちょっと恥ずかしい。
「あ、……ハケン? じゃなくて?」
その人が声出して言うもんだからゆなが覗き込む。
「えー、かなえ、何この名刺ぃ」
「ん、あ、話せば長いんだけどぉ」
また照れる。おいおい、そう言えば正式部署名何だっけ? 家族に見せびらかすくらいしか考えてなかった名刺の存在が何だか眩しい。
「あー、ちょっと、色々事情がありまして、一応、しゃ、社員になりました」
うつむいて答えた。
「えーーー……、すごぉぉぉぉぉい! 商社じゃん。地元からでも入った子知らないよ」
と、オーバーな反応。田舎モン丸出しじゃん。私も知らないよ。いいよ、その話題は。かーっと熱くなる。
思わぬ展開だ。早く切り返さなきゃ。
「それは置いといてさ、何、キミタチ。その、し、式とかさ」
「あ、そうそう。空けといてよねえ。3月なんだけどさ。こっちで挙げるから」
「うん。おめでとう」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
ほ。話を戻して。ゆなは幸せそうにカレシの腕を取って馴れ初めから話した。その人は穏やかに頷いてて、食事の後勘定済ませて出て行った。
「いーの? デートじゃなかったの?」
完全にその姿が見えなくなって私は言った。
「違う、違う。昨夜も一緒にいたの。何か早く紹介したくってさ。それでねーー」
それからゆなは私を連れ出し、2人自由が丘の街をあっちこっち歩きまくった。
「ねーー、これがほしぃんだぁ。あたし、料理がんばっちゃおうかなぁって」
インテリアショップと言うかキッチン雑貨のあるお店で、フードプロセッサーを指して言う。
そう、これが本題。お祝いのおねだりかい。ゆなはくねくねして人が変わったようだ。化粧とかじゃなく、雰囲気が。なんだかほわっとしてる。
この子、昔は結構マニアック系? コスプレとかそっち系だった。趣味が変わったんだろうか。あの優男風な男の人……。
何となく聞く勇気が無くて私はいーよ―と答えていた。
「式は会費制だからーー。お祝儀包まなくていいから」
「ハイハイ」
べたべたくっついてくる。
「なんかぁー、ハケンだし一人暮らしだし、言いにくかったけど。いいよね、正社員さんなら。よかったじゃんー。あたしからもおめでとう」
またまたドキッ。
「いやー、そのー、何て言うか」
実は私また料理関係の仕事することになって……とうっかり言いそうなのをこらえる。
別にこらえる必要なんて無いのに。
「あ、ありがとう。ま、まあ、ぼちぼち」
何がぼちぼち?
「じゃ、たのむね」
「う、うん」
そしてその商品と値段を頭にとどめ彼女と別れた。
恋すると女は変わる。
目の当たりにして私はしみじみした。自分の部屋の、小さなキッチンで。チョコレート溶かしながら。
その昔ゆなは架空の人物に恋するオタク少女だった。上京してちょっと方向変わったとはいえ……。何? あのしあわせオーラ。料理するからフードプロセッサー欲しい、だって。
思いながら手は勝手に動く。ネットにつないで料理系のページを探る。傍らには昨日買った本が。
素人なのに料理本並みのブログがづらづら出てくる。見るたびに思うけど、すごすぎ。この人たち、『無償で』作ってるんだよね。もちろん器も自前だ。私なんてホント……。足元にも及ばない? ただただ、ラッキーとしか言いようが無い。
―――もっともっと頑張らねば。
派遣じゃないって言っても会長の気まぐれ(?)ひとつでつながってるようなものだ。いつどうなるかわかんない。でも、今の身分に恥じないよう、名刺くらいさらっと出せるくらい自信もたなくては。
妙にやる気になって私は、デザートの試作を3つも作ってしまった。
そして朝。私は室長に言われるまですっかり忘れていた。
「一昨日から業者の方が入られたようなの。作業は終わってるようだけど午前中にもう一度来られるから確認して差し上げて」
「あ、は、はい」
確認? ていうか、作業って。リフォームみたいなの? 会長が言ってた……。
何を確認するんだろう……。
よくわからなくて上に上がると、ドアが開いていて。
「お、おはようございます」
「おはよう」
会長がすぐそこに立っていて。ちょっと驚いた私は中を見る間もなく、
「一応、改造は終わったようだが、キミの都合の悪いところがあれば言いなさい。担当の者がもう一度来るから」
改造? 『かいぞう』ってなんだそりゃ。くすっと笑いそうになって私は案内されたドアの向こうを見上げた。
「えーーー」
と、お次はびっくり。すっかり忘れていたとはいえ。いきなり――。正味1日半でこんなに変わるか?
まるで―――。昨日さんざん連れ回されたお店とだぶるようなフル装備のキッチンスタジオがそこにあった。
いや、ついおとといまでのもすごかったんだけどね。
ピカピカのステンレスの台が入れ替わっていて。
新品の調理家電一式が納められた棚、長―い作業台と、白いアイランドカウンター。
一通り見渡して私は思わずその大理石風の天板を撫でていた。
―――何なのー? 会長の一声でこんなにカネかけたことできんの?
そしてぱっと窓の方を見ると、白いデスクとパソコン、電話が。
「あ、これは?」
近寄ると、書類一式(といっても殆ど白紙)がそこにあった。デスクと言うか洒落たカウンター風で、傍らに引出しが備えてある。
「今日からキミはここで業務をしなさい」
「え?」
その言葉に押されるようにドアを出ると、がらんと広い会長室……。隅っこにあった申し訳程度の秘書机はきれいさっぱりなくなってる。
――――えぇぇぇーーーー!!
私は叫んだ。もちろん心の中で。
ーーー今日から、ここで。この中、『だけ』で? なんでっ?
「業者、昼前には来ると思うから、キミが立ち会って」
素っ気無く、会長は遠い窓際の席についた。