密室の恋 20
パキンッ……。
何か鳴ったような気がして、辺りを見回したら何にも落ちてなかった。
パキン、て耳鳴りか。何でパキンなんだ?
「失礼します……」
ドアを閉じて、ひとりぼっちになった。
ボーっと立っていた。
ここで、料理だけしてろって?
そうだよね。仕事だもん。
……今日のメニュー、何だったっけ?
頭がぶっ飛んで。
真新しい白いキッチンが何だか冷たく感じる。
『秘書でもないのに同じ部屋にいたんじゃ、目ざわりってことだよね?』
そんな風に思うと、沈んできた。窓の外の下界が霞む。たくさんの人間が動いているのに……すごい孤独感。
ーーハ、コーヒー入れなきゃ!
気付いたのはいつもより20分くらい遅い時間だ。急いで用意して出て行った。
会長は真剣にパソコン画面を見ていた。
そろっとカップを置くと、
「3時に来客予定だから茶請けを用意してくれ」
「はい」
と返事して「えっ?」と思った。
「……何かリクエストありますか?」
「ない。一昨日みたいなのでいい」
「はい。わかりました」
パタン、とキッチンに戻る。
来客かー。早く言ってよ。材料ないじゃん。
当然か。なけりゃ調達して来い、だよね。料理人なんだから(じゃないけど)。
がんばらなきゃ……。
ホントならケータリングとか、プロのシェフ呼ぶところ、会長の人間嫌いのせいで社員に昇格した私がやってる。私なんか何の資格もないのに。フードコーディネーターとか、パティシエとか、調理師免許とか持ってるわけでもない(栄養士は持ってるけど)。普通の事務系の簡単なのだけ。
にもかかわらず、こんな金かけるって、どんだけ〜!?
100万や200万じゃきかないだろう。昨日の店ではカウンターだけで参考価格300万超えだった。それが、壁際にもズラーだ。
てことは、500まん! とかもっと? あの社用車買えちゃうんじゃないの?
とりあえず味は合格、食ってやるから料理に専念しろってわけかい。
今日のメニューどうしよう。
……ロールケーキみたいなのでいいのかな。実は甘党なのかしら。
じゃあ思い切って『あまあま』でいこう!
見た目だけね。やっぱりお体のこと考えると低糖でいかないとね。
「すみません、出かけてきます」
会長はまだPCとにらめっこしていた。しかし完全無視かというと、そうでもない。
「ああ、買い物か?」
絶妙なタイミングだった。なんかそれってホントにどっかの旦那さんのようで、こそばゆい。
「はい」
買出しから戻ると会長はお仕事をしていた。
さあ、調理開始。ご主人様へお出しする『おつまみ』の用意だ。メニューはめぼしをつけていたもののアレンジだ。お菓子が(見た目)甘系なので、お昼は思い切り和風にしてみる。
キッチンは天板の高さが高めで、さすがに使いやすい。うちのおんぼろキッチンとえらい違いだ。古い昭和のキッチン。築ン十年のアパートの作り付けだからそれ相応の年代物だろう。流しが30cm、調理スペースもおなじくらい、あとコンロ台。流しに熱湯を流すとステンレスが『ボコン』と大きな音を立てる。
まあそれでも小さなワゴン買ってきたり、吊り棚などそれなりに工夫して使い勝手はまあまあなのだが。
とはいえ、最新キッチンは非の打ち所がない。『おつまみ』は予想外の速さで完成した。
まだ早いなあ、と思っていたところにお呼びがかかる。
業者さんが来たのだ。
「失礼します」
作業着の男の人が2人。1人は配線工事士さんだった。
「コンセントの位置ですがこちらでよろしかったですかね?」
「はい。ええと……」
改めてよく見ると、長ったらしいカウンターの壁面に2つ、コンセントが備わっていた。
「もし変えるようでしたら今すぐ出来ますよ」
「そうですね」
コンセント口4つ、それが2箇所だから合計8。これだけあれば大丈夫かな。まだ1回しか使ってないのでよくわからない。
『ごめんなさい、よくわからないわ。主人に相談するのでまたいらしていただけます?』
家を新築した新婚の奥さんならこう言うのかしら??
「すみません、こちらにひとつつけてもらえますか?」
きょろきょろして何故かデスク周りにコンセント口がないのに気付き、こじんまりとしたデスクの脇を指した。
「はい」
こちらでよろしいですか、と確認して、お兄さんは実に手際よく壁にしるしをし、ガガガとナイフのような器具でくりぬくと配線をいじって、ぱかとコンセントのパネルをはめた。ものの5分もかかってない。すごいな、あっという間だ。
『へー。こんなものなの?』
「それじゃ失礼します」
「何かありましたらまたご連絡ください」
業者さんが出て行ったついでに『お食事は』と聞くと『後10分したら持ってきてくれ』と言われた。
早速、新しいコンセント口にコードをつないでPCを立ち上げてみた。真新しい天板。突板なのだろうけどかすかに塗料の匂いが漂う。休憩室の合板のとは比べ物にならないくらい高そうだ。古材でオーダーしたカフェのテーブルを思い出した。これ新品なのに……。それ以前に、ここお店じゃないのに、なんでこんなオサレ仕様なんだろう?
まあいい。
ブログを見ることにした。
『ロールケーキいいなぁ。載ってるってことは、narsさんお食べになったってことですよね? 結構甘党さんかな?』
『ロールケーキ! 私、この前地元の有名なお店の買って食べたんですが、、、kofiさんはご自分で作れるからいいですね! うらやましいです』
情けないくらいいつも通りだった。
『うらやましいなんてとんでもないです! 未熟者なので日夜研究中ですよ。今日のデザートはピンク色のチーズケーキです。無事完食いただきましたらアップさせていただきますが、お客様にもお出ししないといけないので少々不安です』
コメントを書き終えると丁度ご指定の時間になり、私は立ち上がった。
『よっしゃ、心機一転!』
パンパンと服を直し、髪を簡単に結い上げて、手を洗って、ドアを出る。
「失礼します。お食事、よろしいですか?」
ああ、持ってきてと言われたので、コホンと息を整え、いつもより丁寧にトレイに載せてお運びした。
今日は和食。お品は季節の押し寿司だ。三段重ねの竹筒風の黒の漆器に、具材はきのこ&牛蒡&錦糸玉子、マツタケ、金目の昆布〆。お吸い物は金目の出汁で。箸休めに栗の和え物。
「それでは失礼します」
より丁寧にお辞儀して去ろうとした。すると、
「いいよ。そこにいて。今までどおりサーブしなさい」
と言われる。
『え、何すか、給仕しろってことかい』
努めて冷静に私は窓の脇に立った。いつも思うけど、高貴な人ってそばに人間がいてもお構いナシに食べられるものなのよね。私だったら気になって味なんてわかんなくなっちゃいそうなものだが。
会長は相変わらず美しくお召しあがりになる。
「美味いな、これまだある?」
とか。おもむろに。
『ございますよ。どうぞたんまり召し上がれ』
と余裕で返したいところだけど、何せマツタケと金目、値段が値段なので、ちっちゃいパックのしか買ってきてない(つまり切り身。マツタケにいたっては九州産のドちび級)。
「申し訳ございません。きのこと栗ならありますけど」
そう言うと、
「ならそれをくれ」
だって。
おかわりはちょっと大きめな器に盛り付けた。
栗は有名な丹波栗だ。残念ながら生じゃ売ってないので甘露煮で。さすがにこの色艶、膨らみ具合は値段張るだけあるなと思う。うちの田舎じゃ秋になるとそこらへんの道路の側面に生えてる自生の栗の木からイガごと落ちたのがごろごろ転がってたもんだが。誰も食べないし。サルが拾って食い散らかすので、かえって『迷惑』扱いされてたくらい。食べれないことはないんだけどね、栗の味するし。でも大体が小さいので処理が面倒くさい。
そんなこと思い出しながら突っ立ってると、
「キミ、髪を結んだんだな。そうしていると本当の給仕みたいだ」
こう言われた。
『ほんとうの、きゅうじぃ?』
それってなんかヤバくないですか? セクハラじゃないけど。
見るからにそんな顔をしていたのだろうか、会長は少しにやりとした。
「……これは失礼。私は少し口が過ぎる嫌いがあるな。特に女性に対して」
そうですよっ!
『せっかくいいお顔立ちされているのだからそういうところ直せばかなりいいせんいきますよ』
そう言い返せればしたいところだ。
「しかしどうしてもそうなってしまう。女性が身近にいないからな。ついつい男と同じ調子で接するので余計に遠のくのだろう」
うんうん、そうそう。
「すまないな。キミは給仕ではなく『社員』だ。以後気をつける」
ま!
何かちびっとばかし腹立つが、私は器を片した。
「3時くらいに来ると思うので用意をしておいてくれ」
「はい」
お任せください。3時にはスイートなピンクのケーキでおもてなしいたしますわ。
プププ、反応が楽しみ……。
そうして、3時前。客人は上がって来られた。物音がしたので出ると、
「客に茶を出してくれ」
会長がドアのそばに立って、そう言った。すぐ後ろに男の人が立ってた。若いめがねかけた男の人。
目が合うなりにこっとして、
「どうも〜〜。はじめまして。緑川です」
と、私に手を差し出した。