密室の恋3 その2
2010.07.10 Saturday 02:50
さあ、いよいよ本領発揮。
第2回目の昼食会は和やかに始まった。
今回は以前にもまして『質素』。
別にけちってるわけじゃなくて、『料亭で出るようなものは避けてくれ』って言われるんだもの。リッチなおじさまたちには私の家庭料理崩れの方が新鮮なのだろう。つくづく、私はラッキーだ。
前菜として自家製がんもどき、海老しんじょ白だし椀。こんにゃくのお刺身、冷製卵麺、メインはかつおのたたきとカレイの姿揚げ。そして先日の巻き寿司。
ひと通り箸をつけた後、しんじょをとっておじいちゃんが私に聞く。
「こちらは何が入っているのですかな?」
「はい。芝海老とすくも海老、とびうおです」
と、卵白に山芋を少しね。芝海老は江戸前ですよ。すっかり常連になってしまったデパ地下鮮魚コーナーおにいちゃんおすすめ。フードプロセッサーではなく、すり鉢で丹精込めてすりつぶしたおエビちゃん。ふふ、手間ひまかけてますわ。というより、ミッドタウンでゲットしたお気に入りのすり鉢をはやく試したかったわけだが。
しかし。
私はうっかりしていた。今の今まで気付かなかったなんて。
えび〜?
会長、小エビダメって言ってなかったっけ?
やばい、思いっきり小エビじゃん!
あわわわ……。
正に、会長がそれを口に入れる瞬間だった。気付くの遅すぎだって。
ぱくっ。
私の正面で躊躇なく口に入れる。
固唾をのんで見守る私。どきどき……。
会長は無表情で飲み込んだ。まるで、私の言葉なんて耳に入ってなかったかのように。
どうしよう。後で何か言われるかな。ことわりを入れておかなきゃ。
しかし。伊勢海老がOKで小エビがNGとはこれいかに?
お茶で流しこむ様子もない。よかったのかな?
おじいちゃんは、気に入ってくれたみたいだ。リズムよく咀嚼して飲み込んだ。
「なるほど〜。弾力が違いますな。家庭でする場合ははんぺんを入れるんじゃなかったかな」
それは手抜きでね。はんぺん入りはそれはそれで美味しいのだが。
「魚づくしとは結構ですな。頭がシャキーンとなる気がします」
「DHAでしたかな」
副社長の言葉におじいちゃんはうんうんと頷いた。
「あれも眉唾物らしいという話も聞きますが、魚が体にいいというのは本当だ。不飽和脂肪酸ですな。いや、実は息子の嫁が孫の食事にうるさくてねえ。食育というのでしょうか」
ちょっぴり表情が翳る。
「お孫さん、おいくつですかな」
「来年小学校に上がるのですよ。……どうしても幼稚舎に入れたいとはりきっているのです」
そこで「はあ」と大きなため息。
「それはそれは。お受験でしたか」
副社長が笑って和ませようとする。おじいちゃんは苦笑した。
「最初の子ですからなあ。熱の入れようがすごいのです。私につてはないのかと堂々と聞いてくるのですよ」
「そうですか」
「幼稚舎に受かってしまえば後はストレートで上までいけますからね。親の気持ちはよくわかるのですが」
またまた深いため息。ぷっ。お受験か。大変ですね。そんなちっちゃいうちから。
「食事から何から徹底しておりますわ。うちに来ても遠慮なくいちゃもんつけますからね。こっちも気をつかいます。ところで」
おじいちゃんは会長に顔を向けた。
「会長はアメリカの大学をご卒業されてましたな。失礼ですが、どちらで?」
「ハーバードです」
「ほう! 高校は」
「プレップスクールですよ。中学の途中から留学していました」
「ほぅ〜〜〜」
感心して首を振ると箸を持つ手を休め、更に続けた。
「日本ではどちらに?」
「学習院です」
「へー。塾へは?」
「いえ。行ってません」
会長、私の目にはいやそうな顔に見えるのだが。おじいちゃんの問いに淡々と答える。学部はとか取った資格はとか、えらく具体的な。会長の華々しい学歴に興味しんしんのご様子だ。
「なるほど、すばらしいですな! 是非うちの嫁に聞かせたい。アメリカかイギリスの大学でMBAを取らせたいなどと今から申しておるのですよ」
会長ははじめてふっと笑みを浮かべた。もちろん、『嬉』の意味はなく。皮肉たっぷりに言葉を返す。
「MBAを持っているからといってどうってことないですよ。修士の資格を持つ人間が職を探してうろついてる時代ですからね。日本でしたら東大に入って官僚を目指すコースの方がよほど確実です」
おじいちゃんは再度ふか〜いため息を漏らした。
「……ああ、夢がないですなあ。いや、孫はかわいいのですが嫁がねえ。そういえば、会長には弟さんがいらっしゃいましたな。失礼ですが、弟さんはどちらに?」
一瞬、副社長の表情がこわばる。おそらく、高広くんの事情を知っているのだろう。ちらと会長を見る。会長は、表情を変えない。落ち着いて答えた。
「私より弟の方がよほど優秀ですよ。ずっとアメリカにいました。工学関係ですがね」
「ほう。どちらに」
「カリフォルニア工科大学と、日本の東工大にもいたことがあります。とにかく、研究畑の人間でして」
「それはまた大変そうだ」
どういう意味で大変なのだろう。会長は小さく首を振った。
「いえいえ、決して処遇は低くないのですよ。早くからあれこれ、ネットサービスのプログラムなんかもやってましたね。もうじき実用化するあるシステムの開発に携わっていて、その報酬と年間フィーだけで私の年収を超えるんじゃないかな」
するっと言い切った。
おじ様2人感嘆の息。
私も内心ため息。
高広くんて、すごいのね。
……そうは見えんが。
「では、今はアメリカに?」
おじいちゃんが聞くと、再び副社長の顔が曇る。禁句ですよ。と顔に書いてあるけれど口には出しづらいよね。
「……実は長いこと行方をくらませていましたが、つい先日、便りがきましてね」
しかしそれを打ち消すかのごとく会長は実にあっさりと言ってのける。
「高広くんが! それは、よかったですなあ」
副社長は声を上げた。
私も思わず声を出しそうになる。
高広くん、連絡してくれたんだ。
よかったーー。
事情を知らない人にはこの高揚はわからないだろう。「ええ」と会長は頷く。
「何をやっているのか知りませんが、元気でいるようです」
「よかった、よかった。お父上もさぞお喜びになったでしょう」
副社長は本当に嬉しそうに、にこにこ笑みをこぼして。おじいちゃんは、空気に合わせてただ頷いていた。
別の意味でも、いい会食となった。相変わらず、取引関係の話は見えなかったけれども。
そろそろお持ち帰り用の品を用意しようかなと思っていたところ、おじいちゃんが言った。
「あの、すみませんがこの巻物持って帰れますかな。私の秘書嬢にやりたいと思いまして」
ちょっとばかし照れくさそうに。巻き寿司は最後のひとつ。皿に残して。
「かしこまりました。では、一折用意してまいります」
私はにっこり微笑んだ。
秘書嬢にお土産だって。かわいいところあるじゃん。
おじいちゃんは更に、キュートな小声で付け加える。
「あと、松前漬け、あります?」
「はい。ございます。ご一緒にお包みしますので」
「ああ、嬉しい。実は、こちらで頂いた松前漬けがまた食べたくなって、そこの高島屋に注文したのですよ。女房に言っても作りはしないし、買ってきてもくれないので。息子が巣立ってから、すっかりしなくなってしまいました。2人分作るのは面倒だし買った方が美味しいと言うのです。お陰でキッチンは汚れませんがね」
ハハハと笑う格好だけしてみせるおじいちゃんに、副社長はウンウンと頷きながら相槌を入れる。
「ああ、うちも似たようなものですなあ。息子が生まれて以来、ハンバーグやらカレーやらばかりになってしまって。たまに筑前煮や煮しめをリクエストするとしぶしぶ作ってはくれるんですが、どうも味付けが妙なんですわ」
なるほど。
料理拒否妻に、作るけど味付けが残念妻か。
だから2人とも家庭料理をありがたがるのね。ふむふむ。
「お茶も、菓子もできれば全部いただいて帰りたいくらいで……」
どっちにしても過剰評価だよね。こんなの、そこらの食堂でも出してるって。
「おそれいります」
もったいないお言葉を背にキッチンに戻って包んでいると、小さくドアをノックする音がした。振り返ってみると、副社長が顔を覗かせた。
「市川さん、すまんが私にも貰えんかね。秘書さんに食べさせたいんだ」
いつもの謙虚さがまして、すまなさそうに顔の前で左手を垂直に振る。
「は、はい」
私は答えはしたものの、内心、驚いた。「じゃあ、すまんね」「いいえ」
切り分けたものを更に半分に分けて折りに包んだ。
気持ち、オサレに見えるよう、それらしく竹紐を結んで。
2人はご機嫌で帰っていった。
が、私はちょっと、ゆく先が気になる。
横森さんに? 大丈夫かなあ……。
第2回目の昼食会は和やかに始まった。
今回は以前にもまして『質素』。
別にけちってるわけじゃなくて、『料亭で出るようなものは避けてくれ』って言われるんだもの。リッチなおじさまたちには私の家庭料理崩れの方が新鮮なのだろう。つくづく、私はラッキーだ。
前菜として自家製がんもどき、海老しんじょ白だし椀。こんにゃくのお刺身、冷製卵麺、メインはかつおのたたきとカレイの姿揚げ。そして先日の巻き寿司。
ひと通り箸をつけた後、しんじょをとっておじいちゃんが私に聞く。
「こちらは何が入っているのですかな?」
「はい。芝海老とすくも海老、とびうおです」
と、卵白に山芋を少しね。芝海老は江戸前ですよ。すっかり常連になってしまったデパ地下鮮魚コーナーおにいちゃんおすすめ。フードプロセッサーではなく、すり鉢で丹精込めてすりつぶしたおエビちゃん。ふふ、手間ひまかけてますわ。というより、ミッドタウンでゲットしたお気に入りのすり鉢をはやく試したかったわけだが。
しかし。
私はうっかりしていた。今の今まで気付かなかったなんて。
えび〜?
会長、小エビダメって言ってなかったっけ?
やばい、思いっきり小エビじゃん!
あわわわ……。
正に、会長がそれを口に入れる瞬間だった。気付くの遅すぎだって。
ぱくっ。
私の正面で躊躇なく口に入れる。
固唾をのんで見守る私。どきどき……。
会長は無表情で飲み込んだ。まるで、私の言葉なんて耳に入ってなかったかのように。
どうしよう。後で何か言われるかな。ことわりを入れておかなきゃ。
しかし。伊勢海老がOKで小エビがNGとはこれいかに?
お茶で流しこむ様子もない。よかったのかな?
おじいちゃんは、気に入ってくれたみたいだ。リズムよく咀嚼して飲み込んだ。
「なるほど〜。弾力が違いますな。家庭でする場合ははんぺんを入れるんじゃなかったかな」
それは手抜きでね。はんぺん入りはそれはそれで美味しいのだが。
「魚づくしとは結構ですな。頭がシャキーンとなる気がします」
「DHAでしたかな」
副社長の言葉におじいちゃんはうんうんと頷いた。
「あれも眉唾物らしいという話も聞きますが、魚が体にいいというのは本当だ。不飽和脂肪酸ですな。いや、実は息子の嫁が孫の食事にうるさくてねえ。食育というのでしょうか」
ちょっぴり表情が翳る。
「お孫さん、おいくつですかな」
「来年小学校に上がるのですよ。……どうしても幼稚舎に入れたいとはりきっているのです」
そこで「はあ」と大きなため息。
「それはそれは。お受験でしたか」
副社長が笑って和ませようとする。おじいちゃんは苦笑した。
「最初の子ですからなあ。熱の入れようがすごいのです。私につてはないのかと堂々と聞いてくるのですよ」
「そうですか」
「幼稚舎に受かってしまえば後はストレートで上までいけますからね。親の気持ちはよくわかるのですが」
またまた深いため息。ぷっ。お受験か。大変ですね。そんなちっちゃいうちから。
「食事から何から徹底しておりますわ。うちに来ても遠慮なくいちゃもんつけますからね。こっちも気をつかいます。ところで」
おじいちゃんは会長に顔を向けた。
「会長はアメリカの大学をご卒業されてましたな。失礼ですが、どちらで?」
「ハーバードです」
「ほう! 高校は」
「プレップスクールですよ。中学の途中から留学していました」
「ほぅ〜〜〜」
感心して首を振ると箸を持つ手を休め、更に続けた。
「日本ではどちらに?」
「学習院です」
「へー。塾へは?」
「いえ。行ってません」
会長、私の目にはいやそうな顔に見えるのだが。おじいちゃんの問いに淡々と答える。学部はとか取った資格はとか、えらく具体的な。会長の華々しい学歴に興味しんしんのご様子だ。
「なるほど、すばらしいですな! 是非うちの嫁に聞かせたい。アメリカかイギリスの大学でMBAを取らせたいなどと今から申しておるのですよ」
会長ははじめてふっと笑みを浮かべた。もちろん、『嬉』の意味はなく。皮肉たっぷりに言葉を返す。
「MBAを持っているからといってどうってことないですよ。修士の資格を持つ人間が職を探してうろついてる時代ですからね。日本でしたら東大に入って官僚を目指すコースの方がよほど確実です」
おじいちゃんは再度ふか〜いため息を漏らした。
「……ああ、夢がないですなあ。いや、孫はかわいいのですが嫁がねえ。そういえば、会長には弟さんがいらっしゃいましたな。失礼ですが、弟さんはどちらに?」
一瞬、副社長の表情がこわばる。おそらく、高広くんの事情を知っているのだろう。ちらと会長を見る。会長は、表情を変えない。落ち着いて答えた。
「私より弟の方がよほど優秀ですよ。ずっとアメリカにいました。工学関係ですがね」
「ほう。どちらに」
「カリフォルニア工科大学と、日本の東工大にもいたことがあります。とにかく、研究畑の人間でして」
「それはまた大変そうだ」
どういう意味で大変なのだろう。会長は小さく首を振った。
「いえいえ、決して処遇は低くないのですよ。早くからあれこれ、ネットサービスのプログラムなんかもやってましたね。もうじき実用化するあるシステムの開発に携わっていて、その報酬と年間フィーだけで私の年収を超えるんじゃないかな」
するっと言い切った。
おじ様2人感嘆の息。
私も内心ため息。
高広くんて、すごいのね。
……そうは見えんが。
「では、今はアメリカに?」
おじいちゃんが聞くと、再び副社長の顔が曇る。禁句ですよ。と顔に書いてあるけれど口には出しづらいよね。
「……実は長いこと行方をくらませていましたが、つい先日、便りがきましてね」
しかしそれを打ち消すかのごとく会長は実にあっさりと言ってのける。
「高広くんが! それは、よかったですなあ」
副社長は声を上げた。
私も思わず声を出しそうになる。
高広くん、連絡してくれたんだ。
よかったーー。
事情を知らない人にはこの高揚はわからないだろう。「ええ」と会長は頷く。
「何をやっているのか知りませんが、元気でいるようです」
「よかった、よかった。お父上もさぞお喜びになったでしょう」
副社長は本当に嬉しそうに、にこにこ笑みをこぼして。おじいちゃんは、空気に合わせてただ頷いていた。
別の意味でも、いい会食となった。相変わらず、取引関係の話は見えなかったけれども。
そろそろお持ち帰り用の品を用意しようかなと思っていたところ、おじいちゃんが言った。
「あの、すみませんがこの巻物持って帰れますかな。私の秘書嬢にやりたいと思いまして」
ちょっとばかし照れくさそうに。巻き寿司は最後のひとつ。皿に残して。
「かしこまりました。では、一折用意してまいります」
私はにっこり微笑んだ。
秘書嬢にお土産だって。かわいいところあるじゃん。
おじいちゃんは更に、キュートな小声で付け加える。
「あと、松前漬け、あります?」
「はい。ございます。ご一緒にお包みしますので」
「ああ、嬉しい。実は、こちらで頂いた松前漬けがまた食べたくなって、そこの高島屋に注文したのですよ。女房に言っても作りはしないし、買ってきてもくれないので。息子が巣立ってから、すっかりしなくなってしまいました。2人分作るのは面倒だし買った方が美味しいと言うのです。お陰でキッチンは汚れませんがね」
ハハハと笑う格好だけしてみせるおじいちゃんに、副社長はウンウンと頷きながら相槌を入れる。
「ああ、うちも似たようなものですなあ。息子が生まれて以来、ハンバーグやらカレーやらばかりになってしまって。たまに筑前煮や煮しめをリクエストするとしぶしぶ作ってはくれるんですが、どうも味付けが妙なんですわ」
なるほど。
料理拒否妻に、作るけど味付けが残念妻か。
だから2人とも家庭料理をありがたがるのね。ふむふむ。
「お茶も、菓子もできれば全部いただいて帰りたいくらいで……」
どっちにしても過剰評価だよね。こんなの、そこらの食堂でも出してるって。
「おそれいります」
もったいないお言葉を背にキッチンに戻って包んでいると、小さくドアをノックする音がした。振り返ってみると、副社長が顔を覗かせた。
「市川さん、すまんが私にも貰えんかね。秘書さんに食べさせたいんだ」
いつもの謙虚さがまして、すまなさそうに顔の前で左手を垂直に振る。
「は、はい」
私は答えはしたものの、内心、驚いた。「じゃあ、すまんね」「いいえ」
切り分けたものを更に半分に分けて折りに包んだ。
気持ち、オサレに見えるよう、それらしく竹紐を結んで。
2人はご機嫌で帰っていった。
が、私はちょっと、ゆく先が気になる。
横森さんに? 大丈夫かなあ……。