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密室の恋 28

今時の家っていいなあ。この匂いもそうだしすっきりしてて。
目覚めるなりそう思った私だったが、すぐに訂正。
ドアを開けるとLDK。そこにいる人といきなり対面しなくちゃならない。
「おはよう、市川さん。ゆっくり寝れた?」
きゃ、このおきぬけの顔〜。
「は、はい。おはようございます」
「おお、おはようございます」
向こう向きに座っていた男の人がこっち向きながらでっかい声上げた。
声もでかいが体もでかい。
旦那さんだ〜。
「おはようございます、いつもお世話になってます。市川です」
しょっぱなからこの挨拶。
「こちらこそ、家内がいつも世話になっとります」
きゃ、家内だって。ぷるぷる、とんでもない、室長にはとってもよくしてもらってます!
「顔洗ってらっしゃいな。洗面所空いてるわ。着替えは洗濯機の横の棚の上ね」
手際よく言われ、そそくさと廊下に出て行く。
言われたとおり私が昨日着ていた服一式がそこに畳んであった。室長は夜の内に洗濯乾燥と済ましてしまうらしい。まだあたたかい、てことは予約タイマーなのかな。
「いいなあ、これが家庭だよね」
ああ、やっぱあこがれるわ。でっかいドラム式洗濯乾燥機にぴかぴかの洗面台。いいな〜。
「市川さん、ありあわせのものしかないけど、どうぞ」
「すみません、いただきます」
ありあわせってすごい量なんですけど。味噌汁、焼き鮭、野菜炒め、デカソーセージ、スクランブルエッグ、トマトスライス……。旦那さんがまあぱくぱくと気持ちいいこと! 間近で見るとほんとにいい体格してる。体育会系の中でもアメフト系の筋肉のつき方だ。
「ご飯とパン、どちらにする?」
「あ、じゃ、パンいただけますか」
室長真似てロールパンにエッグとトマト挟んで食べる。コーヒーの匂いに包まれて……ほんまもんのしあわせごはんだ。
「ところで市川さんは、コーヒーのスペシャリストなんだって?」
でかい声で突然ふっかけられる。
「えっ。と、とんでもない。そういうお店でバイトしてただけで。たまたま、です」
「へえ。んでも大したもんだね。……一時コイツ半ノイローゼ状態だったからさ。朝昼晩コーヒーコーヒーコーヒー。何杯飲まされたかなあ」
えっ。そうなんだ。やだなあ、会長ったら。
「ほほほほ。お恥ずかしいわ。これでも私、コーヒーくらいは普通に入れられるつもりでいたのよ」
「ネット検索したり本探したり、ポットやらミルやら買ってね。僕もコーヒーには結構うるさい方なんではまっちゃってさ。それで見つけたのがこれなんですよ。気に入りのブレンド」
と、カップをすする。
「ふふ、この人、将来の夢が喫茶店のマスターなのよ」
「へぇ〜〜」
私のリアクションに旦那さんはニヤニヤしてる。
「だから私、仕事辞められないの」
と小声で室長。
いいなぁ……。こういう旦那さんと晩酌したら楽しいだろうな〜。珍しく具体的な結婚生活の場面を思い浮かべたりして。友達の彼氏なり旦那さんなりにはいないタイプだ。


その旦那さんの運転する車で出社するらしい。ガレージには昨夜はなかったでかいSUVっての? そういう車がとまっていた。
「さあさあ、どうぞどうぞ」
「あなた、安全運転で頼むわよ」
「オッケー」
車高が高いのでよっこらしょと乗り込んで。室長も並んで後ろのシートへ。
ブオンと威勢のいいエンジン音。暖房ガンガンモード。時代に逆行してるかもしれないタイプの車だけど、この旦那さんにはこれしかないってくらい似合ってる。
で、これまた細い道をスピード落とさずスイスイ進むんだな。
初めてだな。こういう高さで見る東京の景色……。裏道なのでどこ通ってるかよくわからない。

「素敵な旦那さんですねえ。ありがとうございました」

お世辞じゃなくて本音で。都庁近くで下ろしてもらって、歩きながら話は弾む。スポーツトレーナーのご主人は昼前出勤でジムの営業時間の関係で夜遅いのだそう。

「ふふ、うち、アウトドア派なのよ。私以外はね」
「そうですかあ。憧れます」
「外で騒ぐ分はいいのだけどね。家にも呼びたがるから……。喫茶店の話もその延長。要するに仲間を集めて騒ぎたいのよ」
かわいい旦那さんだ。でも奥さんは大変、かな? 室長はほっそりした白いコートにブーツと上品な格好。こんなお嬢さんがどうやってあの旦那さんと知り合ったんだろうか。
「カフェじゃなくて喫茶店ってとこがね」
そこではあ、とため息。話だけ聞くと楽しいイメージばっかりだけど、実現するには段取りってもんが必要なわけで。家でも影ながらの努力してるわけですね、室長。
「大きな子供みたいよね。男の人ってね」
ああ、わかるな〜。私も結婚したらそんな台詞実感込めて吐くようになるんだろうか。
「市川さんが来てくれてあの人も嬉しいのよ。家ががらんとしてるのが嫌いな人だから。今日も是非泊まっていって頂戴。ね?」
え〜〜。いいのかな。


「おはようございます」
着替えて秘書室に入ると、吉永さんと横森さんがあちら向きに立っていた。立ち話な雰囲気でもなく。「おはようございます」挨拶は返ってくるが何となくいやなムード。つんっと横森さんがきびすを返して出て行った。
何なんだろう?
昨日の態度といい、気にかかるが口に出せない。
「室長、今日は社長が午後いらっしゃらないのでこっち来て手伝いますね」
いつもの吉永さんの顔だ。
「じゃね、市川さん、後で」

また昨日のメンバーだけになる。
今日の仕事は再来週分の重役会議の資料作り。相変わらず重要な書類は回って来ず、派遣の延長でまったり進める私。
思うところがあり、お昼前に室長に申し出た。
「室長、午後、給湯室使わせてもらっていいですか」
「ええ。どうぞ。コーヒー?」
「はい」
「まあごめんなさいね。でも嬉しいわ」
「昼休憩ちょっと外出してきます」
「はいはい」

何日ぶりかな。お昼の買出し。ついでにショッピング。会社を出てまずユニク○でブラトップとショーツを買う。色気ナッシングだけどいいの。安いし。その後勝手知ったるデパ地下で買い物。バター、チョコレート、ダークチェリー、クリームチーズ、生クリーム、グラニュー糖……。

戻ってまた作業に没頭。しばらくすると社長の見送りから戻ってきたらしい吉永さんがやってきた。入れ替わるように室長がプレゼンの打ち合わせで出て行く。吉永さんは室長の仕事を引き継ぐみたいで彼女の席に着いた。
頃合を見計らって私は給湯室へ。

「コーヒー飲まれます?」
「あ、いいの? ありがとう」
「わーい、待ってました」

給湯室の最低限の道具でできるちょこっとメニュー。
ネットサーフィンで見つけたレシピなのでお初なんだけど簡単だし味の想像つくし。
ホイルで型作って買ってきたもの混ぜただけの生地流し込んでオーブン機能付のレンジで焼くだけ!
乳脂肪もお砂糖もてんこもりだけどブラウニーってこのくらいこってりしてなくちゃ美味しくないのよ。

「わ〜。いい匂い、何々?」

出来上がってドアを開けるなり吉永さんが寄って来た。室長も戻ってきている。

「うぉ、うまそう」
「かなり甘いけどいいですか?」
「何でもいただきます!」

二口分に切り分けたブラウニーをレースペーパーに置いて皆に配って。
はい、おやつの時間ですよ〜。
材料ケチらずに投入したお陰で濃厚なスイーツの香り。
超高カロリーだけど。秘書さんたち頭使うだろうからいいよね?

「わぁ、幸せ〜。市川さんって上手ねえ」
「そんなことないですよ。これ簡単なんで」
「作るって気持ちに持っていくのが大変なんだよ」
「お店に行くの一回得した気分」

本当に誰でも作れるんだけどな。

一度流し台に戻って残りのブラウニーを他の秘書室メンバーに分けて包んでリボンして。
自分の席に着こうとしたその時だ。
ドアが開いて、横森さんが入ってきた。
何故かシン、とする室内。
横森さんは室長に向かって、
「すみません、じゃ、お先に失礼します」
ほんのちょっと頭を下げた。
そしてドアの前、私の耳元をかすめるように接近して、

「これでたらしこんだんだ。すごいね」

息で囁いた。デスクの上のお菓子の残骸を見やって。

「えっ」

瞬間、体が凍りついた。
何秒だったろう。
瞬間冷凍って表現がぴったりのカチコチ状態……。


「あーあ、感じわるっ」

吉永さんの大きな声が頭を通り抜けてく。

「吉永さん……。おやめなさい」
「だってー。何かと子供が子供が、で抜けるでしょ? 今日だって……」
「それは仕方ないでしょ。あなただってライブに行くからって代わってもらったことあったじゃない」
「ですけどー。昔の話ですよ。気を遣って誘わないようにしたら逆にすねちゃうしー」
「歓迎会のこと?」
「そうですよ。あーーー、むかつくっ!」

ダン、と大きな音がした。

『いぃ!?』

フォークが突き刺さってる。かなり分厚いマウスパッドと思しき物体。
握りしめるのは……あの理知的な吉永さん?

「よ、吉永さん、危ないから」
「ジーザスッ」

高く振りかざして。

ドゥィィーーーン。

妙な鈍い音がしてフォークは吹っ飛んだ。
刺し所が悪かったのか。
吉永さんの力が勝り過ぎたのか。

『ひぃぃぃーーー』

「ほ、ほほほほ。もうやあねえ」
「市川さんもあの人に近寄らない方がいいわよ。最近機嫌悪いのよ」
「やめなさいって」

室長の制止なんてなんのその、吉永さんは止まらない。

「彼女、市川さんと同じく派遣で上がってきた人なのよ」
「えっ」

そうなんだ。

「うち、来年度から派遣の採用やめるのよ。ほら、最近色々うるさいじゃない? 今いる派遣社員の内『デキる』人は本採用に通してる最中なの」

ええーー。知らなかった。私、駆け込みセーフってヤツ??

「プライド高いからさ。市川さんのこと変にやっかんでるかもしれないね。あの人、会長と特に合わなかったから」

やっかむって、こんな私を?
あ、でも、さっきのあの台詞。誰にも聞こえなかっただろうけど、鬱積した感情が漏れ出て来た様子だった。

「会長があんなになってしまわれたのには仕方ない理由があるの。皆知ってるからまだ我慢できるんだけど、あの人はね、もう何言ってもダメ。家庭がどうのこうの、ピーチーエーが何たらかんたら、言い訳ばっかり」
「吉永さん……。だからそれはそれで大変なのよ。私もそうだったんだから。私は親の援助が受けられるけど横森さんは違うでしょ? 全部自分達でやらないといけないのよ。大変だと思うわ」
「そんなの! んなことやってる人ごまんといますよ!」

うわー。何だか知らないけどこの2人の間で何かあったみたいだ。
誰も彼女を止められず……。話は続く続く。

「だからー。自分のことしか見えてないでしょ? 世の中はもっと広いんだっての! 会長だって好きで会長やってるわけじゃないじゃない!」

「そ、そうなんですか?」

私が弱弱しく聞くと「そうよ」ときっぱり吉永さんは言った。

「うちの役職じゃなかったしね。本当はアトランタのLEX社のEVPに就任される予定で話も進んでたの。その合併話がこじれにこじれて……。何年前かな? ニュースでちょっと流れたんだけど知らない? 突然S物産の赤字部門買収なんて話が降って沸いたように持ち上がってきて」

S物産? 私はどきっとした。会長が言ってたことと重なるじゃん。
そう、やっぱ重大事件だったんだ。会長……。

「米側はかんかんよ。前会長は倒れちゃうし。コーディネートしたのがあの人だったから責任とってその処理っていうか関連雑務をやってるの。会長という肩書きで。だから本来ここにいらっしゃる予定でなかった人なの。お気の毒だって皆思ってる」
「アトランタ……。じゃあ会長はいずれそちらへ?」
「そう。それが伸びに伸びてあと1年くらいかかりそうなの」

ずーーんと沈む。
そうなんだ。

「あーー、むかつくむかつくむかつく! ぜーーったい社長秘書の座は譲らないんだからっ」
「吉永さんたら……。何もそこまで思ってないでしょ」
「思ってないとは限らないじゃないですか! 私、絶対やめませんからねっ」
「ほらほら……。落ち着いて頂戴、それは人事が決める話よ」
「いやですっ」



会長、いなくなっちゃうんだ。
じゃ、私、私は……?
ひょっとして、タイムリミット1年?

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