密室の恋 29
「本当にそれだけでいいの?」
「はあ」
食事時のにぎやかな店内。
室長の前には、名前なんだったかな? グツグツ煮えたぎる坦々麺風の赤茶色のスープにニラもやし餃子ひき肉てんこ盛りの1人鍋。
外見に似合わず結構いけるんですね……。
うまそうな匂いがこっちにも漂う。
普段なら絶対こういうの頼むんだけどな。
「いただきます」
おじやに箸、じゃなくれんげをつける私(しょっぱなからいきなりこれかい)。
『これでたらしこんだんだ』
あのひとことが重くのしかかってテンションぐーーんと低い。
「市川さん、さっきのお話気にしないでね。聞かなかったことにして」
まあそれは私だけの胸の内に置いとくとして。
思わぬ内部事情を聞かされ私が気にしているだろうと室長は気を遣ってくれて、鍋料理専門店に連れて来てくれたわけだ。
「横森さん、派遣社員さんだったんですね」
やはり食の進まない私はポツリ呟いた。
「ええ。随分前の話よ」
「すごい出世ですよね」
「当時はね。就職情報サイトに載ったことがあったわ」
へえ。
つまり、派遣の星ってわけか。
プライドあって当然じゃん。
なのに、お茶の味が少々微妙なくらいでけなされて(会長……)。
私みたいなのが突拍子もなく上がってきて、お茶汲みだけで同じくらいの給料貰ったんじゃあ、そりゃ面白くないよね。
『やっかんでるかもしれないね』
だよね。ああ、落ち込む。
それに。
『のびにのびてあと一年くらいかかりそうなの』
って。それって私の仕事もあと一年ってこと? その後は……。
はぁー……。
「もっとお食べなさいな。今晩は冷えそうよ」
「はあ」
心配かけても悪いので無理やり流し込んだ。
確かに寒い夜だ。
またまたお世話になる室長宅はタイマーなのか暖房がガンガン効いてて快適だった。
シャワーの前にこそこそユニク○の下着を開封する私。
「まあ、気を遣わなくてもいいのに」なんて言われたけど、連日ぱんつの世話までさせちゃあいけないよね。
早めに寝よう……。
とするも、布団被るとあの言葉が頭の中ヒュンヒュン流れる。
コワイよ。
秘書室があんなにギスギスしてたなんて知らなかった。
社長秘書と副社長秘書が犬猿の仲、なんて……。
新米田舎娘がそれに火をつけちゃったのか。
うなだれもせずけろっとしてるもんだから……。
せめて悲壮感漂わせてりゃ良かったのか。
知らなかった。KYだったのね、私って。
私、1年後どうしてるんだろう?
いきなり、ハイ、終了〜?
もしかして、秘書室雑用係?
あんなところで仕事するのならまだ前の部署のほうが良かったな。
怖くて聞けなかった。
でも。ちゃんと聞いておかなきゃ。
ああ、会長、早く帰ってこないかな……。
「おはようございます」
「おお、おはよう!」
「おはよう、市川さん」
朝からハイテンションな旦那さん。
身支度して席に着くと、昨日と同様ににぎやかな食卓の、旦那さんの分は大方済んでいた。
「今朝は冷えるなあ。そろそろ雪が降るかもしれないね」
「まだ11月よ、それはないでしょう」
旦那さんは大きなグラスに豆乳を注ぎ、半分くらいになったところで別の紙パックにチェンジ。
何となく見ていて「あれ?」と思った。
見覚えのあるパッケージ。
「これ、白バラコーヒー?」
「ああ、そう。うまいよ。飲む?」
すすめられた流れでコップに注ぐ。
旦那さんはぐい飲みして、空いた皿にパンとウィンナーをのせてフォークでさした。
まだ食べるんかい……。
「コーヒー三昧だった頃見つけたんだよ。鳥取の大山のコーヒーなんだ。っても知らないだろうね。大きい山と書いてだいせんって読むんだよ」
やはり田舎扱いか。まあいい。
「知ってますよ。私、松江出身なんで」
「えっ。そうなんだ。オレ、大学が関西で、よくスキーに行ってたんだ。そのときこれ知ってさ。こっちで売ってるなんて思わないから見つけたとき感動した。市川さんは滑れる口?」
「はあ、まあ」
大山まではあんまり行かないけど。
しかし都会人にこんなに喜んでもらって幸せだな。コーヒー牛乳よ。はるばる東京までやってきた甲斐があるってもんだ。
「親戚の家の裏山でちょろちょろ滑るレベルですよ」
「ほー。そりゃいいねえ。貸切じゃん。じゃあ夏はBBQし放題?」
「そうですねえ。田んぼ以外何もないですからね」
「羨ましいなあ、海も山も近いもんな」
「そりゃ田舎ですから」
ハハハ……と自虐的な笑みを返す私。
適当に終わらせようと言う意味を込めてのものだったが。
旦那さんの話はずっと続いて(体育会系……)、車から降りる前まで主にスキーについて、蔵王の雪がどうのこうのとかやっていた。
何か体がぽかぽかするなあ。車も暖房効かせすぎか?
静かな室内で黙々と作業しているからなのか、頭がぼーっとして、いつのまにかお昼に吉永さんと室長と社食に行く流れになっていた。
ここの社食30Fにあってさすがに眺望はすばらしいのだが、上のキッチンには負けるよなあ。インテリアの面で。
早く戻りたい……。
ぼんやり思って、うどんをすする。
「市川さん、元気出してね。皆何とも思ってないから。ほら、吉永さんも言ってあげて頂戴」
「気を悪くしたらごめんね。でもね、来てくれて助かってるのは本当よ。ボスのお仕事がスムーズに進むよう気遣いをするのも私たちの仕事なの。それって、秘書のポイントなのよ」
「はあ……」
ボス? ああ、会長か。助かってるって。あの人の仕事が順調かどうかなんて私には分からない。
「会長のご機嫌伺いをしなくてよくなってみんなほっとしてるの。市川さん想像できないだろうけど本当に雲泥の差なんだから。トップのお食事の世話をするのも立派なお仕事じゃない? ストレス減って商談がまとまれば会社にもみんなにもいいんだし」
会長も同じようなこと言ってたっけ。
釣りごときで『100億の商談がまとまるのだから安いものだ』って。
そういう感覚ってこの人たち特有なのだろう。
貧乏人にはちょっと……ね。
「……なのにあの人ったらさ。あんなにカシカシして副社長気が休まるのかしら。お気の毒よ」
「ほらほら、それが余計でしょう」
「はいはい。でもそうじゃないですかー? 今日の外回りも長引いたりして」
副社長。あの釣りきちおじさんか。
にこにこしてたけどなあ。お土産まで持ってきてくれて。
どうなんだろう……。
秘書が有能すぎて気が休まらないって。本末転倒だ。
「ね、ところで今日も何か作ってくれるの?」
「え? いえ、まだ考えてないです」
「そっか。もし作ったら私の分キープしててくれない?」
「は、はあ」
「吉永さんたら」
何だかあんな風に言われると今日も一品用意せざるを得ない、というか。
どうしようかな。本日のスイーツ。
ちょっと迷ったけど昨日の残りで簡単なカップケーキを焼くことにした。
マーブルや水玉などかわいい模様の紙の容器を昨日しこたま買い込んでいたので、それに生地を流し込んでオーブンでベーキング。
ナッツやベリー、ホイップした生クリームを別の器に添えてトレイにのせお出しする。
「かわいいわね」
「いい匂いするねえ。すぐそこで作ってもらえるのっていいねえ」
「クリームはケーキにつけてもいいし、コーヒーに浮かべてウィンナコーヒーにされてもいいですよ」
「おお、いいねえ」
意外と甘党な男2人。クリームをぼとりとコーヒーに落とした。
「いただきまっす」
「う〜〜ん、いい香り〜、癒される〜」
皆にこにこにこ……。出してよかったなと実感する瞬間だ。
大したものじゃないけどこれしかとりえがないし。
しかし。
もう少し時間をずらすなり配慮した方が良かったかもしれない(やっぱりKY?)。
横森さんが現れたのだ。
「あ、よろしかったらどうぞ」
カップケーキをすすめる私。
「コーヒー、でいいですか?」
立ち上がってくらっとした。
『ん?』
何か変だ。
天井がぐにゃっとしてる。
「へえ、また作ったの」
「は、はい」
「ねえ、今度教えてもらえない?」
うわ、挑発〜〜。
無論そのつもりで言ってるのじゃないのは私でも分かる。
「ええ」
ヘラヘラ口を半開きにするも、ひきつっていたかもしれない。
またまたしーんとする。
誰かなんかフォローしてくれよ、オイ。
緊迫した状況であるにもかかわらず……男共はケーキを口に運びコーヒーをすするし。
「子供にね、たまには手作りのもの作って食べさせたいの。市販のものだと不安じゃない」
「あは、そうですね」
「お上手なのよねえ。市川さんは何か免許お持ちなの?」
「い、いえ……」
『お子さんおいくつですか?』
何も知らなければそう切り替えしていただろう。KYでもなんでもいい。でも今はちょっと。出てこないっす。
そんな午後3時前。
勢いよくドアが開いた。
それはいつぞやのように、バァン、と。
私は背中を向けていたので、誰が入ってきたかわからない。
「か、会長?」
室長の驚きの表情。
あまりに露骨な驚きようにつられて後ろを振り返ると、なんと会長が立っていた。
予定じゃまだ雲の上……のはず。
「会長」
「会長、おかえりさない」
唖然とした顔を無理やり戻し、即効で立ち上がって頭を下げる面々。
私は驚いて突っ立っていた。
「これは土産だ。皆で分けなさい」
会長は相も変わらずクールな顔でさっとでかい紙袋を室長に差し出した。
「は、はい、ありがとうございます」
そしてすぐ横の横森さんを一瞥。
キッ。
『ひぃっ』
次に私だ。
「か、会長?」
マジで?
目が合ってどきっとした。
「来なさい」
「えっ」
ぐいっと手を引っ張られ、私はドアの外へ連れて行かれた。
えっえっえーー? てっ、手がーー。
こんなに強く手を握られてドキドキドキ……。
と私の乙女心が勝手に暴走するも、実際は物みたいに持っていかれて着いたのは懐かしの会長室……。
ドアが開くなり、こころなしヒンヤリ感じた。
「すまないが、一杯入れてもらえるか? 落ち着かないんだ」
「は、はい」
突然の寸劇に熱は一時的に引いたらしい。
挨拶する間もなく私はキッチンへ立った。
『エスプレッソでいいんだよね?』
ぱっと浮かんだのでそういうことにしてマシンを動かす。
出来上がって持っていくと会長は既に席についてPCを開けてるとこだった。
『ホントに会長か?』
これって本物だよな? 夕方着便に乗ってるはずが何故?
マジマジ見つめてしまうって……。
「お帰りなさいませ」
サーブするそのついでに今更ながらぺこっと頭を下げた。
「ああ、急ぎで悪いが何か出してもらえるか?」
「え?」
瞬間、こう返した。
「パンでもいいですか?」
「何でもいい。食事が合わなくて……いらいらするんだ」
『へ?』
不思議な空気に包まれる私。
食事が合わないって、出張先はアメリカだ。
あんたアメリカに住んでたんじゃないの?
パーティ続きで和食が恋しくなったって意味?
ごはんのほうがよかったかしらん??
1人(脳内)つっこみしつつ後ずさり。
キッチンに戻り、席に着いた。
いつものようにPC電源を入れて、ふと窓の外を見る。
何日ぶりだろう……。この景色。
じ〜〜んと胸が熱くなる。
ああ、やっと戻ってきた――…。
色々あった分感慨もひとしおで。
ぼ〜〜っと眺めていた。
パークハイアット。
摩天楼と呼ぶにはちと寂しいが、ビル群の中にそびえ立つパークタワーの高層階に陣取る、東京で1、2を争う人気ホテル。
あの日私が余計なこと言わなきゃいい記念になったのになあ……。
立ち上がったのに気づいてブログにアクセス。
タイトルが出て、画面表示しかけのところで私はそこにうつ伏せた。
そもそもこんなタイトルつけなきゃあ、店長も押しかけてなんてこなかったろう。
仕事だっつーのに調子乗ってきゃーきゃーやって。
実情はそんなモンじゃない。
あーあ、甘かった……。
一気に力が抜けていく。
何だか限界……。
発火したように体が熱い。
あーー、もうどうでもいいや。
世の中どんなカフェが流行ろうが私はここがいい。
この光の入り方、眺め、カウンター配列、道具の数々……完璧だ。
期間限定、私だけの空間。
私は私に与えられた仕事だけ頑張ればいい。
ご主人様はちょっと変だけど。
メシさえ与えておけば害はない。
せめてこのポジションだけは死守したい……。
あっという間に体を巡る熱、熱、熱。
どうやら旦那さんの車が熱かった(会話も含め)せいじゃないらしい……。
足の痛みが引いたと思ったらこれかよ。
脳細胞が沸騰してるんじゃないかって思うくらい尋常じゃない。
「……くん、市川くん―――…」
会長の声が霞の向こうでこだましてた。