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密室の恋2 9.miu miuよ何処

ナルさまはブリオッシュがお好き。
思いつかなかったな。そろそろ半年くらい経つのに。
おフランスなパンだよね。お菓子とパンの間って感じの。
クロワッサンもバターたっぷりだが、あれはぼろぼろ落ちるから。潔癖症な会長には不向きかも。クク。
と、しかめっ面で食べてるとこ想像して笑みが漏れる。
レシピ検索して適当に作ったんだけど、ちょっくら試作しておくか。
ついでに……。手土産にどうかな。
あの鳥取の人に。男の人には甘いものよりもよさそうだよね。アパートにいればいいんだけど。
土曜日の午後。
適当にメシを済ませ、ちっちゃい作業台を片付け、パン作りの用意をする。
大量のバターを粉と混ぜる。
一時発酵の間、デスクに着いてPCを起こした。
レシピを再度検索してみる。
他のパンに比べるとブリオッシュってあんまりないな〜。マイナーなのかな。確かに会長の言うとおりだ。ちょっと前までは店で売ってた気がしたが、今見かけないよね。
ブログに移動した。

『ブリオッシュ。おいしそ〜。匂ってきそうですね』

昨日のメニューへのコメントだ。

『想像するにご主人様ってかなり素敵な殿方なのでは。そんな雰囲気します』

ハハ。ブログ変えてナルさまの呼び名統一してないので皆バラバラなのね。
ご主人様。これが一番響きがいいかな。

『ええ、素敵な方ですよ。できればお見せしたい所です』

などなど打ち込んでは何度も打ち直す。
とびっきりのハンサムですよ、うちのナルくんは。ついでに弟のヒロくんもね。
なーんて。私もあなた方みたいに思いっきりラブリーなコメント残したいですわ。
できないよね。

『ご想像にお任せします〜。メニュー考えるのが楽しい方です』

無難にこんな所か。

『カルピスバター仕入れてきました。今寝かせ中です。うまくいくといいな』

寒いからもうちょっとかかるかな〜。
なんて時間過ごしてると携帯が鳴った。
発信者見てドキッとした。
不破了。ひょっとするとそのヒロくんかもしれない、例の彼だ。
慌てて出た。

『あ、オレ。今いい? バッグが届いたって連絡あって。うん。そ、伊勢丹の。悪いけど取りに行ってくれないかな? ゴメンね。市川さんの名前伝えてあるから。引渡しの際身分証明書見せてくれって』

彼の声は電波に乗っても美声だった。
フィルターかかって余計にときめかせてくれる。
こんな声、声優さんでもちょっとない。

『ホントにごめんね。店に来てくれてどうもありがとう、礼を言うわ。電話越しで悪いけど。じゃ』

「あ、ありがと」

ドキドキしてそれしか返せなくて短く通話は切れた。
バッグ出来上がったんだ。早いな。
明日取りに行こうか。おニューのカゴもいいが、やっぱりないと寂しい。
携帯持ったままなのに気付いて元に戻した。

『ごめんね』

じわーんと胸に残る言い方も声も素敵なんだよね。
さすがホスト……。

2次発酵の時間にシャワー浴びて、焼き上げる時間にブローをする。
オーブンとドライヤー同時に使うとブレーカー容量すれすれなんですけど。こういうところが貧乏チックだな〜。ああ現実。
バターの香りが部屋中に充満する。
あまりにもうまそうな匂いについ手が伸びそうになる。上出来だ。
何だかちょっぴり当てが外れたというか、予定変更。とりあえず明日は新宿からだ。




彼がヒロくんかどうかはともかく、いい人には違いない。
私はブリオッシュ6つをラッピングしてかごバッグにしのばせた。
やっぱりお店に行って、勇気出して高広くんかどうか本人に聞こう。
違ってたらこれだけ渡して帰ればいい。せめてものお礼のつもりだ。
渡す人チェンジするなんてせこい気もするが……。まあいい。

世は正に花見シーズン真っ只中。
後で御苑に寄って桜の写真でも撮ろうか。お直し後のバッグと並べて記事書けばいいよね〜。と、そんな魂胆をたちまち失せさせるほどのすごい人出。その中を縫うようにひたすら伊勢丹を目指す。
久しぶりの伊勢丹。ここも人で一杯だった。
一瞬躊躇してmiu miuのお店に入り、店員さんに声をかける。
すぐに話は通じたようで、段取りは不破さんの指示通り進んだ、店員さんがバッグを持ってきてカウンターの上に出すその瞬間までは。

「え? これ」

驚いて声を上げた。微妙に違う。色合いとか質感とか。
何だか白っぽいんですが。光の加減か?
いぶかしげにしてる私に彼女は説明を加える。

「全く同じものが既に完売しておりまして。こちらはデザインは同じですが素材がシープスキンになりますね。春の新作です。お客様に確認いたしました所、こちらでいいとご了承を得ましたのでお取り寄せいたしました。とても人気がございまして―――」

まあ何というか店員なんだから当たり前なんだろうけどおそろしく淡々と聞こえた。
逆に焦りまくる私。声にならない。
お取り寄せ? 修理ではなくて?
じゃあ、これは全くの別物?

「清算は済んでおりますので」

あの人が、改めて買ったってこと?
えーー?
戸惑う私を尻目に立派なショップ袋に入れられてそれは私の前へと差し出された。

「ありがとうございました」

丁寧にお辞儀されて。
何も言えず、その雰囲気に押されるようにそろそろとショップを出た。



miu miuの大きな袋肩に下げて何度か人と触れそうになりながらふらふら歩いていた。
まるっきり別のものだって?
弁償ってそういう意味?
吉永さんもそう言ってたな。
端から修理に出すなんて誰も思ってなかったってことだ。
って、私のバッグは?
一体どこへ行っちゃったの?
さーーっと青ざめる。
そうよ、あれは??
私は弁償しろなんてひとことも言ってない。
新しいの買えばいいだろうって? 春の新作だからって?
いいえ、違う。
だってあれは特別なバッグなのだから。
馬鹿かもしれない、バッグごときで。
だけどリアルに涙が出そうになってきて、私は携帯を出した。
不破さんに確かめなきゃ。
何はともあれ電話だ。
昨日の着信に返信をする。
心臓がバックンバックン鳴ってる。
呼出音が切れた次の瞬間、私は更に青ざめた。

『おかけになった電話番号は現在使われておりません。恐れ入りますが番号をお確かめになって、おかけ直し下さい』

これまた無機質な女の人の音声ガイダンスが流れる。

「えーー?」

頭真っ白。
携帯を凝視するが反応は変わりはしない。
しばし固まった。
昨日の今日だよ?
どうして?
私はこの瞬間、携帯の番号が何の連絡もなくある日突然つながらなくなるのがこんなにショックなものなのかと初めて思わされたのだ。
要するに初体験だ。
元カレの時だってこんなことはなかった。そもそも電話なんかしようとも思わねーし。
もうそこからはほぼ本能のまま。
衝動的にといった方が近いか。その足であの歌舞伎町の店に急いだ。
まだお昼前で当然閉まっている。
私は店の前を何十回も行ったリ来たりしてとにかく誰か来るのを待った。
ブランド袋提げた女がホストクラブの前をうろうろして。
はたから見ればホストに走る買い物好きの女、だよな。
miu miuなんてホストへの貢物にもなりゃしない。
何時間そこでそうして過ごしただろうか。
やっとその店のホストらしい人が現れた。
私の姿を見て「あれ?」みたいな表情を一瞬だけ見せた。

「お客さん、あの時の」

どうやら吉永さんの相手をしていた男の子らしい。見てる内にあの携帯の画像が浮かんだ。
彼はぺこっと軽く頭を下げ、ちろっと私の全身に目をやって、「お店、まだなんですけど……」鍵を出してシャッターを開けた。

「あ、あの、不破さんにちょっと会いたいんですが」

そう言うと、彼は手を止め表情を崩した。

「あー、不破さんはもう辞めちゃったんですよね」

バツ悪そうに突っ立って、信じられない台詞がその口から飛び出した。

「えっ?」

そんな。
急に?

「元々ここの人じゃないんで」

どういうこと?

「え、えっと、連絡先とか分かりませんか?」
「さあ……。多分、携帯だけだと思う」

えー?
店長とか上の人に言ってよ。
住所くらい、わかるでしょ。

「ど、どちらに住まれてるか、それだけでも」
「いやだから誰も知らないんですよ。そういう契約なんで」

ピキーン。
お気に入りのガラスのコップ落としちゃったみたいに。
私の心は木っ端微塵だ。



どうしよ。
もはや新宿の花見客の雑踏も、風の強さも体に感じない。
ひたすら解答を求めてぐるぐる駅の辺りを歩は進む。

「あっ」

あることに気がついた。
あの人だ。
かつての隣人。
あの人に聞けば……。何か知ってるかもしれない、彼のこと。
元々そのつもりだったじゃないかー。
すぐさま駅に走る。
来た経路を逆に。幡ヶ谷を過ぎてかつての居住地へ向かった。



結局、予定通りあの人を訪ねる羽目になったわけだが、状況がまるで違う。
長年住んでいた町。懐かしさで一杯、なんて感慨に浸るでもなく、あの人がいますように、いますように、とひたすら祈りながら足早に目指す。
アパートに着いて、私が住んでいた部屋の先の彼の部屋へ。安アパートらしい簡素なブザーを押すが反応はなかった。
気は焦る。
時は5時すぎ。
外出中か。
そもそも帰ってくるの?
引越しの時も夕方近くだったな。いなかったケド。
不安に襲われて、階段を降り、かつて庭としていたその界隈を当てもなく歩き回る。
陽が急激に角度を下げはじめる。
どうしよう、どうしよう。
それ以外何をすればいいか見当もつかなくてひたすら動く。
かつてあまり利用することのなかったコンビニが見えてきた。
自炊派の私には縁の薄かったコンビニ。
ブックカフェを見つけた。ああ、懐かしい。会長の出張で色々あったっけ。
ほんのちょっと気持ちが軽くなる。
キョロキョロしながら角を曲がったその時だ。

「わっ」

出会い頭に人とぶつかった。
勢いでバッグの袋を落っことした。
私は驚いた。またまた固まった。袋を拾うのも忘れるほどに。

「あれ? 君」

あの人だ。
既に薄暗い時間帯。
間違いなくあの店で見た彼だった。

「あ、ご、ごめんなさい」
「いや、オレも電話しながら歩いてたんで。ゴメン」

ドキドキ復活。台詞がこんがらがってうまくまとまらない。

「元気してた? あ、クッキーありがとう。美味しかったよ」
「え」

ドキン。ときめいてる場合じゃない。

「あ、あの。不破さんてご存知なんですか?」
「え?」

唐突過ぎる質問に彼はびっくりしていた。

「お店で、話してませんでしたか? 木曜日――」
「木曜?」

そう、木曜。
ついこの前のことなのに。
まさかこんな展開になろうとは。
信じられない。
彼も信じられない、みたいな表情。
しばし無言で見つめあう……。

「店って、新宿の?」

彼はやっと口を開いた。無理もない。状況説明も何もあったもんじゃない。私ったら挨拶すらせずに要件だけ言ってるのだから。

「はい」

ああ、やっぱりこの人だったんだ。

「君もいたんだ」
「ええ。あの、私、不破さんに用があって……。住所とか知りませんか?」

また「えっ」と驚いた表情になる。かっこいいが、そんなこと思ってる余裕なんてない。

「何、君、ホストのおっかけやってるの?」

その顔がくすっと笑った。
かぁっと胸が熱くなる。

「ち、ちが……。ちょっとトラブって、連絡取りたいんです」

ああ、うまく言えない。

「トラブル?」
「あ、んーー、番号教えてもらったんだけど、もうつながらなくて……。何かご存知ありませんか?」

彼は頷いた。「ああ」

「オレも向こうからかかってくるの受けるだけなんだ。今頃空港向かってるんじゃないかな」
「空港?」

びっくり仰天だ。

「羽田ー香港便。確か8時過ぎだったはず」

彼は腕時計をちらっと覗かせた。

「えーー? 香港?」
「ああ」
「東京の人じゃないんですか?」
「んー、まあ。あちこち飛んでるみたいだよ」

ふふと穏やかに微笑む。
あちこち?

「あの人、もしかして、出張ホストとかなの?」
「出張ホスト?」

彼は「あはは」と顔を上げて笑った。彼にしては少々派手なリアクションだ。

「そうかもしれないね。オレもよく知らないんだ」
「え?」

どういうこと?
知り合いじゃないの?
ああ、でもそんなことはどうでもいい。

「しばらく東京には戻らないよ。詳しいことは電話かかってくるまで分からんが。香港行きは聞いてるよ」
「わ、わかりました、ありがとうございましたっ」

速攻。私は駅に向かってダッシュしていた。
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