密室の恋3 その8

 すっかりスイーツ男子と化した春日さんと大いに盛り上がり、秘書室をあとにしたのは2時間後だった。

『ほ〜、グミってもんがちゃんとあるんだね〜。俺、ガムの進化形だとばかり思ってたよ』

 うんうん、素直な反応。しかもそれ新宿産だよ。知ったら驚く? フフフ。
 春日さんはグミをもぐもぐさせながら『古い言い伝え』のひとつにチャレンジした。
 ーーさくらんぼのへたを舌でうまく結べたらキスがうまいーー
 てやつだ。ぶっ。
 何度もチャレンジして、持っていったグミは殆ど彼の胃の中へ消えた。
 結局できなかったけど、

『ちょっと酸味がきついっすな。これジュレにして何かにアレンジできないかな』

 ふむふむ。
 なるほどねーと私はレシピを思い浮かべながら上のフロアに戻り、部屋のドアを開けた。
 てっきり誰もいないと思っていた。
 ひろーい部屋の向こうの窓際に会長がもたれかかっていた。
 視線がバシンと合って、反射的に背筋がのびる。

「あ、お、おかえりなさいませ」
「……」

 会長は何も言わず、まず首を動かした。
 その先を目で追う私。
 えーと、ソファ? を指してるんだろうか。

「そこに座りなさい」

 と、会長はふかふかの応接セット、1人がけのソファーに腰掛ける。

「は、はい」

 私は遠慮がちにその正面の恐れ多くも3人がけの座面に腰掛けた。
 会長はすぐにはじめずに、ゆったり足を組んだ。
 何なんだろう……。珍しく緊張らしきものが体を巡る。
 それに……。
 このソファ、座り心地はいいんだけど、いささか大きいのよね。
 私のサイズだと若干足が緊張する。
 つまり油断すると足が浮いちゃう。
 どっちかというと、あの横のマカロン風オットマンの方がよかったりして……。
 足に力を込めて『女優座り』しなきゃいけない。
 慣れない姿勢にスカートのすそ引っ張ってると会長が口を開いた。


「君に出るよう指示した商品企画会議の件だが、その席で試作品を何品か出すことになった。それで、先日君が出したしんじょがあっただろう? あれを用意しておいてくれ」

 えっ?
 食べる側じゃなくて?
 声に出さずとも表情はわが心の中を表していただろう。
 しさくひん?

「……フードコーディネーターと専任の社員、それと料理研究家? と言うのか? それが2人、○○のシェフが1人、メンバーはそんなところだ。ああ、あと一般人数名、これは選定中だが。一緒に参加してほしい」

 なんじゃそりゃー。
 ○○のところでさらにびっくり。
 それ、テレビによく出てる超有名店じゃんーーー。

「えーー」

 さすがに声に出して叫んだ。「ちょっ、ちょっと」

「いきなり食べてもらうんですか?」

 そういう有名人に?
 恐れ多いって!
 
「そうだ。実は今、彼とも会ってきたんだよ。君の事をどこかで聞いたらしい。ぜひ一度食してみたいと言われてね」
「え〜〜〜〜」

 びつくり。
 私は構わず目を丸めた。
 なによそれ? 知り合いなの?

 ○○のシェフ……。
 それはそれは奥様受けがよさそうな、今はやりのイケメンシェフだ。
 フレンチイタリアンの貴公子ーーその彼の姿をテレビで見ない週はないと言っても過言じゃない。
 で、会ってきたって何?
 何だよ、その交友関係。

「い、いや、でも。あれってただのしんじょですよ。ハハハ……」

 とにかくやめてくりー。
 私は両手のひらと頭をぶるぶる振って拒否の意志を伝える。

 が、そんなの通じっこない。
 会長は腕組みして足も組みなおしてえらそうに続ける。

「……数種類の小エビを使っていただろう? そういうメニューがほしいんだよ。特に、国産物にこだわった。和食メニューであれば尚更いい。コンセプトにぴったりなんだ」

 ……年寄り向けかい!

「できれば、山口産の海老を使ってほしい。現地に行くとわかるが、車海老と地物も数種扱っていたはずだ。試食会は君の視察後に行う。私はあれでいけると思う。プロアマ両方の感想を拾ってきてくれ」
 
 ……試食会になっちゃってるよ、オイ。
 何だよ〜。いっつもこう勝手にテキパキテキパキ……。
 少しは私の話も聞いてくれ!

「……以上だ。すまんが何か一品出してくれ」

 けろっと。言いたいことだけ言っていつもの上司様に戻る。
 私はうんともすんとも言わせてもらえず、「はい」とだけ答えてキッチンへ下がった。



 私は見ていた。
 オレオのカップケーキ……。会長がそれを食すさまを。
 無論頭の中は言葉で一杯だ。
 反論できずに抑え込まれた単語の数々……。

 ちっくしょー、このやろー。
 ホイホイ私の存在を他人様に知らせるんじゃねー。
 堅物の会長が珍しくコックを仕入れた、なんて聞いたらどうしても色めがねでみるでしょーが!
 おお、それはさぞかし腕の立つ……なに、女性ですかな? ほほ、それはそれは……。とか。
 や〜〜〜だ〜〜〜。
 気に入ってもらってるのはうれしいけど、会長以外の客(?)は、ここに来る超限定のVIPだけにしておいてよ。
 そういう契約なんですからねっ。

 って、むかむか〜!

 ちぇ、しれっとオレオなんて食べちゃってー。
 それ、あなた様の弟くんにもらったのですぞ。
 ついさっき。そこの路地で。
 もしかしたらまだいるんじゃないの? その辺に。
 帰ってくるときいなかった?
 たまにはきょろきょろしてみたら?
 こんな近場なのに。冗談だろ!
 どうして会えないんだろう。不思議……。

 カップケーキごときを会長はきれいにフォークで切り分けて口に運ぶ。
 ああ、坊ちゃんなのね。
 オレオが崩れてぼろぼろ……なんて絶対にありえない。

 見てるうち、その姿がだんだん、高広くんに重なる。
 顔のつくりは似てないけど、やっぱ兄弟、仕草が似てる。
 何でもない指の動きとか、全体のラインとか、髪の感じが……。

 動くたび、ふわっと髪が揺れる。
 ワイルドなTAKAHIROヘアー。
 会長、髪が伸びて偶然高広くんと同じような髪形になったのよね。
 会長はダークブラウン、弟くんは明るめの……。
 似てるなあ。
 兄弟そろって変わってるし……。
 だけどまだまだ知らないところがいっぱい。


『会長! 弟さん、見ましたよ』

 見たんですよ、ここでーーー。

 言っちゃいそうになるじゃないですか。
 バラしてもいいって高広くんは言った。
 一度去ってまた現れて。
 山口行きも知ってた。
 つまりヒロくんだってお兄さんに会いたいんでしょ?
 あ〜、決して口がかたいとはいえない私だ。
 こんなマル秘情報、心にしまっておくのはムリムリムリ……。

 う〜、ムズムズする〜〜。

 実際。私は唇を合わせてじれじれしていた。もしもそこで私が口をあけていたなら、この先の展開は大幅に変わっていたかもしれない。しかし……。
 持ってたカップをテーブルに置き、じっと私の目を見つめて、会長は言ったのだ。「君はーーー」


「……君は時々忘れてるようだが、君の役割はこの部屋の庶務全般だ。『私が命じたこと』をこなしてもらうためにここにきているんだ。確かに、私がいないときは何をしていてもいいと言った。が、基本業務は『この部屋での仕事』だ。秘書室の雑用じゃない。しっかり心得ておくように」

 ひぃ〜。

 これは不意打ちといってよかろう。
 きっつい目。その眼光に耐えれず私は視線を泳がせた。
 いつぞや高広くんの口から聞いた『会長室専任社員』。その一字一字がおどろおどろしく頭の中メリーゴーランドする。
 かいちょうしつせんにん。
 って、まさに、私もそう思ってましたけど?
 出張料理人はちょっと……、いや、かなりイヤなんですけど?
 見解の相違?
 てか、もしかして、秘書の人に菓子持っていったのバレバレ?
 何だ、この殺気は。

「す、すみませんっ」

 私は普段の倍ほど深く頭を下げ、そのまんま戻せなかった。
 ドクンドクンしてるのが鼓膜の奥まで響く。

「本末転倒では困るよ。いいね」

 ほ、ほんまつ……?
 そ、それ、ちょっと意味が違うくない?
 恐る恐る顔を上げると、会長はオレオを目の前に持ってきてふりふりしていた。珍しく手づかみだ。いや、そんなことより何より、顔、笑ってない。心なしかちっちゃくみえるオレオ……。

「これもそうかな。秘書室に差し入れしたのか」

 ガーーン。
 やっぱバレてるーー。

「まあ、万人受けしそうだな。見た目もいい」

 って、パクッ。
 し、知らないしーー。
 ええ、ここんとこしょっちゅうですね、時には秘書さん(春日さん)に催促されちゃったりなんかしてーー。
 あー、でも言えないーー。
 言うとあの人たち怒られちゃうから、きっと。
 ヒーー。

「申し訳ありませんっ。今後、会長の許可をいただいてからにいたしますっ」

 私は再び深々と頭を下げた。とにかく平謝りしかない。庶民の定番。やっぱり、『お上』にははむかえないのだ。

「……そこまで厳しく言いたくないんだがね。君が秘書室の連中とうまくやってくれるのは私としてもありがたい。ただ、『順序』が『逆』になっては困る。……そういうことだ」
「はいっ」

 会長、怒ってる……?
 わわわわ、そうだよね〜。でも決して『残り物』じゃないんです〜、そのオレオはっ。
 ええ、決して……。

「ベリーのたぐいは食べにくいな。次からはジュースにするなりしてくれ」

 と、今度は付け合せのグミをつまんで。近づいてよ〜く織地を見ないとそれとはわからないエルメスのネクタイの前でくるくる回して。
 まあそのブランドロゴは飲み屋の席で隣り合って飲んでた折気づいたのだが。
 あの時近かった距離が今は果てしなく遠く感じる……。
 
 ええ、決して。その顔は笑ってはいなかった。

「はっ、ははー」

 私はどこぞの悪代官の手下のように、再々度ふかーく首をたれた。
 
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