密室の恋3 その13

「結局さ、押してだめなら引いてみなってことなんだよね」

 徒歩通勤はメールチェックにうってつけだ。
 朝一のメールチェックの前に私のタイムラインを開いて何となく目に留まった誰かのつぶやき。何の話かと思って前後を探ると某国内SNS内コミュ「AB型研究会」メンバーによる対AB型付き合い術についての一文だった。
「あんまり押しが強いと見下されちゃうのよ。思い切って突き放してみて。向こうから泣きついてくるかもよ」
 誰かAB型彼氏の相談でも持ちかけたのかな。そこまではわかんない。何せ毎日毎日膨大な量だ。
 メールも届いてる。見るとりゅうちゃんからだ。
 夕べ、お店が終わった頃合を見て貰ったアドレスにとりあえずメールを送っておいたのだ。
「こちらこそありがとうございました。教えていただいたアドレスはレシピ?見てよかったのでしょうか」
 と、ほんの2行程度だが。
「メールありがとう。てことは見てもらえたんですね。ええ、もちろんいいですよ。思いついたことをとりあえず放り込んでるんですが、整理する暇がなくてあのざまです(笑)」
 URLの方はオンラインノートのアドレスみたいで、チラッと見た感じ、レシピの元みたいなメモ書きとイラストが雑多に並んでいた。
 う〜ん、有名シェフの手書きレシピなんてめったに見れるもんじゃないわ。超役得……。
 メールなんて流れだ。深く考えずピピとボタンを押して返信文を送る。
「おはようございます。今通勤中です。そうなんですか。手書きなんですね、ファンの方喜びそう」
 お。すぐに返信が。
「おはようございます。iPhoneのアプリですよ。手書きメモ。思いついたときに携帯にメモって保存してます。僕の年齢だとキー打つよりこっちのが早いです」
 へー。スマホなんだ。
「面白そうですね。DSのタッチペンみたいなもので?」
「ええ。あ、よければノート上にチャットもあるからそちらへいらっしゃいませんか?今僕コーヒータイムです」
 と、アドレスつきで。アクセスしてみる。以下はそのチャットでの会話である。
「スマホですかー。面白そうですね」
「ええ。すっかりはまっちゃってます。歩き回る暇がない分余計にね。iPhoneいいですよ。今曲流しながらこれ打ってる」
「優雅〜。お店ですよね」
「ええ。朝のくつろぎタイムです。これから仕込みに入ります」
 いいなあ。おしゃれなお店で。いい感じ。イケメンだしさ。
「レシピに何か意見してもらえるとうれしいなあ。とりあえずアドレス知ってる人だけに公開してるページなので、自由に書いてもらっていいですよ」
 えーー。でも。
「まとめるくらいならできますけど……」
 まあ、ほとんどの時間暇だから。
「えーホントですか。うれしいなあ。好きにいじっちゃってください。僕実は清書が苦手で、本出すのも苦労しました」
 へー。ちゃんと自分で書いてるんだ。……そりゃそうか。
「そうなんですかー。早速いくつか参考にさせてもらおうかと思ってます」
「九条くんに出すんですよね。お忙しいみたいだからぜひシンプルな手料理でいたわってあげてください。イタリアンはおじさんをきれいにしますよ(笑)。バジルやミントの葉をかじっとけば口臭なんてすぐに消えます」
「へ〜。そうなんですか。他に疲労回復のレシピ、どんなのがありますか?」
「んーー。そうだな。僕は気分の悪いときバージンオイルを直に飲んだりします。あと、バターコーヒーと。水も何も受け付けないときはズバリカルピスの原液ですね」
「原液?」
「そう。なぜかこれが利くんですよ。僕だけかもしれないけど。カルピスの麦芽糖がいいのかな?それにレモンをたらして。レモンは是非ヨーロッパ産のを使ってください。国産のレモンは皮がかたいのですが向こうのは皮が柔らかくてジューシーです。なければ贈りますよ。お宅のビル名に会長室と入れとけば届きますよね。便利な世の中だなあ(笑」
「そうですね。便利」
 マジそうなのよね。または成明くんの名前だけでもオッケーなのだ。名前知らない社員が多いのに……。謎。
「国産であればゆずやすだちやみかんの仲間を使うのもありですね。あとイタリアンじゃないけど甘酒も時々作ります。酒粕じゃない方の。これは効果てき面ですよ。血管注射のようなものだと思ってください」
「甘酒ですか。実家で作ってますが、うち、酒かす派だ。酒豪がそろってるんで」
「それはたのもしいですね!まあ味はそっちのほうがいいかもしれないけど、ぜひ麹菌常備しておいてください。炊飯器にご飯と麹菌いれとけば勝手にできてます。麹漬けにもつかえます」
「和食?」
 意外にも。
「そう。和食。意外と裏では和食のまかない食べてたりするんですよ。お客様がイタめし食べてる陰でね」
 何だかあの人の笑顔が伝わってくるようだ。ふむ。麹菌はないけど……。簡単そうだからつくってみようかな。
「この年になると少々バタ臭いものがほしくなるんですよね。イタリアンもいいけどおすすめはエチオピアとベトナムのコーヒーです。エチオピアのは独特なバターをたっぷり入れるんですが、これがくせになる。ただ手に入りにくいのでベトナムの方が無難でしょうね。コーヒー豆をバターでローストするんですよ。深入りのほうがいいです。できればがりがり手動で削って粉を残すんです。練乳を底にたっぷり入れた上から液を注ぎます。これもおじさんにはたまらんなあ」
 ふふ。かわいいなあ。
「ありがとうございます。早速やってみよう」
 会長も飲んでくれそうな気がする。なんたって同級生だ。
「九条くん、僕が料理を担当した某レセプションの会場でお会いしたのですが、財界の方々の中で一番若くて、気遣いが大変だろうなあと思いました。是非労わってあげてください(笑)」
 そうか。そうだよね。会長は34歳だけど、お偉方からすれば息子くらいの年なんだ。気……遣うよね。
「ええ。がんばってみます。海老の献立の方もよろしくおねがいします」
「ああ、それ、実はほぼ決まってるみたいですよ」
 え?
「だから文字通り試食会らしいです。メニューは市川さんの和ものと僕の洋物、試食会でプロの方とブロガーさんの意見を入れて最終的にコーディネーターの方が微調整するんだって」
 そうなんだー。ちょっとだけ安心? でも私のメニューって。あんなのどこにでもありそうだが。
「厳しい意見なんて多分出ませんよ。安心していいと思うよ」
「ありがとうございます。ところでスマホどうですか?気にはなってるんですよね」
「ああ、いいですよ。iPadは前から持ってましたが、携帯変えて一気に生活が変わりました。周りの料理人にもすごい勢いで広がってます。感覚的に使いやすいですね。アプリやアクセサリ揃えるのも結構楽しいものですね。若い子の気持ちがやっとわかった。今無印のアクリルケースに置いてますが何かいいのないかなあ。すっかりマカーです。さらに縁遠くなりそうだ。九条くんもそんなこと言ってましたね。釣りをされるとか??休日が皆無だそうで。これからオタク化した独身男性が増殖するかもしれませんね(苦笑)」
 ふーーん。男同士喋ってるんだなあ。
 うちの会社もつい最近iPadが全社員に配られた。社内でいじってる人よく見かける。なんとなくおしゃれに見えるのは気のせい?
 オタクはオタクでもMacオタクは『きれいな』オタクっと……プ。
「ああ、そろそろ店の子が戻ってくる。それじゃ、このへんで。是非自由に書き込んでくださいね」

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密室の恋3 その14

 朝早くからあいてるスーパーに寄ると麹漬けの素を売っていたのでそれを買って出社する。
 会長は夕べは箱根にお泊りだ。出社は昼前になるだろう。または、直接出先に向かうか……。
 相変わらず多忙だ。一泊4、5万の高級旅館に泊まっていいなぁ〜なんてとても思えない。
 相手はおじさんばっかり。どんなにすばらしい料理もおいしさ半減だよね。
 さて、甘酒にトライ。
 まずご飯を炊いて、水と麹菌を混ぜておく。様子を見ながら温度を調整して数時間後に分解されて甘酒になってるそうな。どんな味なんだろう?? 麹というとうちではお味噌を仕込むときくらいしかつかってなかったはず。麹漬けより粕漬け。とことんのんべ〜の家系なのよね……。
 炊き上がるまでの間、拭き掃除でもしようかとキッチンから出た。
「あ、いらっしゃったんですか」
 いないとおもっていた人がいた。「おはようございます」しかしいつもと様子がかなり違う。ソファに横たわって、メガネかけて、手を額に当てて、足を無造作にセンターテーブルにかけている。
「ん〜〜〜〜〜〜。飲みすぎた。悪いが水もらえるか? ボトルのままでいい」
「は、はい」
 私は急いでキッチンへ引き返した。
 うちの会社はミネラルウォーターというとエビアンかヴィッテルなのだが、その500ml入りボトルを2本トレイに載せて、いつもよりかしこまって会長に手渡した。
 すぐにラッパのみ。
 きつそう、成明くん……。いつも見てるから何となくわかるのだ。
 もう1本をテーブルにおいて、キッチンに戻る。
 さっき聞いたばかりのカルピス。ショットグラスに原液を景気よくついで、すだちを絞った。
 それをトレーに載せ、2本とも飲み終えふかふかのソファに横たわる彼のそばに恭しくひざをついた。
「よろしければお飲みください。少しは楽になられるといいのですが」
 彼はゆっくりとグラスと私の両方に視線を合わせ、ほんのちょっと顔を曇らせた。
「腰を上げてくれ。キミにそんな小間使いのような格好はしてほしくない」
「カフェでの基本姿勢です。お客様に直接お取りいただくときこうしていました」
「……わかったよ」
 静かに息を吐き、上体を上げるとソファに座りなおして彼はグラスを手に取った。くいっと一気に飲み干し、
「ん。すっきりするな」
 まばたきして、トレイにグラスを置いた。私はそおっと腰を上げた。
「ああ、あのくらいでダウンとは情けない。もう年だな」
 彼はすっと手を胸のポケットに回し、タバコを取り出した。
 あっと思うより何より、私は彼のその手を制した。
「タバコはまだおやめになったほうが。お昼に差し支えます」
「ん……」
 タバコを元に戻し、肘をひざに置いて首をもたげた。
 アルコールの分解が間に合わずに体を巡っているのだ。何はともあれまず加水分解。水が大量に必要だ。
 さらに糖分。クエン酸。とりあえず理にかなってる。さすが、同年代シェフ。
 彼はしばらくそうしていて、ソファの背もたれによりかかった。心地よさそうに上を向いて大きく息を吐く。
 ああ、腎臓のあたりが痛いんだろうな。成明くん。会長じゃなかったら、背中を揉んであげるのに。
 つまるところそれが一番気持ちいいのだ。人に擦られることで気休めにもなる。「楽になった」
「キミは気が利くね。通いつめた旅館の仲居でも中々こうはいかないよ。水とありきたりに錠剤飲まされるくらいだ」
 と彼は微笑んでこっちを向いた。
「ウコンの錠剤でしたらお食事の早い時間にお飲みくだされば翌朝の状態がかなり違うと思います」
 ウコンは飲む前に体に入れておいたほうがいいのだ。
「そうか。じゃ、次はそうするよ。もう一杯くれ」
「はい」
 よかった。体質に合いそう? りゅうちゃん、感謝。
 カルピスの買い置きにも感謝だ。
「どうぞ」
「ありがとう」
 今度はゆっくりグラスを傾けて流し込む。幾分、顔色がよく見えるのは気のせいじゃあるまい。
「ああ、生き返るようだ。何とか持ちこたえそうだ」
 そう。さらに悪いことにこのあとまた会食なのだ。
 銀座のレストランの個室で会食&会議。汐留のT不動産社長、デザイナーの御堂さん、国交省のお役人サマ、どっかの県知事……と、お若い御堂さん以外はつい顔を引き締めずにいられない面々だ。また地方のでかい開発事業でも決まったのだろうか。誰かかわりに出れないのかな。毎日これじゃ体がもたないよ……。いったいどんな接待なんだか。
「こんな甘いものが効くんだな。キミらしいと言うか」
「いえ。あの、藤島さんに教えていただきました」
 彼は調子が戻ったのか再び胸のポケットに手を入れタバコを取り出した。一本くわえたところで口から離し、「藤島くんに?」
「はい」
「彼とメール交換したのか」
「ええ」
「そう。早いね」
 シュッと火をつけて煙を吸う。
「はあ、あの、試食会のことで色々伺っておこうと思って……」
 ほとんど雑談だった気がするけれども。
「フ、そんなに気負わなくていいよ。実はもうライン動かす日取りも決まってるんだ」
 と横を向きいつものクールな調子でタバコをふかす。
「地方は早急に職と金を欲しがってるからね」
 昨日と違う。市販のタバコ。
 ショートピース。うちのおじいちゃんと同じ銘柄だ。
「確実に売れそうな品と料理人のネームバリューと、一般人の口コミ。それが欲しかったんだ。彼は運がいいといっていたがね」
 りゅうちゃんに関していえばホントにそうだよね。
「会長のお知りあいだなんて。偶然再会されたそうですが、よくわかりましたね」
「いや。私はわからなかったよ。彼は、苗字が違っていた」
 あ。そうなんだ……。瞬間、昨日のりゅうちゃんの穏やかな笑みの向こうにあるものがほんの少しのぞいた気がした。
「初等科の途中で両親が離婚して、母親の地元の福島に移ったそうだ。私も母親が福島の出身でね、それで話が続いたんだよ」
「そうなんですか」

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密室の恋3 その15

 彼はテーブルの下の棚からアルミのトレイを取り出し、灰皿にした。それはアルミの板を折り紙の作品みたいに折りたたんであり、私はてっきりオブジェだと思っていた。
「彼は苦労したのだろうな。裸一貫でヨーロッパに渡り、今の店を開いた。大したものだね。私とはえらい違いだ」
 えっと思った。会長こそご苦労がたえないだろうに。誰から見ても。
「そんなことは……。藤島さんは気遣ってらっしゃいましたよ?」
 大変だろうから。彼はふっと息を吐いていやいやと頭を振った。
「苦労したのは父だな。父は大学を卒業してすぐに母と結婚した。周囲の大反対を押し切って。その時点で一族から四面楚歌だ。母が亡くなってもそれは続いた。きつかったろうね。いまだに父方の親族とは疎遠だ」
 煙を顔の周りにくゆらせながら。胸がきゅんとなる。空腹で胃が収縮するように胸の中の何かが絞り上げられるような感じ。ここに来るまでなかった現象だ。
「皆が皆父の結婚に反対した。わかるかな? 古臭い家だ。父の代まで結婚は親が決めるものだった。父はそれを払拭したくて色々メスを入れた。家のしきたりや事業においても」
 タバコを持ち替えて彼は足を組んだ。ゆっくり息を吐きながらトレイに置く。
「それを私が壊してしまった。あと少しというところで。普通の家に育った母と違い、正真正銘の因縁の相手と出会ってしまったわけだな」
 ……マヤさんの話? 「あの」
「親が子供の結婚にあれこれ口を出すのはお金持ちだろうと普通の家だろうと一緒ですよ」
 そんな顔しないで。胸がまた痛むじゃない。彼はまた首を振った。
「反対だな。父は別に何も言わなかった。事実を伝えてくれただけだ。私の方が拒絶した。完全にはめられたと思った。女を使って私を抱き込もうとしたのだと、そう思い込んでしまったんだ。父も弟も考えすぎだと笑った。だが、そのうちきな臭い流れになった。あっという間に会社をのっとられそうになった。内通者が出たんだよ。株の操作だね。もう婚約どころじゃない。父は必死で社を守ろうとした。あちこち手を回し、外国にも飛び、その最中に病で倒れ、私が跡を継ぐことになったんだが。弟にはそのいきさつが理解できなかった。何故あの家がだめなのか、何故私が彼女を捨てたのか、むしろ逆に会社の方を手放すべきじゃないのか、彼女を愛しているのなら……。そう言い張った。高広は……根本的に私とは考え方が違うんだ」
 寂しげな視線。そんな言い方だと、まだ元婚約者さんを愛してるのかなと思ってしまうのだが。違うのかな。
「藤島くんと話していると……苦労したのだろうと思う反面、母親や親戚に守られて育って……羨ましいとも思う」
 彼はタバコをもみ消した。
「いかんな。何故こんな話をするのだろう。キミといるとどうもこうなってしまう。これもカフェの店員とやらの話術のうちかな? 聞き上手だね」
「そんなことは」
 私はただのバイト店員だったんだよ? 運がいいだけ。
「タバコもやめてるつもりがつい吸ってしまう……。我が社は別に禁煙をすすめてるわけじゃないが、社長と副社長が吸わんからな。何となくそういう流れになっている。私がこれでは示しがつかん」
 だからー。あれダメこれダメで追い詰めるから余計疲れるのでは。
 何て言ってあげればいいんだろう。
 吸いたきゃ吸えばいいのだ。
 ピース。タールとニコチンの含有量が多くきついタバコだが、うちのおじいちゃんは80過ぎてぴんぴんしてるわ。
 特にタール、ヤニを吸うのである。おじいちゃんによるとこれが醍醐味なのだそうだ。同じピースのライト吸ってるお父さんのことを『はなたれ小僧』と呼んで馬鹿にしてるくらいだ。とんかつとカレーが大好きで、おばあちゃんとけんかした日には自分でレトルトカレーあっためて食べる業も身につけた。元気で風邪一つひかない。だから誰も禁煙なんて口にしないの。田舎のじーさんマジすごい。
「せめてキミの前では吸うまいと思っていたのにね。うまくいかんな」
 と素敵な笑顔。ようやく胸のきゅーんが緩んだ。
 成明くん。
 こんなにおしゃれでかっこいいのに、それがちっとも生かされないのである。
 世のおじさんルールはまだまだ彼みたいな種族に厳しいのだ。
 かつて世の中を支配していたお公家様、将軍様、大商人に加え、その辺のむくつけきおっさんも台頭してきて今や何でもありな状態なのである。どんなに最新の経営戦術を学んでいようと、おっさんの世界では通用しない。逆に反感を買ってしまうかもしれない。それは桜の木の下でドンちゃん騒ぎやってる赤ら顔のおじさんやいじめをする中学生となんら変わりないのだ。
 洗練されたかっこいい人ほどいじめられる。
 この部屋だってそうだろう。ここは、私が来るずっと前からこんなカフェのようなおしゃれな空間だった。それは成明くんの趣味というよりはお父さんの趣向で、きっと、前会長さんはいかにもおやじ臭さ漂うおっさんの談合をどうにかしたかったのだと思う。同じうさんくさい取引をするにしても、こんな洒落た部屋でワインを交わしながらすすめれば、気分が違うというものだ。
 お父さんの代から苦労して、成明くんもしかり。いまだに世のおっさんルールは絶大な権力を誇っているのだ。
 この部屋に一歩踏み込めば違うのにね。あの釣り師の社長さんのように。社長と副社長のように。
 私の料理の力なんてたいしたことない。この部屋のカフェ的な魅力がやっと実を結びかけてきたのだ。
 そう、おっさんだっておしゃれになっちゃえばいいじゃん?
 これ以上うちの会長をいじめるなー。
「ああ……。思い出してしまったな。せめて弟だけでも会津の祖父母に預けていたならこんなことにはならなかったはずだ」
「それじゃ、おじいさまおばあさまはまだ福島に?」
「ああ。古い旅館をやってるよ。連絡を取れば気軽に話してくれる」
 そうなんだ。少しほっとした。
「……あまり思いつめない方がいいですよ。その……弟さんとご一緒に会津のおうちで過ごされた思い出もあるのでしょう?」
 川で泳いだり山で虫取ったり。ごくありふれた楽しい記憶が。
「ふ、それはあまり話したくない」
 高広くん。いるのにな。その辺にいるはず。何故会ってくれないのだろう。
 お兄さんはこんなに弟のことを思っているのに。
 私が邪魔しちゃった? 高広くん、山口に行く予定だったみたいなこと言ってたし。
 何かもくろみがあったのだろうか。
 そうではなくて、道端でばったり、じゃダメなのかな。
 私だってそうだった。
 高広くんが生きて日本にいること知ったら、少しは流れが変わるだろうか。
 今ここで正直に話せば。
「なるあきくん……」
「ん?」
「実は」
 はっ。思わず口を閉じた。私、今、なんつった? なるあきくん、て。わーーーー。ハズイッ。
「す、すすすみません、ついっ」
 カーーッと頬が熱くなる。
「? 実は……何だ? そこでやめられると気になるじゃないか」
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密室の恋3 その16

 えーい、言ってしまえ! ドキドキついでだっ!
「私、見ました、弟さん。会長とマツキヨで待ち合わせした、あの日です!」
「え?」
 目が合って、ほんの少し間が空いた。
「どこかな?」
「新宿です。あっち側。弟さん、ホストクラブで働いてたんですよ!」
 言っちゃった!
 胸がドキドキなんてもんじゃない。鳩になった気分。
 だけど彼の表情はさほど変わらない。
 ……あれぇ?
「おやおや、それはそれは」
 くすくす笑い出す。「キミ、そんな店にも出入りしてるのか」ゆっくり立ち上がった。
 −−は?
 握手するみたいにすっと手を差し出してきたかと思うと、きょとんとしている私の手を掴みすごい力で引き寄せた。
「きゃっ」
 もろに胸にぶつかって、別の意味で心臓がどきんと鳴った。
 ちょ、なに?
 ぎゅっと腕を回されて。
 私のすぐ目の前に高そうなネクタイピンが光ってる。
「や、やめ……」
 ああ、ダメ。胸がぴとっとくっつけられて。
 やめろぉおーー。ドクンドクンしてるの丸わかりじゃん!
「キミは案外男好きだよね。体の方は男慣れしてないのに……。店で私といるとき、よく物色してるな? 男を見てるんだろ?」
 えーーー?
 なにそれ?
 話をそらすなーーー。
 ぶっしょくて。
 女の子はみんなイケメン好きですけど?
 見ちゃいけないの??
 やだ、ドキドキとまんないじゃん! 
 ちょ、離してーーー。まだ午前中っ……。
「平気で携帯をいじってるし。いい度胸してるな。私もそれなりに女性と付き合ってきたが……今までそんな女は一人もいなかったぞ。キミが初めてだ」
 え。汗。そんな……。携帯いじり? それってデフォでは? 何がそんなにいけないの??
「キミは素朴で明るくてほっとさせられる反面、タンポポが綿毛をあちこちに飛ばすように移り気なのが玉にきずだな」
 なんじゃ、そりゃー。
 たんぽぽだなんて、どーせ、垢抜けませんよっ。
「ホストクラブか」
 ぐぐっと私の肩に回した手に力がこもる。男の力だ。かないっこねーー。うっ、いたっ……。
「キミもそんな店に行くんだな。高広に似た男がいたのかな? 弟は、『中身はともかく』、外見はかなりいいからね。それ風の男は歌舞伎町に大勢いそうだね」
 −−−中身はともかく??
 って、ちがうっちゅーに! 本人なんだって! 妙な勘違いするなーーー! つーか、離してよっ!
「ち、ちが、ご本人ですよ? あの、そ、そーだ、吉永さんに聞いてくださいっ! 吉永さんも証人です!」
 絶対覚えてるはずだ。
「吉永くん? 彼女に誘われたのかい? あのあたりはキミらにとってはパラダイスだろうな。フフ。一体何をして過ごすんだ?」
 ちょ、だから違うんだって! 今ここに吉永さん呼んでくりっ! 離せええーーー。
「キミは面食いかい?」
 はあ?
 ぎゅうっと抱きしめられた隙間を広げるように、私は必死で顔を上げた。
 きっと興奮して真っ赤だ。でもそんなこと気にしちゃいられないわ。
「な、なにをおっしゃるんですか。違います。本人なのっ」
「藤島くんや弟のような男がタイプなのかな?」
 えっ……。
 かぁぁーーーっと頭に血が上った。
 何この斜め上発言。
 そんな……。そんな風にとられちゃうの? 何故ーーー。
 おじさんってば、何を誤解してるんだ?
「違いますっ」
 私はもうありったけの力を込めて彼の胸を押した。
「ば、ばかにしないでっ。本人なんだからっ」
 情けないことに。
 馬鹿にしないでと言いつつ、いかにもばかっぽい発言しかできないのだ。
 しかしそれでも踏ん張る私。
「本当ですっ。しょっちゅうこの辺うろついてるの」
 ああ、あのとき高広くんを写メってたらーーー! 米子の彼のことも疑われなくてすんだのに。悔やまれるぅーーーー。
「わかった、わかった」
 くっ。何その子供をなだめるようなポーズ。ひたすらくやしい……。「じゃ、その旨を興信所に言っておこう」
 この金持ち、金の使い道間違ってるぞ。一体どんな探偵雇ってるんだか。
 案外私みたいな素人をバイトで使ってるようなとこに頼んだ方が見つかったりして?
「そ、そうですよっ、会長が山口へ行かれたらどうですか?」
「私が? 何故」
「ま、待ち伏せしてるかもしれませんよ?」
「フ、私はダメだよ。もう別の予定が入ってる」
 完全に上から目線……。聞いてよ、もう。
「まあ、私の行動が筒抜けだろうというところは鋭いね。キミのいうとおりかもしれない。弟は、そこら辺の技術者とはスキルが違うからね」
「だから、たまにはこの辺歩いてみてくださいよ……」
 いるんだって。会社の近くでばったり。ねえ、それが一番自然でしょ? 高広くんもそう思ってるかもしれないよ?
「まあね、灯台下暗しと言うからね」
「そうですよ……。気分転換にもなりますよ。ね?」
「ハイハイ」
 だが、勢いを失った私の発言は更に軽くあしらわれ、ぜんぜん違う方向に持っていかれるのだ。「そうそう。山口で思いだした」
「宇部の施設の資料を渡しておこう。まあ、向こうでまた説明があると思うが、機内ででも目を通しておいて。報告書だからといって気張らずになるべくキミの言葉であるがままを伝えて欲しい。もしまとめるのが面倒なら、画像をそのまま社内クラウドに上げるか私のPCに送ってくれればいい。あと、キミ用のボイスレコーダーが秘書室に置いてあるからそれを使ってくれ」
 と、さっさと封筒を出してきて渡された。
「はあ……」
 何、この流れ。毎度毎度、馬鹿にしすぎだって!
 確かに報告書なんて書いたことないけど、一応短大卒業してるんだよ? レポートの類くらいできるって。
 そりゃまあ、会長からすればそんなものスクラップブックに毛が生えた程度だろうけどさ。ブツブツ。
「あくまでもキミの目線で撮ってきてくれ。ブログの要領でね」
 えっ。
 更にとどめをさされて、私は言葉を失ってしまった。ヤツはしたり顔だ。くやしぃぃぃ〜〜。
「会長、お車の準備ができました」
「ん。よし」
 またタイミングよく室長が呼びに来るし。もうお出かけの時間かよ。
「ふ、じゃ、行ってくるよ」
 ちらっとこっちを見やって。すっかりいつもの調子に戻ってしまった。回復はやっ。
「……あの、お帰りは。何かご用意しておきましょうか」
「そうだな。では飲み物の用意でもして待っててくれ」
「はい……」
 バタンとドアの向こうに消える。
 馬鹿にされてもこけにされても。
 そんな言い方されると胸がきゅんとなる私。
 −−−待っててくれ。
 このひとことにやられる。
 ふぅん、じゃあ、仕込んだ甘酒で和スイーツでも作っとこうか……。なんて頭の中じゃレシピ浮かべてたりして。
 彼も彼なら私も私だ。

 あーあ。
 もっとうまく立ち回れないものかな。
 一人残った部屋で、彼がいつの間にか外してたメタルフレームのメガネとピースの小さな箱を黒いレザーのトレーに載せ会長の机の上においた。
 輝きが違うオールメタルフレーム。間違ってもJINSとかで5990円で売ってる代物じゃないのだ。
 これかけて来たってことは、夕べ芸者遊びにでもつき合わされたのかな……?
 大変だねえ。
 がんばってね、なるあきくん。
 弟と再会する日は間違いなく近いぞ。
 



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