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密室の恋3 その11

 新宿西口といって浮かぶのはダントツ東京都庁。
 異論はない。そして商業施設でいえばやっぱここだろう。

 パークハイアット。

 その41階、ピークラウンジ。
 
 わお、昼間っからラッキィィィーーーー……。

「いらっしゃいませ。いつものお席になさいますかそれとも……」

「同じでいい」「かしこまりました」ここを常宿としてる会長は面が知れてるのだろう。丁重に案内されたのは窓際の……スモーキングシートだ。どこへ行こうとなぜかいつも待たされることはない。女性客中心にかなり混んでるようなんですけど。……まあいい。

「好きなものを頼みなさい」
「はーい」

 ここへ来てオーダーするものといえば……決まってますよね!

 私は迷わず告げた。

 ケーキバイキングと並ぶ乙女の夢。

 −−−自家製スコーンや季節のスイーツを盛り合わせた英国風「アフタヌーンティー セット」とペストリーシェフ特製の季節のケーキをワンプレートに盛り合わせた「スイート ハイティープレート」(HPより引用)−−−

 −−−の、アフタヌーンティーセットだ。わーーい。


「悪い。吸わせてくれ」

 一方会長はコーヒーを注文し、お店の人が差し出した小さなケースからタバコを取り口にくわえる。同じく差し出された小さいけどずっしりとした重みが伝わってくる鉄と木製のライターに火が灯り、すぅっと細い煙がのぼる。
 
 さまになってるぅーー。

 ……これって田舎の小娘の悪いところね。これだけ嫌煙の波が広がっていても、いまだにタバコ=かっこいいと思ってる節がある。
 いや、実際かっこいいし。
 会長が煙草を吸うところはじめてみた。
 煙草といっても一般的な白い紙巻のあれじゃないのですよ。
 細長い薄茶色の、どこからどこまでがフィルターなのかわからない、映画の中で外人のオッサーンがくわえてそうなシロモノ。こころなし香りが違う……。

 フーーーーッと長い息を窓に向けて吐き出す。煙が午後の光のどこかへ消えていく。

 ……煙を吸い込む装置でもあるのかな。違うか。焼肉屋じゃあるまいし。

「すまんな。なるべくキミに煙がいかないよう努力する。ニコチン含有量は低い」
「いえいえ、お構いなく」

 私は言った。「うちじゃ、皆ところかまわず吸ってますよ」

 そう。都会では分煙だの受動喫煙の危険だのよく耳にするが、田舎ではまだまだなのだ。
 だーれも気にしてない。
 おじいちゃんや親戚のおっさん、チェリーやらオールドピースやら昔のキツイ煙草をスッパスパだもん。しかもフィルターのところを切り取って、直に吸うのである。ヘビースモーカーにもかかわらずぴんぴんしてる80、90のおじいさんもごろごろ。そんなだから、もしかして煙草の害って都会の空気との混合汚染によるものなんじゃないの? なんて思えたりもするのだ。
 地元に帰ると誰も禁煙なんて言わないしやってない。

「吸うときは何も考えず吸っちゃった方がいいですよ」
「フ、そうか」

 かっこいいなーー。
 頬杖ついて見てると、会長はちらっと窓の外に目を向けた。

「まるで城だな」

 うちの会社がすぐそこに見える。更に代々木のドコモタワー……。いつか、夜景を眺めた、東京の絶景。ちょっぴり痛い思い出とともに頭に浮かぶ。あのとき以来かな。

「日頃いかに狭い範囲で動いているか、こうして眺めるとよくわかる。狭い空間で、視野もおのずと狭まる……。そんなところで下した判断が果たして正しいといえるのだろうか」

 お、自覚はあるんだね。
 そうそう、もっと表に出ましょうよ。私は心の中で頷いた。

「……籠という字は何故竹冠に龍と書くのだろうな」

 眺めながら独り言みたいに呟いた会長の言葉の意味がわからなくて、私はえっと小さな声を上げた。

「二つあるな。龍、竜。籠といえば鳥、虫、魚……。それが……何故、竜……龍なんだろう」独り言なのだろうか。会長はふっと笑った。煙が乱れた。「……キミのその籠を見てふと思ったんだ。意味はない」ちらと私の横に視線を流した。

 籠? あっ……。
 私は傍らに置いた籠をつい引き寄せた。
 すっかり忘れちゃってたけど、このかご!
 やだーー……。
 無包装の本と小枝と手ぬぐいの包み、ドリンクボトル。どこの山に行って来たんですか〜? と問われそうな『いでたち』でここに来たんだった……。
 そりゃあ温泉街なら『情緒』もあろうが……。新宿の、高級ホテルのバーで。
 私は誰の視線も届かないよう奥にそれを押し込んだ。ハズカシー。

「何に使うのか知らんが、その枝、今の時期害虫が潜んでいるかもしれないよ。後でよく確かめておいた方がいい。案外このあたりは湿気がたまるんだ」
「はあ」

 何の害虫だろう? これは虫除けにするのだが。

「椿や、山茶花や、うちの家でも庭師が毎年駆除に大変だよ」
「そうなんですか」

 庭師とな。どんだけ豪邸に住んでるんだ。

「蛾の幼虫がついていたりするだろう」

 ……ちゃーどくがーね。お茶の葉や庭木につく。うんうん、知ってるわ。
 うちの家の周りもいっぱいいますよ。私は抵抗力ついちゃってますけど。
 梅雨前と秋のお祭りの頃に見かける、茶色のとげで覆われたいかにも毒々しい毛虫である。
 触れるだけじゃなく知らずに通りがかってその粉が体についただけでひどい湿疹とかゆみにおそわれる。かけばかくほど全身に広がって大変なことになるのだ。
 しかし。自然界にはそんなのにもちゃんと天敵が存在するもので。
 あの厄介者のスズメバチの一種がそうなのである。
 なんと毒の塊のようなチャドクガの幼虫を食っちゃうというのだからどんだけ強力な消化酵素持ってるんだか。
 まさに毒をもって毒を制す、である。
 まあ田舎じゃそういうのみんな知ってるのでスズメバチの巣を見つけてもすぐに駆除に回したりしないのだ。
 オレンジ色のショッカーみたいなグロテスクな外観ではあるけれど、とりあえず刺激しなければ襲ってこないのでみんな見て見ぬ振りしてる。
 松江市は島根の県庁所在地だが、賑わっているのは城のあたりと温泉街、あとショッピングモール周辺くらい、うちの実家の近辺は山間部と大差ないのだ。
 そんな田舎の虫事情……。
 
 いや、そんなことより私は『庭師』がひっかかるのである。
 この人の実家って、お屋敷?
 我が郷里の『足立美術館』が頭に浮かぶ。
 島根の観光コースにはたいてい組み込まれてるおじちゃんおばちゃんご用達美術館だ。展示品もさることながら喫茶室から眺める庭園がそれは見事な……。
 会長……そんなお屋敷で育ったのかな。庭師って……。

「失礼します」

 そうこうしてる間に注文の品がやってきた。
 豪華3段トレイにのったスコーン、サンド、ケーキ。
 きゃ〜〜。これ見て頬ふくらませない女子はいないって。

「いただきま〜す」

 サンドからしてピンク色〜〜。かわいいっ。ぱくっ。うまい〜〜〜。
 調子よくフォークがすすむ。なんといってもおかわり自由ですから!
 好きなだけスイーツを食べられる。これ以上の至福はない。断言しよう。

「会長はお食べにならないんですか?」
「私はいいよ。これと思うものがあればキミが作ってくれ」
「はあ」

 またそんな。こういう店ってどこそこのバターとか外国から空輸した有名チーズとか使ってて、しかも作ってるのは一流パティシエ。食べなきゃ損なのに。

「ふ、キミは美味そうに食べるな。見ていて気持ちがいい」

 相変わらずうまそうに煙草を吸う会長が言う。
 煙を吸うのが目的だったのかな。
 窓の向こうの自分の会社を意味深に眺めながら……。
 自分は『城』に缶詰になった『籠の鳥』とでも言いたいのだろうか。
 しかし。
 会長には『籠』ごとき狭い空間であっても私には『夢の城』だ。
 かなうことなら夜は猫になって住み込んじゃいたいくらい気に入っちゃってるのだ。
 そんな私の城、本当にあと1年足らずで退去しないといけないのかなあ?
 全く想像つかないアメリカでの生活……。
 どうなっちゃうんだろう。

 仮に、フライト恐怖症克服したとして、ずっと同じ暮らしが維持できるものだろうか。

 もしもしもし……会長の気が変わっちゃったりしたら??

 けっこん。

 今は可能性ないみたいなこと言ってたけど、アメリカに行くと状況変わるかもしれない。
 アメリカ時代は普通に彼女もいたみたいだから……。
 そう、万が一ってこともありうる。
 アメリカは広いのだ。会長みたいな変わりもののオッサーンがいいって女性も現れるかもしれない。
 
 ナイスバディのおねーちゃん。会長と対等に物申す女性。セクシー光線ビシバシ放ち、あっという間に深い関係に。
 そしてある日こういうのだ。
 
『ねえ、あなたの健康、私が管理したいの。あの子、やめさせちゃっていい?』

 ……ねえ、それってありえなくはない?

 あっさり承諾。私は遠いアメリカの地で無職……。
 言葉も通じず、料理の腕もたいしたことなく、元の貧乏生活に逆戻り……。

 うぅぅ〜〜〜。
 一気に体が冷えた。

「ん? どうした」

 私の悪い癖。すぐに顔に出るところ。
 きっとそんな顔して見つめていたんだろう。

「時々感じるんだが……。キミは何かためているな。普段言いにくいことであれば今言いなさい」

 しかし。
 ここは以前痛い思い出話をさせてしまった場所でもある。
 私はまずフォークを置いた。そして慎重に言葉を探った。「あ、あの、実は」
 
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密室の恋3 その12

 落ち着いて落ち着いて。目を合わさないように。彼の煙草をひっかける長い指を見ながら言ったのだ。

「結婚? 私が?」

 男らしい節の際立つ、それでいてしなやかな指は、いったん胸の位置で静止して、彼は煙草を灰皿に置いた。

「何を今更。私は結婚なんてしないよ」
「でも……」

 ちらりと上目遣いに覗くと、会長は大きく足を組みなおし重心を左側の肘掛に寄せた。あきれた顔をして、

「キミも言ってくれるね。いずれ結婚してキミをお払い箱にする? 私がそんなことをする男に見えるか?」
「す、すみません」

 だって、わからないじゃん。恋は突然落ちるものだ。

「キミは社則を読んだだろう?」
「は? え、ええ」
「一度契約を交わした社員はそう簡単に解雇できない。我が社だけじゃない、今は大抵どこもそうなってるんだ。不当に解雇なんてすればこっちが訴えられる」
「はあ……」

 そっか……。バイトや派遣と違うんだね。私、経験上そういうのイマイチわからないからさ。ちょっと安心?

「それに」

 会長は腕を崩し置いていた煙草の灰を灰皿の縁で払い口にくわえた。少しだけ顔をしかめてせわしく吸い込むとワンテンポ置いてふうと吐き出す。紫煙が彼の上半身を一瞬覆った。


「私がキミを解雇するわけないだろう。せっかくうまくいきかけてるのに。台無しになるじゃないか」

 指の先で持ちかえると煙草を灰皿に押しつぶした。つい、もったいないなと思ってしまう。まだ相当残ってるのに。

「私は結婚しないよ。断言してもいい」

 腕組みをしてまっすぐ視線をこっちに向けた。

「恋愛事は向いてないんだ。見ていてわからないか?」

 ……まあ、そんな気はしてるけど。
 私もどっちかというと恋愛体質じゃない。
 それなのにこんなこというなんて変かな?
 よくわかんなくなってきた。

「……私のことより、キミはどうなんだ」
「え?」
「私よりキミにそういう相手が現れる確率のほうがよほど高いと思うが」

 
 そんな。

「まだ若いのだから。そうだろう?」
「そ、そんな人、いませんよっ」

 会長、知らないから、私のダメ男遍歴……。私が勢いよくテーブルを叩いたものだから、会長は面白そうに微笑んだ。煙草持ってないのに、持ってるみたいに右手をふりかざして、すぐに下ろした。

「だから将来可能性がある……。そういう話をしてるんだろう? 私としてもキミが突然『結婚退職』なんてことになったら困るんだが」

 けっこんたいしょく?
 ちょっと……話をすりかえないで。
 
「そんなこと、ぜーーっっっ……たいありえないです! 私は今の仕事がいいんです! 男なんかとデートするよりよっぽど楽しいんだから」
「私もそうだよ」
「え」
「私もそうだ。……女性と付き合って、最初はいいんだ。だが、だんだん……あるだろう? 束縛だったり、他の男との比較だったり、ちょっとした駆け引き……。そういうのがイヤなんだ。我慢できなくて切ってしまう」

 腕組みしてちらっと窓の外に目をやる。遠い目で記憶をたどってるのだろうか。
 それは……マヤさん?

「キミといる方がはるかに有意義だ」

 そうだろう? といわんばかりの強い視線。腕を伸ばしてケースから新しい煙草を出した。
 真鍮の透かし彫りのクソ高そうなシガレットケースである。
 ところで何故こんなのが出てくるんだろう? まるでキープしてるがのごとく。
 もしかして、お店のオリジナル銘柄とかあるのだろうか。
 どうしても煙草がやめられないセレブなおじさん向けに出してる……とか。

「キミと私は利害関係が一致している。私はもう女を抱く気はないし、キミは男と街を歩くよりこまごまと……身奇麗にして料理を作ってる方が楽しいんだろう?」

 にっと女の人みたいに微笑んで私の顔を覗き込む。固まってるとおやという表情になった。

「失礼。昼間だったな」

 姿勢を正してまた煙草に火をつける。ふっと窓に煙をぶつけた。

「それでいいんじゃないか? とにかく私がキミを解雇することはないから安心してくれ。それでも万が一……と不安がるなら、キミと個人契約を結んでもいいな」
 
 こじんけいやく?

「もし仮にキミの想像する事態になったらそれ相応の違約金を払うよ。それこそキミが安心して暮らせるだけの額を。約束する」

 ちょっと……。それって。

「今すぐにでも、弁護士を呼んで正式に文書化してもいいよ。いちいちそんなことで不安がられたのではたまらんからな」

 会長は実にうまそうに煙草を吸いながらそう結んだ。
 ありがとうございます、とも言えず私は黙り込んだ。
 ち・ん・も・く。
 こんなとき……やることといえばできるだけ自然を装うのみである。
 つまり、目の前にあるものをひたすら食らう。
 てかてかのフォークをマカロンに突き刺すと中のクリームがむにゅっと出てきた。

「実際快適な環境にあるんだ。今の仕事をスムーズに終わらせるために……キミは私に最低限の食事を出してくれさえすればいい。あとは何をしてもいい。必要なものがあればそのつど買ってあげる」

 何をしてもいい……って下におすそ分けしたら怒るくせに。なんかもやっとするなあ。
 エアーもやっとボールをぶつけてみる。
 じっと見つめられて、見つめ返すとふっと微笑。何かを含ませた視線である。私が会長の彼女なら『何? 何か言いたいの?』と尋ねるところだ。

「いや。付き合ってる男がいないのなら、キミの携帯の待ち受け画面の男は誰なのだろうと思ってね。……家族ではなさそうだ」

 どきーーん。しししし、知ってたの?
 私の携帯……いつ見たんだろう。
 私ときたら無造作に会長の目の前で取り出していじってたことがあったかもしれない。タクシーの中とか。
 見られてたんだ?
 白バラくん……。

「ち、ちちちがいますよっ、やだなあ、会長ったら」

 別に冷汗流すことなんてないのである。
 けれども私はあせりまくって、口からでまかせにこんなことをほざいていた。

「あ、 あれ、あの人、地元でちょっと話題の人なんです。あの、よくあるじゃないですか、待ち受けにしとくと幸せになるよーっていう画像とか。そそそそれなんです よ! だって、ほら、素敵でしょ? だから、みんな入れてますよ! 私みたいな、彼氏いない子とか、ちょうどいいの!!」

 なんて。実際携帯ふりかざして。我ながらひどい。
 でも地元の人というのはあってるわ。
 超美男子の彼。松江のお隣米子出身。名前は忘れた。
 

「ふふ。そうか」

 会長はさほど気にせずといった具合に紫煙をくゆらせる。私は携帯をポケットにしまった。どきどきして、指がスカートの裏地に引っかかってしまいそうだ。「そっ……」

「そうですよ! 会長もそういうのいれてみたらどうですか?」

 あーあぶねえ。焦るのも変だけども、もっと変なことに『あとで消去しとかないと』などとちっとも思わないのである。
 麗しいから消しちゃうのもったいないといえばそうなんだけど。
 幸せになる待ち受け。まんざら……口からでまかせでもないような? 一応ね、ハッピーをもたらせてくれた功績だってある。

 私は気まずさをごまかすのもあってひたすら食べまくった。そうして大方食べ終えるころ、お店の人がやってきて会長の傍で腰をかがめた。

「九条様。お車が到着しました」
「ん」

 会長は煙草をもみ消した。

「さて。出かけるとするか。キミはどうする? まだここにいてもいいが」

 いえいえ、一緒に帰ります、私は急いで最後のスコーンを飲み込んだ。ぬるくなった紅茶で流し込む。
 ああ、こういうとこが庶民だ。残して去ることができないのである。
 一方会長はコーヒーを半分ほどしか飲んでなかった。

「ありがとうございました」

 おじぎだけされてキャッシャーをスルー。ツケなの?? 私は籠を両腕で抱えて隠しながらエレベーターを待つ。
 ああ、吹き抜けが気持ちいい。
 私思うの。
 六本木ヒルズとか、ミッドタウンとか、東京に名所は山とあるけど女の子であればまずはここでしょ。
 この雰囲気。
 都会の空中庭園、天界の温室、空にそびえるガラスのピラミッドだ、まるで。
 乙女……のころあいは過ぎたけど、気持ち乙女な女の人で結構混んでいる。会社のようにリフトをほぼ独占……とはいかない。
 狭い空間に乗り込むと感じる。おばさま、おねえさまがたのチラチラ視線。
 会長はそれらを全く無視して、上から私の籠を持ったあたりを見つめていた。
 ドアが開いた。マンションのエントランスホールのようなモダンなつくりのロビーである。あんまりホテルっぽくないと私は思う。そこのモダンオブジェを通り過ぎたところで、会長は歩を止めた。籠をひょいと持ち上げる。
「月桂樹か。あんなところに生えているんだな。こんなに持って帰って冠でも作るのか?」中の月桂樹の葉に顔を近づけた。
 い、いえ、と口ごもる私にすっと籠を返して、「……ダフネーとアポロンのようにならないといいが」それはまた独り言のように聞こえた。

「お疲れ様です。会長。実はーーー」

 外に出るといつもの運転手さんが帽子を取って頭を下げ、会長に耳打ちした。
 広い無機質な車寄せにとまる黒いピカピカのレクサス。ドアマンさんもなじみな風にそばについている。

 彼が会長だって知ってる数少ないうちの一人だね。あとは掃除のおばちゃん、ガードマン、守衛さん……。
 そしてこの隣のホテルの従業員……。
 つくづくヘンな会社だ。そこまで正体隠す必要があるのだろうか。

「これから直接箱根に行くことになった。今日はもう帰社しないからキミは帰っていいよ」

 振り向いて言われて私は籠を抱えたままおじぎをした。

「いってらっしゃいませ」

 ほんの一瞬香る青臭い生葉の匂い。それはよく知るローリエの香りじゃなかった。

 部屋に戻ったのは4時前だ。月桂樹を入れたまま籠をカウンターの定位置に戻した。

 つい、おかえりと声かけてやりたくなる。籠自体は可愛いのだ。

 軽い気持ちで持ち出したのはよかったが……。
 
 よく考えたら浮きまくってたに違いない。会長はスーツだからいいけどさ、私なんて制服にこれ。あの子勤務中に何? みたいな。
 ああ、もやもやもやもや……。

 サバランが本に化けて、わらしべ長者か。
 

 そのりゅうちゃんの本をぱらぱらめくると、はらりと小さな紙切れが床に落ちた。

『今日はごくろうさま。よかったらレシピ交換しませんか?』

 きれいな手書きでそう書かれていた。メアドと、何かのURLとともに。


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密室の恋3 その13

「結局さ、押してだめなら引いてみなってことなんだよね」

 徒歩通勤はメールチェックにうってつけだ。
 朝一のメールチェックの前に私のタイムラインを開いて何となく目に留まった誰かのつぶやき。何の話かと思って前後を探ると某国内SNS内コミュ「AB型研究会」メンバーによる対AB型付き合い術についての一文だった。
「あんまり押しが強いと見下されちゃうのよ。思い切って突き放してみて。向こうから泣きついてくるかもよ」
 誰かAB型彼氏の相談でも持ちかけたのかな。そこまではわかんない。何せ毎日毎日膨大な量だ。
 メールも届いてる。見るとりゅうちゃんからだ。
 夕べ、お店が終わった頃合を見て貰ったアドレスにとりあえずメールを送っておいたのだ。
「こちらこそありがとうございました。教えていただいたアドレスはレシピ?見てよかったのでしょうか」
 と、ほんの2行程度だが。
「メールありがとう。てことは見てもらえたんですね。ええ、もちろんいいですよ。思いついたことをとりあえず放り込んでるんですが、整理する暇がなくてあのざまです(笑)」
 URLの方はオンラインノートのアドレスみたいで、チラッと見た感じ、レシピの元みたいなメモ書きとイラストが雑多に並んでいた。
 う〜ん、有名シェフの手書きレシピなんてめったに見れるもんじゃないわ。超役得……。
 メールなんて流れだ。深く考えずピピとボタンを押して返信文を送る。
「おはようございます。今通勤中です。そうなんですか。手書きなんですね、ファンの方喜びそう」
 お。すぐに返信が。
「おはようございます。iPhoneのアプリですよ。手書きメモ。思いついたときに携帯にメモって保存してます。僕の年齢だとキー打つよりこっちのが早いです」
 へー。スマホなんだ。
「面白そうですね。DSのタッチペンみたいなもので?」
「ええ。あ、よければノート上にチャットもあるからそちらへいらっしゃいませんか?今僕コーヒータイムです」
 と、アドレスつきで。アクセスしてみる。以下はそのチャットでの会話である。
「スマホですかー。面白そうですね」
「ええ。すっかりはまっちゃってます。歩き回る暇がない分余計にね。iPhoneいいですよ。今曲流しながらこれ打ってる」
「優雅〜。お店ですよね」
「ええ。朝のくつろぎタイムです。これから仕込みに入ります」
 いいなあ。おしゃれなお店で。いい感じ。イケメンだしさ。
「レシピに何か意見してもらえるとうれしいなあ。とりあえずアドレス知ってる人だけに公開してるページなので、自由に書いてもらっていいですよ」
 えーー。でも。
「まとめるくらいならできますけど……」
 まあ、ほとんどの時間暇だから。
「えーホントですか。うれしいなあ。好きにいじっちゃってください。僕実は清書が苦手で、本出すのも苦労しました」
 へー。ちゃんと自分で書いてるんだ。……そりゃそうか。
「そうなんですかー。早速いくつか参考にさせてもらおうかと思ってます」
「九条くんに出すんですよね。お忙しいみたいだからぜひシンプルな手料理でいたわってあげてください。イタリアンはおじさんをきれいにしますよ(笑)。バジルやミントの葉をかじっとけば口臭なんてすぐに消えます」
「へ〜。そうなんですか。他に疲労回復のレシピ、どんなのがありますか?」
「んーー。そうだな。僕は気分の悪いときバージンオイルを直に飲んだりします。あと、バターコーヒーと。水も何も受け付けないときはズバリカルピスの原液ですね」
「原液?」
「そう。なぜかこれが利くんですよ。僕だけかもしれないけど。カルピスの麦芽糖がいいのかな?それにレモンをたらして。レモンは是非ヨーロッパ産のを使ってください。国産のレモンは皮がかたいのですが向こうのは皮が柔らかくてジューシーです。なければ贈りますよ。お宅のビル名に会長室と入れとけば届きますよね。便利な世の中だなあ(笑」
「そうですね。便利」
 マジそうなのよね。または成明くんの名前だけでもオッケーなのだ。名前知らない社員が多いのに……。謎。
「国産であればゆずやすだちやみかんの仲間を使うのもありですね。あとイタリアンじゃないけど甘酒も時々作ります。酒粕じゃない方の。これは効果てき面ですよ。血管注射のようなものだと思ってください」
「甘酒ですか。実家で作ってますが、うち、酒かす派だ。酒豪がそろってるんで」
「それはたのもしいですね!まあ味はそっちのほうがいいかもしれないけど、ぜひ麹菌常備しておいてください。炊飯器にご飯と麹菌いれとけば勝手にできてます。麹漬けにもつかえます」
「和食?」
 意外にも。
「そう。和食。意外と裏では和食のまかない食べてたりするんですよ。お客様がイタめし食べてる陰でね」
 何だかあの人の笑顔が伝わってくるようだ。ふむ。麹菌はないけど……。簡単そうだからつくってみようかな。
「この年になると少々バタ臭いものがほしくなるんですよね。イタリアンもいいけどおすすめはエチオピアとベトナムのコーヒーです。エチオピアのは独特なバターをたっぷり入れるんですが、これがくせになる。ただ手に入りにくいのでベトナムの方が無難でしょうね。コーヒー豆をバターでローストするんですよ。深入りのほうがいいです。できればがりがり手動で削って粉を残すんです。練乳を底にたっぷり入れた上から液を注ぎます。これもおじさんにはたまらんなあ」
 ふふ。かわいいなあ。
「ありがとうございます。早速やってみよう」
 会長も飲んでくれそうな気がする。なんたって同級生だ。
「九条くん、僕が料理を担当した某レセプションの会場でお会いしたのですが、財界の方々の中で一番若くて、気遣いが大変だろうなあと思いました。是非労わってあげてください(笑)」
 そうか。そうだよね。会長は34歳だけど、お偉方からすれば息子くらいの年なんだ。気……遣うよね。
「ええ。がんばってみます。海老の献立の方もよろしくおねがいします」
「ああ、それ、実はほぼ決まってるみたいですよ」
 え?
「だから文字通り試食会らしいです。メニューは市川さんの和ものと僕の洋物、試食会でプロの方とブロガーさんの意見を入れて最終的にコーディネーターの方が微調整するんだって」
 そうなんだー。ちょっとだけ安心? でも私のメニューって。あんなのどこにでもありそうだが。
「厳しい意見なんて多分出ませんよ。安心していいと思うよ」
「ありがとうございます。ところでスマホどうですか?気にはなってるんですよね」
「ああ、いいですよ。iPadは前から持ってましたが、携帯変えて一気に生活が変わりました。周りの料理人にもすごい勢いで広がってます。感覚的に使いやすいですね。アプリやアクセサリ揃えるのも結構楽しいものですね。若い子の気持ちがやっとわかった。今無印のアクリルケースに置いてますが何かいいのないかなあ。すっかりマカーです。さらに縁遠くなりそうだ。九条くんもそんなこと言ってましたね。釣りをされるとか??休日が皆無だそうで。これからオタク化した独身男性が増殖するかもしれませんね(苦笑)」
 ふーーん。男同士喋ってるんだなあ。
 うちの会社もつい最近iPadが全社員に配られた。社内でいじってる人よく見かける。なんとなくおしゃれに見えるのは気のせい?
 オタクはオタクでもMacオタクは『きれいな』オタクっと……プ。
「ああ、そろそろ店の子が戻ってくる。それじゃ、このへんで。是非自由に書き込んでくださいね」

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密室の恋3 その14

 朝早くからあいてるスーパーに寄ると麹漬けの素を売っていたのでそれを買って出社する。
 会長は夕べは箱根にお泊りだ。出社は昼前になるだろう。または、直接出先に向かうか……。
 相変わらず多忙だ。一泊4、5万の高級旅館に泊まっていいなぁ〜なんてとても思えない。
 相手はおじさんばっかり。どんなにすばらしい料理もおいしさ半減だよね。
 さて、甘酒にトライ。
 まずご飯を炊いて、水と麹菌を混ぜておく。様子を見ながら温度を調整して数時間後に分解されて甘酒になってるそうな。どんな味なんだろう?? 麹というとうちではお味噌を仕込むときくらいしかつかってなかったはず。麹漬けより粕漬け。とことんのんべ〜の家系なのよね……。
 炊き上がるまでの間、拭き掃除でもしようかとキッチンから出た。
「あ、いらっしゃったんですか」
 いないとおもっていた人がいた。「おはようございます」しかしいつもと様子がかなり違う。ソファに横たわって、メガネかけて、手を額に当てて、足を無造作にセンターテーブルにかけている。
「ん〜〜〜〜〜〜。飲みすぎた。悪いが水もらえるか? ボトルのままでいい」
「は、はい」
 私は急いでキッチンへ引き返した。
 うちの会社はミネラルウォーターというとエビアンかヴィッテルなのだが、その500ml入りボトルを2本トレイに載せて、いつもよりかしこまって会長に手渡した。
 すぐにラッパのみ。
 きつそう、成明くん……。いつも見てるから何となくわかるのだ。
 もう1本をテーブルにおいて、キッチンに戻る。
 さっき聞いたばかりのカルピス。ショットグラスに原液を景気よくついで、すだちを絞った。
 それをトレーに載せ、2本とも飲み終えふかふかのソファに横たわる彼のそばに恭しくひざをついた。
「よろしければお飲みください。少しは楽になられるといいのですが」
 彼はゆっくりとグラスと私の両方に視線を合わせ、ほんのちょっと顔を曇らせた。
「腰を上げてくれ。キミにそんな小間使いのような格好はしてほしくない」
「カフェでの基本姿勢です。お客様に直接お取りいただくときこうしていました」
「……わかったよ」
 静かに息を吐き、上体を上げるとソファに座りなおして彼はグラスを手に取った。くいっと一気に飲み干し、
「ん。すっきりするな」
 まばたきして、トレイにグラスを置いた。私はそおっと腰を上げた。
「ああ、あのくらいでダウンとは情けない。もう年だな」
 彼はすっと手を胸のポケットに回し、タバコを取り出した。
 あっと思うより何より、私は彼のその手を制した。
「タバコはまだおやめになったほうが。お昼に差し支えます」
「ん……」
 タバコを元に戻し、肘をひざに置いて首をもたげた。
 アルコールの分解が間に合わずに体を巡っているのだ。何はともあれまず加水分解。水が大量に必要だ。
 さらに糖分。クエン酸。とりあえず理にかなってる。さすが、同年代シェフ。
 彼はしばらくそうしていて、ソファの背もたれによりかかった。心地よさそうに上を向いて大きく息を吐く。
 ああ、腎臓のあたりが痛いんだろうな。成明くん。会長じゃなかったら、背中を揉んであげるのに。
 つまるところそれが一番気持ちいいのだ。人に擦られることで気休めにもなる。「楽になった」
「キミは気が利くね。通いつめた旅館の仲居でも中々こうはいかないよ。水とありきたりに錠剤飲まされるくらいだ」
 と彼は微笑んでこっちを向いた。
「ウコンの錠剤でしたらお食事の早い時間にお飲みくだされば翌朝の状態がかなり違うと思います」
 ウコンは飲む前に体に入れておいたほうがいいのだ。
「そうか。じゃ、次はそうするよ。もう一杯くれ」
「はい」
 よかった。体質に合いそう? りゅうちゃん、感謝。
 カルピスの買い置きにも感謝だ。
「どうぞ」
「ありがとう」
 今度はゆっくりグラスを傾けて流し込む。幾分、顔色がよく見えるのは気のせいじゃあるまい。
「ああ、生き返るようだ。何とか持ちこたえそうだ」
 そう。さらに悪いことにこのあとまた会食なのだ。
 銀座のレストランの個室で会食&会議。汐留のT不動産社長、デザイナーの御堂さん、国交省のお役人サマ、どっかの県知事……と、お若い御堂さん以外はつい顔を引き締めずにいられない面々だ。また地方のでかい開発事業でも決まったのだろうか。誰かかわりに出れないのかな。毎日これじゃ体がもたないよ……。いったいどんな接待なんだか。
「こんな甘いものが効くんだな。キミらしいと言うか」
「いえ。あの、藤島さんに教えていただきました」
 彼は調子が戻ったのか再び胸のポケットに手を入れタバコを取り出した。一本くわえたところで口から離し、「藤島くんに?」
「はい」
「彼とメール交換したのか」
「ええ」
「そう。早いね」
 シュッと火をつけて煙を吸う。
「はあ、あの、試食会のことで色々伺っておこうと思って……」
 ほとんど雑談だった気がするけれども。
「フ、そんなに気負わなくていいよ。実はもうライン動かす日取りも決まってるんだ」
 と横を向きいつものクールな調子でタバコをふかす。
「地方は早急に職と金を欲しがってるからね」
 昨日と違う。市販のタバコ。
 ショートピース。うちのおじいちゃんと同じ銘柄だ。
「確実に売れそうな品と料理人のネームバリューと、一般人の口コミ。それが欲しかったんだ。彼は運がいいといっていたがね」
 りゅうちゃんに関していえばホントにそうだよね。
「会長のお知りあいだなんて。偶然再会されたそうですが、よくわかりましたね」
「いや。私はわからなかったよ。彼は、苗字が違っていた」
 あ。そうなんだ……。瞬間、昨日のりゅうちゃんの穏やかな笑みの向こうにあるものがほんの少しのぞいた気がした。
「初等科の途中で両親が離婚して、母親の地元の福島に移ったそうだ。私も母親が福島の出身でね、それで話が続いたんだよ」
「そうなんですか」

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密室の恋3 その15

 彼はテーブルの下の棚からアルミのトレイを取り出し、灰皿にした。それはアルミの板を折り紙の作品みたいに折りたたんであり、私はてっきりオブジェだと思っていた。
「彼は苦労したのだろうな。裸一貫でヨーロッパに渡り、今の店を開いた。大したものだね。私とはえらい違いだ」
 えっと思った。会長こそご苦労がたえないだろうに。誰から見ても。
「そんなことは……。藤島さんは気遣ってらっしゃいましたよ?」
 大変だろうから。彼はふっと息を吐いていやいやと頭を振った。
「苦労したのは父だな。父は大学を卒業してすぐに母と結婚した。周囲の大反対を押し切って。その時点で一族から四面楚歌だ。母が亡くなってもそれは続いた。きつかったろうね。いまだに父方の親族とは疎遠だ」
 煙を顔の周りにくゆらせながら。胸がきゅんとなる。空腹で胃が収縮するように胸の中の何かが絞り上げられるような感じ。ここに来るまでなかった現象だ。
「皆が皆父の結婚に反対した。わかるかな? 古臭い家だ。父の代まで結婚は親が決めるものだった。父はそれを払拭したくて色々メスを入れた。家のしきたりや事業においても」
 タバコを持ち替えて彼は足を組んだ。ゆっくり息を吐きながらトレイに置く。
「それを私が壊してしまった。あと少しというところで。普通の家に育った母と違い、正真正銘の因縁の相手と出会ってしまったわけだな」
 ……マヤさんの話? 「あの」
「親が子供の結婚にあれこれ口を出すのはお金持ちだろうと普通の家だろうと一緒ですよ」
 そんな顔しないで。胸がまた痛むじゃない。彼はまた首を振った。
「反対だな。父は別に何も言わなかった。事実を伝えてくれただけだ。私の方が拒絶した。完全にはめられたと思った。女を使って私を抱き込もうとしたのだと、そう思い込んでしまったんだ。父も弟も考えすぎだと笑った。だが、そのうちきな臭い流れになった。あっという間に会社をのっとられそうになった。内通者が出たんだよ。株の操作だね。もう婚約どころじゃない。父は必死で社を守ろうとした。あちこち手を回し、外国にも飛び、その最中に病で倒れ、私が跡を継ぐことになったんだが。弟にはそのいきさつが理解できなかった。何故あの家がだめなのか、何故私が彼女を捨てたのか、むしろ逆に会社の方を手放すべきじゃないのか、彼女を愛しているのなら……。そう言い張った。高広は……根本的に私とは考え方が違うんだ」
 寂しげな視線。そんな言い方だと、まだ元婚約者さんを愛してるのかなと思ってしまうのだが。違うのかな。
「藤島くんと話していると……苦労したのだろうと思う反面、母親や親戚に守られて育って……羨ましいとも思う」
 彼はタバコをもみ消した。
「いかんな。何故こんな話をするのだろう。キミといるとどうもこうなってしまう。これもカフェの店員とやらの話術のうちかな? 聞き上手だね」
「そんなことは」
 私はただのバイト店員だったんだよ? 運がいいだけ。
「タバコもやめてるつもりがつい吸ってしまう……。我が社は別に禁煙をすすめてるわけじゃないが、社長と副社長が吸わんからな。何となくそういう流れになっている。私がこれでは示しがつかん」
 だからー。あれダメこれダメで追い詰めるから余計疲れるのでは。
 何て言ってあげればいいんだろう。
 吸いたきゃ吸えばいいのだ。
 ピース。タールとニコチンの含有量が多くきついタバコだが、うちのおじいちゃんは80過ぎてぴんぴんしてるわ。
 特にタール、ヤニを吸うのである。おじいちゃんによるとこれが醍醐味なのだそうだ。同じピースのライト吸ってるお父さんのことを『はなたれ小僧』と呼んで馬鹿にしてるくらいだ。とんかつとカレーが大好きで、おばあちゃんとけんかした日には自分でレトルトカレーあっためて食べる業も身につけた。元気で風邪一つひかない。だから誰も禁煙なんて口にしないの。田舎のじーさんマジすごい。
「せめてキミの前では吸うまいと思っていたのにね。うまくいかんな」
 と素敵な笑顔。ようやく胸のきゅーんが緩んだ。
 成明くん。
 こんなにおしゃれでかっこいいのに、それがちっとも生かされないのである。
 世のおじさんルールはまだまだ彼みたいな種族に厳しいのだ。
 かつて世の中を支配していたお公家様、将軍様、大商人に加え、その辺のむくつけきおっさんも台頭してきて今や何でもありな状態なのである。どんなに最新の経営戦術を学んでいようと、おっさんの世界では通用しない。逆に反感を買ってしまうかもしれない。それは桜の木の下でドンちゃん騒ぎやってる赤ら顔のおじさんやいじめをする中学生となんら変わりないのだ。
 洗練されたかっこいい人ほどいじめられる。
 この部屋だってそうだろう。ここは、私が来るずっと前からこんなカフェのようなおしゃれな空間だった。それは成明くんの趣味というよりはお父さんの趣向で、きっと、前会長さんはいかにもおやじ臭さ漂うおっさんの談合をどうにかしたかったのだと思う。同じうさんくさい取引をするにしても、こんな洒落た部屋でワインを交わしながらすすめれば、気分が違うというものだ。
 お父さんの代から苦労して、成明くんもしかり。いまだに世のおっさんルールは絶大な権力を誇っているのだ。
 この部屋に一歩踏み込めば違うのにね。あの釣り師の社長さんのように。社長と副社長のように。
 私の料理の力なんてたいしたことない。この部屋のカフェ的な魅力がやっと実を結びかけてきたのだ。
 そう、おっさんだっておしゃれになっちゃえばいいじゃん?
 これ以上うちの会長をいじめるなー。
「ああ……。思い出してしまったな。せめて弟だけでも会津の祖父母に預けていたならこんなことにはならなかったはずだ」
「それじゃ、おじいさまおばあさまはまだ福島に?」
「ああ。古い旅館をやってるよ。連絡を取れば気軽に話してくれる」
 そうなんだ。少しほっとした。
「……あまり思いつめない方がいいですよ。その……弟さんとご一緒に会津のおうちで過ごされた思い出もあるのでしょう?」
 川で泳いだり山で虫取ったり。ごくありふれた楽しい記憶が。
「ふ、それはあまり話したくない」
 高広くん。いるのにな。その辺にいるはず。何故会ってくれないのだろう。
 お兄さんはこんなに弟のことを思っているのに。
 私が邪魔しちゃった? 高広くん、山口に行く予定だったみたいなこと言ってたし。
 何かもくろみがあったのだろうか。
 そうではなくて、道端でばったり、じゃダメなのかな。
 私だってそうだった。
 高広くんが生きて日本にいること知ったら、少しは流れが変わるだろうか。
 今ここで正直に話せば。
「なるあきくん……」
「ん?」
「実は」
 はっ。思わず口を閉じた。私、今、なんつった? なるあきくん、て。わーーーー。ハズイッ。
「す、すすすみません、ついっ」
 カーーッと頬が熱くなる。
「? 実は……何だ? そこでやめられると気になるじゃないか」
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