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密室の恋 11

 夢の給料50万……。
 想像するだけでフワーッとハートがばら色になる私ってかなりの小市民?
 でもさ、現実問題。
 それだけあればアパート引越しだけじゃない、化粧品だって服だってワンランクアップできるのだ……。
 化粧品なんて、カフェで働いている時は特に消耗が激しいから殆どがロフトやドラッグストアのセルフコーナーのもので間に合わせ、よくてせいぜいポール&ジョーかスティラ程度(……パッケージが可愛いから)だった。
 でも50万あれば?
 資生堂のいっちばん高いライン揃えたって余りある。ディスカウントショップじゃなくてデパートのカウンターでまとめ買いしてやるのだ。
 シャンプーだって。今はボディ&バスショップで買ったリンスいらずのハニーシャンプー(800円足らず)を使ってるけど、サロン用の1本5000円のシャンプー&コンディショナーに変えてやろうじゃんーー。チャン・ツィイーか仲間由紀恵か、ってくらい艶艶ワンレンも夢じゃない!
 うーーん……、想像するだけで幸せ。現実は1DKの小さな部屋で日に日に近づくプチゴージャスを夢見る私。
 ささやかなリッチ気分とばかりにローズのバスバブルを入れたお風呂に浸かる。このバスタブ。小さくてついシャワーで済ましてしまいがちだった。新しい部屋はもっとゆったり入れるお風呂付きにしよう。キッチンはまあそこそこでいいとしても(会社のが贅沢仕様だから)、お風呂はこだわりたいな。
 そろそろ賃貸情報見ておかなきゃ……。
 お風呂を出たあと本日の画像を更新しようとしてコメント入っているのに気付いた。
 お久しぶりのみなみんさんからのものだった。

『こんにちは〜。またまた来ちゃいました。またメニュー増えてますねー。羨ましいな。。でもね、私にもちょっといいことがありましたよ。土日はヒロくんと別行動だったんですが、今日のお昼汐留のホテルのパーティに連れて行ってもらって、くじでジューサーが当たったんです!HISっていうかわいい家電メーカーさんのパーティだったのですが超素敵でした♪料理もすっごくおいしくて、セレブな気分に浸れましたよ』

 相変わらずの長文。私はフンフンと読んでいた。
 ところが、はっと気付く。

 ―――HIS?

 なんか……、会長が昼間行ったパーティもそんな会社の主催じゃなかった?

 ―――汐留のホテル?

 ……コンラッドって汐留になかったっけ? そういえば。

「えーーー……?」

 突如頭の中が混ぜこぜになる私。文はまだまだ続いていた。

『今までで一番セレブなパーティだったかもです!はじめに○英商事の会長さんが乾杯の挨拶されたのですが、超若くって超超カッコいいのでびっくりしちゃいました!聞いたらヒロくんと同じ年だって。すごい大きな会社の会長さんなのにお若くてびっくり!!ヒロくんも頑張らないと!それとくじですが、目玉は海外輸出用のかわいい炊飯ジャーでしたよ。ジューサーかわいいけどあっちのがいいな。。大抵の煮物とかできちゃうらしいです。なんか私にぴったり?ヒロくんには言えないけど。あーまた長くなっちゃった、じゃこのへんで。またセレブなお話しましょうね〜〜』

 ひぃ――――……。

 みなみんさんの超長い、超ふわっと天然♪な書き込みに反して、顔面ひきつる私。

「いいぃ、ヤバイィーー……」

 ――○英商事の会長って。そのまんまじゃん、ウチの会長のこと!?
 やだ、会長スピーチなんてしたの!? マジ?
 あちゃーー、こんなに早く足がつくとはっ。……いやバレてはないけども。
 で、ナニよ、その輸出用炊飯器って。まさか会長が持って帰ってきたヤツ!? あれって目玉だったの!? 会長ったら何も言わないからわかんないじゃん!

「ちょ、超ニアミス―――……」

 とんだセレブつながりもあったものだ。
 こんなことってあるの? 東京の人口考えたらとても想像つかない。
 ―――だがしかし。
 貧乏人は履いて捨てるほどいるが、セレブな人種は極端に少ないのだ。それを考えると……。ありえなくはない。
 しかもナニ、ヒロくんと同い年って! マジですか〜〜?
 何でこんなにボロボロ書いちゃうの、みなみんさん。もしもここで私が、
『あ、もしかしてそれってnarsさんかも〜〜。ホテルってコンラッドですか?私もくじの商品もらっちゃいましたよ。なんと、炊飯器でした♪世の中って狭いですね』
 なんて、うかつにマジレスしたらどうなる?
 会長は絶対こんなブログなんて見るわけないけどさ。
 ○英商事なんてバレバレじゃん? もしもー、ここの社員さんが私がこんなの書いてるってことに気付いたら?


 社員が興味本位に話を広げる
 ↓
 それが上層部に伝わる
 ↓
 会長が恥をかく
 ↓
 怒りを買って私は首
 ↓
 給料パア


 えーー……。そんなの困る!! せめて1年分はもらわないと年収にならないじゃん!! 50万×12ヶ月+ボーナス半年分。これだけは絶対欲しい!!

 パニくる。すぐにそういう結論に結びつけるのはあまりに短絡的だが、それほど心に余裕がなかったことは確かだ。
「……ブログなんてやめるべき?」
 と呟く小心者の私。携帯でなんてやっぱ不経済だし?
 う〜〜。うじうじボタンをいじってると、みなみんさんのコメントの下に続くコメントが目に入る。

『はじめまして〜。みなみんさん。いきなりレスしてスミマセン。セレブなお話素敵です〜。パーティなんてしばらく行ってないな』

 先日ご登場のプシィさんの書き込みだ。そういえばコメントは1件ではなかった。

『―――みなみんさんのカレシさんの話見てたらつい書きたくなっちゃって。。私の彼はただいま資格取得に向けて猛勉強中で、お休みの日にお昼ごはんを差し入れに行ってます♪みなみんさんのカレシさんは長州小力似だそうですね。私の彼は南海キャンディーズの山ちゃんに激似です♪(わかるかな?)なんか親近感沸きます〜。よろしくです』

 ぷはっ。
 焦りをよそに吹き出しそうになる私。更にそれにレスがついていた。1時間ほど前の、みなみんさんからのものだった。

『きゃーー、プシィさん、こちらこそよろしくです♪わかります、わかります!山ちゃんですかー、やさしそ〜〜ですね。色々教えてくださいね、マジ料理超へたっぴなんで。あ、なんか連続コメントしちゃってごめんなさい、kofiさん。じゃまた』

 ――ナニナニ? 何和んじゃってるの、この人たち。
 カレシ自慢ですか〜〜? 
 しあわせなんだな……。彼にラブ♪っていうのがこれでもかというくらいよくわかる。文字だけなのに何だか人物像まで伝わってくるようだ(カレシは一目瞭然だけど)。

「―――ま、いっか」

 いきなり、素に戻る私。
 ―――せっかくだし。
 元々料理の画像載せるつもりではじめたんだから、それに徹して正体明かさなければ別にどうってことないのでは。
 万が一ばれそうになったら、
『ごめんなさい。ちょっとやばくなったのでブログ閉じます』
 正直に話せば、この人たちならわかってもらえるんじゃなかろうか。
 ―――。立ち直りの早い私はページの存続を決め、改めて昼間撮っておいた画像をアップした。この動作にもそろそろ慣れてきて。下手の横好きってまさにこのことだ。素人ってこわいね……。


『はじめに○英商事の会長さんが乾杯の挨拶されたのですが、超若くって超超カッコいいのでびっくりしちゃいました!』

 ――なんて。会長、どんなスピーチしたんだろう?

 また読み返してほくそえむ私。

 ――何なの、あの炊飯器。そんなたいそうなものだったの?
 私に使えって。旦那さんじゃないんだから。もー。
 何でも作れる御釜っていっても、あのキッチンはガスレンジも電子レンジもあるからあんまし必要ないかもしれない。みなみんさんのジューサーの方がむしろ使えそうだったりして。手絞りって限界があるのよね……。
 『ウチの炊飯器と交換しませんか?』
 って言えない、言えない、秘密、ヒミツ……。
 
 
 料理以外のこと書くのはよそう。私は貝のように口を閉ざすことを誓って、眠りについた。

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密室の恋 12

 ――株式会社東英商事、代表取締役会長、九条成明。

 その経歴は華々しい。
 ハーバード大学卒業後、アメリカの大手M&A専門コンサルタント『メジソンアソシエイツ』に入社。主に企業再生部門において手腕を振るう。経営不振に陥ったアメリカのデパート『マークスコンフォート』を僅か1年足らずでリカバリーさせたりと、その分野では有名らしい。 
 しばらくNYで暮らすが、父親が社長を務める当時の(株)東京開成商事及びグループ企業内部からの熱望により、4年前に帰国(よそ様の会社の面倒ばかりみてないでさっさと跡を継げって?)。同時期に社名変更した(株)東英商事会長職に就任、同系列の開成銀行、新東京電機、東英不動産の相談役、監査役、執行役を兼任、現在に至る(誰も教えてくれそうにないからネットで調べたの)。
 花の男盛り、働き盛りの33歳、独身(もうじき34歳になるらしいけど)。その容姿は同年代のイケメン俳優に負けず劣らず麗しい(はっきり言って勝ってるのでは? と私には見える)。
 その上お家柄も申し分ないとくれば、さぞかし女性におモテになることでしょう。

 と思いきや。


 実際は変なおじさん。
 日中は自室に引き篭もり、人(特に女性)を寄せ付けようとしない。
『バレンタインなぞウザイ』
『お茶汲みの出来ない秘書は鬱陶しい』
 などの言動から、相当の『女嫌い』ではないかと推測される。
 休日は接待ゴルフ、接待釣りに費やし、釣り仲間の姫島副社長(53歳)は唯一気を許せる部下であるらしい。
 変な人。
 社長ではなく何故か会長に就任したことで一気におじさん化してしまったのだろうか。

 でも。

 その方にお仕えしてる私もかなり変……。
 なのかもしれない。




 ふわーーっと日常を逸脱する瞬間。
 朝一番に嗅ぐ珈琲豆の匂いがとても好き。
 白と濃い目の天然木の組み合わせが素敵なピカピカのシステムキッチン。シーンとした室内にエスプレッソマシンの音だけが響いて。脇の細長いガラス戸から差し込む朝日も優しく。地上52階から見下ろす景色はそりゃあもう圧巻。というか足元までガラスで怖いくらいだ。
 まるで億ションの独立キッチン。生活臭がなく、モデルルームで暮してるかのような錯覚に陥る。自分の給料じゃ一生こんな部屋には住めっこない……。
 つかの間、『擬似』新婚生活気分に浸る私。
 『仮の』旦那さんは超カッコいい人。
 変だけど癇に障ることさえしなきゃずっと黙ってるし。素敵だからどんなに長い時間見てても飽きることはない。
『おい、メシ』 ならぬ、
『おい珈琲』
『はいハイ』
 結婚ってこんな感じなのかな。本番の予行演習とか。今の所は……貞淑妻でOK?

 ――変かな、私。

「どうぞ」
「ん。そこに置いといて」

 大きなデスクの、彼の左手が来る位置に小さなカップを置く。
 この瞬間も好き……。
 PC見たまま手だけ動かしてカップを探る、その仕草をさりげなく見届けて。
 この人私がいようがいまいがまるで眼中にないから。
 そんな僅かな時間。
 不意に会長はPCから目を離して、

「……キミは髪が長いな」

 とこちらを向いた。

「えっ」

 ―――ヤバイ。私はさっと右手で髪を掴む。

「す、すみません! ついうっかり……。ふ、不潔ですよね、結ってきます!」

 ―――いっけない!
 この人、『潔癖症』だったんだっけ。
 長い髪は厨房ではご法度。カフェでは結んでたのにぃ!
 ていうか、早く言ってよ! 先週のうちにっ。
 結ぶ時するように髪に指を絡ませる私。
 ……しかし会長はゆるい視線のままでいた。

「?……いや。そういう意味ではなくて。珍しいなと思ったんだ。久しぶりに見た気がする。髪の長い女性」

 ―――は?

 ……珍しい? って何で。

 きょとんと、口が半開きになってしまう私。

 ……珍しくないでしょ、腰まであるっていうのなら少々珍しいかもしれないけど。
 ワンレンの女なんてうじゃうじゃいるじゃん、ここ新宿よ?
 ――いや、外に出なくても会社の中にだっていっぱいいそうだけど?
 ていうか、私の髪が長いって今気付いたの??

 不思議な空気が私の動作を凍結させる。
 次のひとことで更に。

「秘書にもいないだろう。その髪……綺麗だな」

 ―――え?

 一瞬胸がときめくものの。

 ……それって誉められてるの? はたまたボケ?

 会長の言い方はかなり微妙である。普通誉める時はこんな顔して言わないもの。

 ――確かに秘書室にはいないけど。
 ロングヘアーでも、巻き系か丸い系が今の主流、モテ髪ですから。
 綺麗? でも私の場合伸ばしっぱなしだから天使の輪が浮かぶほどじゃない。

「……あ、あはは、会長、そんな真面目に言わないで下さい。綺麗じゃないし、ありふれてますよ。シャンプーのコマーシャルご覧になるでしょう? 触るとするっと指先を滑る。綺麗な髪ってああでないと」

 ま、シャンプーの世界じゃストレートのロングヘアーは永遠のミューズだよな。

「コマーシャルなど見ない」

 しかしパシっと否定される。

 ……は、さよか。
 CM見ないって。
 この人NHKしか見ないの?
 ……いや。テレビ自体見ないのかもしれない。
 マジ?

「……そ、そうですか。すみません。あの、次から結んでおきます」
「いや。別にそのままでいい」

 ……誉めてるつもりだったの?
 よくわからなくて結局彼が飲み終えるまでそこに立っていた私。ーーと言ってもたったの二口で飲めちゃう量だけども。
 くいっと最後飲み干して彼は直接私にカップを差し出した。
「珍しいだろう。よく言われないのか」
 と軽く首をかしげて。

 ―――はあ?
 あんたの方がよっぽど珍しいよ。
 そこらへん歩いてる女の子目に入らないの?
 ワンレンの子なんてマジいっぱいいるよ!?
 茶パツじゃなくて黒髪なのが珍しいのかしら?

「は、はあ。言われませんけど。……し、失礼します」
 こそこそとバツ悪そうに退散する私。「ん――……」と彼はすぐにオシゴト顔に戻っていく。


 ……どーよ、このヒッキーぶり!

 パタンとドアを閉めて悶々とすること数十秒。

 ……一体いつから引き篭もっちゃってるわけ!?

 変な人だ。隠居した爺様だよ、まるで。
 いくらおじさんに囲まれてるからってさぁ。
 よほど女に興味がないのかしら!?


 まあ私にはそれ以上のことはつっこめない。
 日常の業務に戻ろう。
 まずは片付け。ビルトイン式の食洗機まで装備されているが、そんなに洗い物の数がないのでシンクで手洗いする。
 すぐに終了。
 お昼までまだ当分ある……。
 またネットでもするか。
 と振り返ると、隅っこのステンレスワゴンに置いていた昨日のお釜が目に入った。
「あ、そうそう、コレ」
 手に取ってよく見てみる。
 ―――みなみんさん曰く、輸出仕様だって。
 なるほど、箱の4面に日本語、中国語、英語、フランス語、の表記がしてある。
 その名も、
『ごはん丸―gohanmal―』
 って。
 ……なんかネーミングはイマイチな気がするが。
 改めて付属の説明書を読んでみると、色んな使い方ができるようなことが書いてある。
「へーー。パンも焼けるの?」
 メインは炊飯の他蒸し物、煮物みたいだが、内釜をチェンジするとパン焼き器にもなるらしい。
 ――それは使えそうだ。
 これでいう煮物って肉じゃがとかポトフみたいなオイルで炒めない系統のものだが、そもそも煮物自体あの人に出す料理にはあまり関係ない。
 でもパンならいけそうだ。早速明日チャレンジしてみようか。
 毎日時間がたっぷりあるので少々手間暇かけられるし。
 よーし、明日は手作りパンに決定!
 少し早いが、お昼の用意に取り掛かる。
 巻物の種類もそろそろ少なくなってきたな、と思いつつメニューはトルティーヤ。小麦粉よりヘルシーかなと思って。
 具材は3種類のスプラウト、高島屋食品売り場ご自慢の超高級手作りハムにマスタードとアーモンドソースからめて。
 ま、こういった類のもので押さえておけば無難だろうか。
 あの人は何も言わないから。そういう点じゃ楽かもしれない。
 と、さくさく仕込んで。
 お昼時。それに珈琲とハイビスカスティー(といつものサプリ)添えてランチプレートをお持ちした。
 会長は休みもせず、ひょいと掴んで口に運んで。
 私もお昼にしようと退散しかけた。
 すると、
「ここで食べてもいいよ」
 と言われる。
「え? でも」
 会長は画面見たままだ。
「ま、別にどっちでもいいけどね。ここの方が景色がいいだろう」
 は? 気を使ってくれてるつもり?
 確かにキッチンじゃ立ち食いになっちゃうし、予備室は窓ないし、秘書の席は部屋の隅っこにあって眺望は劣るが。
「は、はあ。じゃ、そうします」
 反論する気もなくて従う私。
 かくしてまた補助椅子を出してデスクの隅っこで自分の作ったものをかじる。
 この光景、ちょっと変かもしれないけども。
 彼を観察したければこれほどのポジションはない。存分に見れる。会長は全然こっち見ないから。
 しかし目はPC向いたまま会長は喋りだした。

「……キミが持ってきたこのサプリメント、どこの?」

 ――うっ。
 いきなり私はハムが喉につまりそうになる。

 ……どこって。
『100円ショップのです』
 なんて言えない。

「え、えーと。どこだったかな。スミマセン、忘れました」
「そうか。ウチのグループのじゃないな」
「は、はあ。こちらでも販売されてるんですか?」
「ああ。何社か出てたと思う。形状は同じだがね。製造工場が一緒だから」
「はあ」
「この2、3日調子がいいような気がする。キミがくれた錠剤のせいかなと思ったんだが」

 ――は? 

 ……そんなに早く効くもの?
 まだ3日くらいしか経ってないよ!?
 普通こういうものって1ヶ月以上飲み続けなきゃ効果ないんじゃない?
 ちなみに私はそれ以上続けても効果がよくわからなくて飲むの止めてしまったのだが。

「本当に楽なんだよ。目がかすまないし、胃もたれもなくて。こんなことは珍しいんだ。何て種類のもの?」
「えーと、ビタミンミネラル……。だったかな?」
 よく覚えてない。多分そんなんじゃない。逆にこっちが聞きたいくらいだ。
 不思議な人……。更に不思議なことを言われる。
「この赤い梅みたいな味の飲み物は何だ?」
 ――梅。友達にコレ出すとみんな必ずそう言う。
 でもこの人が言うとなんかおかしい。
 私は密かに沸きあがりそうになる笑いをこらえ、答えた。
「あ、すみません。ハイビスカスです」
「……ハイビスカス。そうなのか。懐かしい味だな。梅の味のするお茶を飲まされていたことがあったが、それを思い出した」
「は、はあ」
 やだ。そんなおじいさんみたいなこと言わないで下さいよ。ただ酸っぱいだけですって。でも健康にはいいのよ。それは私の折り紙つきだ。
「それ、ウチも飲まされてましたよ。梅茶ですね。母親が色んなお茶を買ってくるんです。ウチ、一家揃ってお茶好きなんで」
 番茶なんかは煎茶と違って入れるの楽だろう。
「でも会長、お茶がお好きなんて珍しいですね。男の人で聞くの初めてです」
 珍しいと言われたお返し……じゃないけど、私はそんな風に言った。まあ育ちがよさそうだから何となく想像はつくけど。
「―――好きというか。私は祖母と乳母に育てられたんだ。だからなのかもしれないな。ジュースや珈琲を飲まされた記憶が殆どない。ケーキのようなものを食べる時くらいかな。変わった飲み物を出されたのは」
 乳母? 乳母ってばあやさんとかそういう人のこと? それと祖母に育てられたって。
 じゃあ、お母さんは?
 聞きづらいことを会長は自ら口にした。
「母は弟を産んですぐに亡くなってね。父はその後再婚もしなかったから、私と弟には母親の思い出がないんだよ」
 ―――そんな。
 それは調査外だ……。一転して気まずくなる私。
「す、すみません。変なことを言いました」
 はちゃー。変なもの出しちゃったかな。昔の記憶に触れるものを……。
「いや。キミは飲み物全般入れるのが上手いんだな。さすがに店で出していただけはあるね」
「は、はあ……」
 うつむいたままの私。今日の会長の喋りはいつもと違う。いつもの株価がうんぬんとか『〜が嫌い』とかじゃなくって。

 ……弟? 弟がいるの?

 それも調査外だった。

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密室の恋 13

 ふぅーーー。
 キッチンで息を漏らす。
 ダメ、どうしても憎めない、あの人。
 ううん、それどころじゃない、言葉の端々、表情が私の五感をくすぐるの。

 ―――こら、ごはん丸。あの人コンラッドでどんな風に喋ってたか教えろ。

 無機質な白い炊飯器をペチッと指ではねる。
 気になるの、あの人の存在。
 どこでどんな風に何してたか、全部知りたい……っていうか。
 ただ気難しいおじさんじゃない。

 ―――何なの? おばあちゃんやばあやさんの入れたお茶ばっか飲んでたからあんなになっちゃったの?

 今時お茶汲みにうるさいのってどーよ。会社で唯一飲めたってアレ、掃除のおばさんのことでしょ?

「プ」

 変な人……。
 サプリにしたって、そんなすぐに効かないはずなのに。
 もしかして。
 100円サプリ(200円だったかもしれない?)って貧乏人には効かないけど、金持ちには効果あり、とか!?
 いいものばっか食ってるから体のサイクルおかしいのかもしんない。

 ―――……で、弟ってどうなのよ? この会社にいるのかしら。

 結局、こっちから聞けなくってわからず仕舞いだ。
 あの人の弟だからまたまたイケメンなんだろうなあ。
 ……想像してみる。

 あの人から眼鏡取った感じ?
 はたまた全然違う遊び人風だったり!?
 しょうもない馬鹿息子でマジヒッキーだったりとか!?

 ―――教えてよ、誰かぁ。……ダメダメ、誰も言いたがらない、きっと。

 ふと、ごはん丸の説明書を手にとっていた。
 何気に開いてみる。
 読んでおかなきゃ。明日パン作るって決めたし。
 でも変なところで指が止まる。
 出来上がりのブザー音が選択できるらしい。
 ていうか、曲だ。ちょっと前の流行り曲のリストまである。
 何この炊飯器。着メロじゃないって。
 いや、ある程度値のはる炊飯ジャーってこういうの選べるんだよな、確か。
 私の部屋のは安いからそんな機能ないけども。
 しかし。
 SMAPの『世界にひとつだけの花』とか、ケツメイシの『さくら』とか。

 ―――コレ普通なの? 実は製作者の好み??

 さすがもと半導体メーカー? 関係ないか。
 よその国の人にこんな曲選ばせても仕方ないんじゃないかな。そこまで考えてない?
 と面白半分にいじって私は中島美嘉の『雪の華』をセレクトした。
 別に音なんてわかるだけでいいのに、何故か私はそれにした。季節柄かな。と言うよりあれが流れてたCMが面白かったからかもしれない。
 設定完了!
 もちろん音量は最小にして。
 改めて、パン作りのページをめくる。
 超カンタン、ただ材料をぶっこめばいいだけだ。
 炊飯器でパンか……。やっぱ『ごはん丸』って名前間違ってない?

 ……何だかみなみんさんのこと思い出して、部屋を移ってブログを見るとコメントはなかった。あるとちょっと焦ったりもするが、ないと何となく寂しかったりするのは不思議なもので。炊飯器のこと書くわけにもいかず、私はちゃちゃっと画像を載せた。



 
 さ〜、久々のパン作りにトライ! といつにもまして張り切って出社。
 出したエスプレッソ片して、とっととキッチンに篭る。
 っても粉とイーストと砂糖、塩、水を投入するだけなんだけど。
 その間、合わせる具を作る。
 順調順調。働いてる時のようにせかされることがないから。
 調理台での作業が終わってほどなく、香ばしい匂いが私の鼻腔をくすぐる。
 言うまでもなく、パンの焼ける匂いだ。
「ふわぁ〜〜〜」
 この匂い、たまりませんっ。マジパン屋さんみたい。
 そして完了のメロディ……。

 ラララ〜♪♪♪

 思いのほかかわゆく響く。
 内釜を出すと、もっと匂いが溢れた。

「うわ。うまそーー! 早く食べたい!!ーーーあつっっ」

 ……そんなけしからん職務態度の私は全然他の音に気付いてなかった。

「何してるんだ?」

 突然、ドアが開いて会長の声にびくっとした。

「きゃ……」
「ノックしたんだが。気付かなかった?」
「は、い、いえ。すみません」
「いや、いいんだよ。ただ、何か匂いがするから何やってるんだろうと思って」
「え」

 あ、いけね。バレてた? あとで言おうと思ってたのに。

「―――いい匂いだね」
「え?」

 ドキっとした。

「あ、え、あの、おととい頂いた物、パンも焼けるって書いてあったので、作ってみたんです」
「へえ」

 会長も……この匂いいいって思う? ドキドキする。なんかいつもより穏やかに見えたから眼鏡の顔。

「え、えーと、また後で出しますね。まだちょっと熱いんで」
「ふーーん。別に熱くてもいいけど」
「え?」
「いいよ、別に。少々早くても」
「は?」

 ってまだ11時……。いつもより約1時間早い。
 さすがの会長もこの匂いには食欲が刺激されるのかしら?
 実はこっそり出来たてをつまみ食いしようと思ってたんだけど。私。
 我慢できないし、この匂いじゃあ……。

「あのー、じゃあ、パンと中身を別々にしましょうか」

 サンドしなくても食べりゃ一緒だ。いえいえパンは出来たてが一番いいに決まってる。

「懐かしいな、この匂い。NYにいた頃を思い出した」
「へ?」

 急に言われて。またまた……。思いがけないことを呟くのだ、この人って。

「―――10年位前か。住んでた部屋の近くにベーカリーがあってね。早く起きた日なんかに窓を開けると匂ってきたもんだ」
「は、はあ」

 NY……。行ったことがないケド。若かりし頃? 喋る彼の能面じゃない顔がまぶしい。普通の世間話してる青年Aといった感じでしょうか。

 ―――会長ったら。腹減ったんなら素直にそう言ってよ。

 香ばしい小麦の匂いは天岩戸に隠れてしまった天照大神を誘い出した女神の踊りをもてはやす歓声のように彼を導いたのだろうか。

「え、えと、じゃ、切りますね。ほかほかの内に」
「うん」

 というわけでいつもより随分早いランチとなった。
 またデスクにお邪魔して。切りそろえたパンに3種類の具を入れた器を白い皿に載せて。
 何だかデリカテッセンみたいですね、と言うと、彼はさっきの続きを喋り始める。

「――パンと、付け合せに惣菜を買って食べていたんだよ。SOHOのDEAN&DELUCA。日本にも入れたね」

 ディーン&デルーカ? 品川とかにある……。お洒落なデリだ。カフェバイト時代お味見に行ったことがある。ちっちゃいスイーツがいっぱい並んで美味しそうで、すごく豊かな気持ちになる、海外って感じのお店。
 でもNYのお店は知らない。見当つかない。多分雰囲気は違うんだろう。会長の発音はモロ現地風だった。

「beansの種類が豊富で……通っていたのは最初の頃だけだったが、レストランで食べた食事よりもよく覚えているな。友人はchelseamarketの方がいいってそっちにわざわざ行っていたけどね。俺は家にもオフィスにも近いし、DDで間に合わせることが多かったな。冬なんて半端じゃないくらい寒いからね。ボストンほどじゃないが」

 完全にその当時に頭がいってるご様子で……。
 っていうか、私は聞き逃さなかった。

 ―――『俺』って。会長、今オレって言った?

 変なところでつっこみたくなる私。
 はじめてだから。この人が俺って言うの。
 なんかそれが気になって……。すぐ近くで食べてて、目が合わせられない。

「彼は、今思うと熱心に組み立てていたんだろう、将来の事業を。ユダヤ人街やアイルランド系の食べ物屋にも足を運んで俺に教えてくれたよ。先日の家電メーカーをはじめた男だがね、しきりにぼやいていたんだ。『日本の家電は洒落たものがない』とね。まさかこんなに早く着手するとは思わなかったが、海外のメーカー並みにリサイクルにも対応してるらしいよ。ウチも出資しているから頑張ってもらわないとな」
「はあ」

 って微妙にいつもの話題。りさいくる? それは気付かなかった。
 会長。こんな嬉しそうに語ってくれるなんて。パン効果?

 『俺』って……。

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密室の恋 14

 焼きたてのパンの匂いが満ちるお部屋。人を幸せにする香り……。会長もそのご多分に漏れず、ご機嫌がよろしいようで?

「国外でも炊飯器の需要というのは案外あるもんだよ。もちろん日系人向けが主流だが、アメリカ人の知人の家で見たことがある。米を炊く以外に色々使いみちがあってね、逆にこっちが教えられたくらいだよ。私は記憶にないんだが、そのとき『これでパンが焼けたらオールマイティなのに』と言われたそうなんだ。それが彼の頭に残っていて真っ先に製品化したらしい。割と技術肌の人間だからね。キミが早速使ってくれたことを言っておかないとな。上手くパンが焼けたとなるときっと喜ぶだろう」
「はあ」

 話の内容は説教臭いけれども、ワーカホリックじゃない会長、ひときわ素敵だったりして。

「それはどうも……(材料ぶっこんだだけなのに)。あ、あの、リクエストがありましたら言ってくださいね。色んなお料理に使えるそうですので」
「……それは特にないが。明日明後日の魚どうする? 持って帰ろうか?」

 随分優しく言われて。思わず「えっ」と赤面した。

「つ、釣れるんですか?」
「そりゃ外海だからな。中止になれば別だが」
「へ、へえ。じゃ、お願いします……」

 マジで?
 そんな、本当の旦那さんに言われるようなことさらっと言わないでくださいよ。
 頭が混乱する……。





 その後会長が会議で夕方までいなくなってしまって、私は予備室のPCを立ち上げた。ブログにコメントが入っている。

『こんにちは〜。またまた増えてますね。いいなぁ。パン系統が多いですかね? 連続更新ってことは食べてもらってるってことですよね。羨ましいです!!私はちょっとブルーなんですよぉ。ヒロくんが違う味の肉じゃが食べたいって言うんです。彼肉じゃが好きなんですよねー。今までちょっと遠くのスーパーとか総菜屋さんの買ってきて出してたんだけど、飽きちゃったのかなあ。どうしよう。憂鬱です。もっと遠出してみようかな? コンビニのはすぐばれるので使えないです』(みなみんさんより)

 ……相変わらず長い文章。ところでこの人ほんっとに料理苦手なんだな。買うの前提かい。そりゃ一人分作ること考えたらデパートやコンビニ惣菜なんかの方がかえって美味しかったりするけども。でも肉じゃがなんて超簡単なのにな。私、そういう定番料理得意かもしれない。ずーーっと親に作らされてきたから。今や何も見なくても作れちゃうぞ。
 それに、それこそごはん丸であっという間に出来ちゃいそうだ。ああ、貸してあげたいっ!

『こんにちはー。いつもありがとうございます。肉じゃがですかー。簡単だと思いますよ。頑張って作ってみたらいいのにー』

 とレス書いてる途中で本気でレシピを思い出そうとしてる自分に気づく。
 マジ簡単なのに……。
 今すぐにでも作って画像載せてあげたい所だけど、私の場合会長があんまりそういう系統好きそうじゃないからレシピは載せられないなぁ……。

『ーー色んな先生の料理本が出てるのでチャレンジしてみてはどうでしょう? 私のおすすめはケンタロウって人の本です。肉じゃが以外のレシピもわかりやすくて美味しいと思いますよ。実はカフェにいるときかなり参考にしてました☆』

 ……なんか投げやりっぽいけども。使えるレシピってのは本当だ。ケンタロウめし。見た目も可愛くてぱぱっと作れて。結局みんなそういうの好きなんだよね。みなみんさんにも作れるよ、多分。

『あ、話変わるけど100均のサプリって飲まれたことありますか? おすすめあったら教えてください』

 ……セコイかな。問題は他人に聞いた所で今飲んでもらってるのが何のサプリかわかんないって所だけども。……大丈夫なのか?

「あ、いけねっ、PCでレスしちゃった!」

 つい私は没頭していた。つまり会議が長引いてたわけで……会長は夕方遅く戻ってきた。そして言われる。

「来週出張が入ったからキミはその間秘書室にいなさい」

 思いがけず。

「え? いつですか」
「土曜から5日間の予定だ。後でまた室長に指示させる」
「はい。……わかりました」

 出張? その間秘書室にいろって? 秘書さんのお手伝いをするのだろうか。
 いや。
 まさかその予想を遥かに超える事態になるなんて、このときの私は思いもしなかった。






 今日の会長はいつもと違っていた。
 表情が生き生きして。あの人最初っからおじさんだったわけじゃないんだ。NYにいた時はカッコいいお兄さんしてたのか。
 何が彼を変えてしまったのか? 帰国して? いきなり会長になるなんてやっぱ大変なのだろうか。
 帰り道、駅で手持ち無沙汰に携帯を出してつないでみる。ブログを見るとコメントが入っていた。

『サプリですかー。100均にあるなんて知りませんでした。ごめんなさい、情報なくて。。。ケンタロウさんですかー。本屋さん行ってみようかな』(みなみんさん)

『100円ショップですかあ。ダイソーのマカはいいって聞いたことありますよ。効用はスタミナ系ですかね?買おうと思って行ったら売り切れだったので試したことはまだないですが。。もしかしたら売れ筋なのかな?同じダイソーのお菓子コーナーにあるグリコのちっちゃいビスコのココア味が自分的ヒットです。むかーーし食べてませんでした?今食べると結構新鮮ですよ。彼にもあげたりしてます。夜とかちょっと小腹がすいた時に食べてるみたいです。100均じゃないけどヤマザキの薄皮シリーズというのもいいですね。100円くらいです。超安上がりでしょ』(プシィさん)

 へえーー。マカ? そんなのあるの? 私が買ったのとは違う。アレ何だったんだろう? ダイソーだったとは思うんだけど、思い出せない。この土日に行ってみようかな。でもスタミナ系って……。微妙だな。
 プシィさんの書き込みはまだ続きがあった。


『肉じゃが・・・。男の人ってそういうの好きですよね。ケンタロウさんのは私も一冊持ってます!うちの彼はカレーっ子なんで肉じゃがより楽かな? カレーはしごなんてよくしてました。今はちょっとデートは我慢我慢・・・』

 カレーはしご……。私、そういうのってしたことないな。今まで付き合った人、あんまし食べ物に興味がなかった系かもしれない。何作ってもそんな喜ばれたことなかった……。

『さみしーけど、時々山ちゃんのブログ見て寂しさを紛らわせてます。何でもないフツーの文ですが、それが余計彼とかぶって癒されます♪』

 恋する乙女だなあ、まさしく。『会えなくてさみしー』なんて。私的には2人と違って相手が彼氏じゃないのがちょっと寂しい、かな。この人もだんだん長文になってきてるような。まあそれはいい。私はレスをした。

『こんばんはー。カレーはしご楽しそうですね。そうそう、画像アップしたのですが今日はパンを焼いてみたんですよ。すっごくいい匂いで癒しの空間でした♪narsさんにも喜んでもらえてよかったです。ヤマザキパンの薄皮シリーズですか、初耳です。ダイソーにビスコなんてあるんですねー。知りませんでした。土曜日にでもブラついて探してみます』

 素っ気無いが、あんまし詳しく書けないので仕方ない。さすが女の子、というか、これだけの書き込みでも情報って集まるもんだ。
 でも、お菓子の系統は会長あんまり好きそうじゃないかな。何せおじさんだし……。

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密室の恋 15

 楽しい筈の休日なのにそれ通り越して月曜日が待ち遠しいとは何事?
 このところの私はどうも変だ。楽な仕事にありつけたせいか職場に行くのが楽しくて仕方ない。
 ――もあるけど。

 会長は今ごろ銚子かな。何時起きだったのかな? 釣れるのかな、マグロなんて。マジ持って帰ってきちゃったりしたらどうしよう?

 とついついそればっかり。正社員生活はや3週目。どんどん私の中でのパーセンテージが高くなっていく。
 それでぼーっとしてたのだろうか。メイクの最中、

「や、やだーー!」

 ファンデの下地の小瓶を倒してしまった。慌てて直そうとしてももう遅い。今時プッシュ式でもない広口の瓶から中身が威勢よくドバーッとこぼれた。

「きゃーー。もったいなぁい」

 結構高いんですけど、私にとっては。5000円くらい? それが殆ど流出してしまって、わずかに瓶の底に残る程度。かろうじてまだ数回は使えそうではあるけど、気分的に使いたくない……。

「よっしゃー、奮発するか、給料貰ったし」

 私は田舎育ちのせいか殆ど肌トラブルのない人間だ。故にファンデーション類にもあんましこだわってなかった。けど、せっかくリッチ気分に浸れる職についたのだ、この際気前よくいっちゃえ! ついでにファンデーションも揃えよう。ついに手に入れますか、資生堂の12000円のヤツ。
 そんなわけで100均を回るという当初の目的以外の用事を抱えて出かける羽目になった。


 渋谷のデパートに着いてふと他のお店に目がとまる。
 そこはローラメルシェのカウンター。ここのファンデーション類は雑誌という雑誌で絶賛されてる噂のシロモノだ。
 それは知っていた。でも私はあんましこういう流行のモノに興味がない。というか、シンプルすぎるパッケがどうも好きではない。仕事帰りに伊勢丹で見かけていたけどいつも人が多いし手にとって見たことはなかった。
 なのにー。

「ファンデーションをお探しですか?」

 にこっと微笑むBAさんの肌があまりに綺麗だったからかもしれない。

「あ、はい」

 つい、そう答えてしまった。

「おつけしましょうか? お時間よろしいですか?」

 そこで頷けばあとはもうお決まりの手順だ……。オネエサンの手際のよいこと。
 そして仕上がりの我が顔を見せられて。

「いかがですか?」

 マジびっくり。
 つや肌っていうの、コレ。素肌にもひとつベールかぶせたような。
 これはライトの加減だけじゃない……。
 
「ありがとうございましたーー」

 やだもー。いきなりベースメイク一式入った紙袋手にしてるじゃないの。
 資生堂のに比べれば安く上がったわけだけど、こんな衝動買い、私にしてはすごく珍しいことだ。
 何となく気分がよくなって、渋谷に出てきたついでに品川の例のデリカテッセンまで足を伸ばした。会長お好みのお店。こんな感じの料理作ればいいのかな? 作り方を想像しながらベーグルサンド等ぽつぽつ買いあさる。それから久しぶりの100均巡り。ダイソーに行ってみたがサプリの種類が増えていて見れば見るほど以前買ったものが思い出せない。……プシィさんおすすめのマカなんてないし。しかも殆ど200円だったりするし。迷った挙句『更年期』とでっかく書いてあるものにしてみる。何かこれが一番当り障りがない気がして。更年期って女の人だけのような気もするけど。まあいっか。会長にはあんましイライラしてほしくない……。
 家に帰って一度メイクを落として改めてファンデを塗ってみる。これって噂どおり? しょぼい蛍光灯の下でもすごく綺麗に見える。『見て見てーー!』と友達に言いまくりたくなるような。つい他人の目を意識してしまうほどの仕上がりとでもいうか。そんなだからつい、妙な下心が沸いてくる。

 ―――これで会社に行ったら気付いてくれるかな?

 会長……。
 わかるわけないか。女の子同士ならしょっちゅうそんなこと言い合ってたものだけど。『アレお前ファンデ変えた?』なんてそんな細かい所に気付く男になんて今まで出会ったためしがない。ましてや『超鈍感』な会長にそれを期待するのは無理なお話……。何せ髪型でさえしばらく気付かなかったくらいだから。
 て、何考えてるの、私。
 だからそれが何?
 そんな色めいてどうする。お仕事、お仕事……。





 暇な日曜日。朝から快晴で会長はきっと海の上……。
 本当に明日魚を持って帰ってきたりするのかなー? それで何か作れって? 手巻き寿司とか? それくらいしか浮かばない。会長は簡単そうに言ってたけど、それなりに用意が必要なのよ。あの部屋は何でも揃っているんだけど唯一冷蔵庫がないので材料は早朝か前日に揃えておかなきゃならない。
 イマイチ目的がはっきりしないまま……近所の店で適当に野菜を買って来る。暇つぶしに携帯からブログを覗くと驚く事態になっていた。

「はあ? 何コレ」

 『はじめまして』の嵐。いや嵐ってほどじゃないけど、短い書き込みが10件近く続いて。何故? よく見てみると昨日の書き込みで『TB(リンク)しました』というのがあり、辿っていくと「ええーー」と声あげるくらい大きなブログ。どうやらそこから流れてきたらしい方々が寂しいハズのマイブログを賑わしてくれていたのだ。
 ひーー、リンクなんてしてくれなくていいのにっ。本当は嬉しいのだけど職が職なだけにちょっと困る。有名ブログの威力ってまぁー。こんなしょぼいブログに目をつけてくれるなんて信じられない話だ。
 けど中には、

『薄皮シリーズの検索で来ました』

 みたいな人もいる。そんな検索する人っているんだ……。ネットおそるべしっ。

『私はpascoの白いパンが好きです』
『ビスコはいちごがいいな〜。ダイソーはまとめ売りなのでお得ですよね♪』
『マカもいいけどイチョウがおすすめですよ』

 などなど。食べ物系のブログってこうなのだろうか? 何この盛り上がり。ビスコって駄菓子の部類じゃない? そういうの流行ってるの? かわいいといえばそうなんだけど、私は返信するかどうかかなり迷った。いや、迷いつつ……目は文字を追う。

『こんにちは。はじめまして。私は結婚する前秘書をしていたことがあるのですが、時々軽食をお出ししていました。もちろん殆ど買出しですが。narsさんはどんなタイプですか? リッチでかっこいいってつい気になってしまいます』

 う〜〜ん。会長は……。どういう感じだろう。芸能人の例えが思い浮かばない。和風と言えば和風なんだけど。強いて言えば帝風? 変かしら。

『詳しくは言えませんがとっても素敵な方ですよ。どっちかというとゲーム系のお顔かもしれません』

 すっきり端正と言いたいのだが。こういうところでゲームキャラが思い浮かぶなんて低俗な私。

『こんにちはー。mcrt24さんのとこから飛んできました。薄皮シリーズ私も大好きでしたよー。でも最近普通っぽくなってしまってちょっと残念。。。以前はパイ生地みたいな皮でホントに中身たっぷりでしたね』

 はあ。そんなに知られてるの? このパンもどき。私は知らないので何とも返しにくい。

『パイ生地のパンですか? パイっぽいと言えばアンデルセンのデニッシュが浮かびますが、そういうのとは違うのかなあ?』

 何でもないひとことにこんなに反応が返ってくるなんて。感心すらしてしまうじゃないの。元々は私が出したコメントじゃないけども。そういうのが半分以上だが、私ときたら慣れてないものだからいつの間にか真剣に読み込んでレスをつけていて。最後は大元の有名ブログの主mcrt24さんにTBのお礼をして。はたと気付いた時にはもう遅い、とんでもなく長い時間接続しっぱなしだった。

「うわーー! しまったぁ!」

 と思わず頭を抱える。
 だからー。給料貰ったっていうのに、この貧乏症はすぐにリッチモードに切り替わらないらしい。
 やばい、やばい、やばい! これはマジ定額にしないと請求が恐いいーー。

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