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密室の恋 21

「ようこそ。はじめまして。市川と申します」

私は控え目に手を出し、思いつく限り丁寧なおじきをした。緑川氏。思い切り名前通りのお方だ。セルフレームめがねの奥の優しそうな目。ふわっとウエーブした黒い髪。会長のお知り合いにしてはかなり、ナチュラル系。ゆなのお相手にもちょっと似てるかな?
「お口に合えばよろしいのですが」
すぐに引っ込んで用意していた一品を運ぶ。直径5cmほどの丸いケーキの表面に花びら状にクリームを施したそれはうっすらと桜色。コンセプト(?)は小さなウェディングケーキだったり。何ゆえ?ーー友達の結婚話を聞かされたせいかもしれないわ。単純ね。
「ほ〜、うまそっ」
緑川氏は実に食いつきがよかった。
「見た目はいかにも、な『スイーツ』ですが、マスカルポーネを使った甘さ控え目のレアケーキです」
私はにっこりと説明を加えた。
「この上の粒粒は?」
「ピンクペッパーです。飾りですが、もちろん食べられますよ」
「へ〜〜」
花びらの上に枝つきのピンクペッパーがふわっとのっかってるのだ。それをちろんと除けて緑川氏、
「では、遠慮なく」
威勢良くぱくっと一口目を口にした。小さいのでそれで既に半分近くなくなる。
「ホントだぁ〜。うまい! チーズっすね、これ」
嬉しい一言をたまわって私はホッとした。
「うまい、もうなくなっちゃった♪」
満面の笑み。おそらく半分くらいは『やらせ』なんだろうけど(あるいは演技)、やっぱり嬉しいよね。
「ん? ナル、どうした?」
さすがおともだち。『ナル』なんて親しげに呼びかけられた会長は、彼の真向かいでフォークも持たないでケーキを前に固まっていた。
『あ、ヤバ、さすがにお気に召さなかったかな?』
その時はじめて私は、調子に乗りすぎた、と気付く。何でこれでいけると思っちゃったんだろう。しまった、ブログ更新ストップかーー? とまで。だがしかし。
「―――いや、何でもない、食べるよ」
会長はふっと我に返るとそう言って、先に飲み物に手を出した。ホットストレートティー。地元島根産の紅茶だ。
「何だよ? あ、オレ、ちょっと見学させてもらっていい?」
緑川氏は言いながら立ち上がった。
「ん」
会長はあっという間にいつもの調子に戻って。フォークを手に取られる。
「ホラホラ、お前、全部食っとけよ!」
ばしっとその肩を叩いて、緑川氏は私の方を向いた。
「すみません、市川さん。『お城』を見せていただきたいんですけど、付き合ってもらっていい?」
「エ?は、はい」
またまた満面の笑みで。お城といわれてドキッとしながら私は彼の後ろについて行った。




「いいじゃん、いいじゃん、いいじゃん!」
入るなり腰に手を当て、
「う〜〜ん、ウチの製品も見栄えするよねえ」
緑川氏絶賛。「で、どうですか、ウチのお子たちは」と私に問い掛ける。
「あ、はい、ありがとうございます。順調に使わせていただいてます」
「あははは、順調、ですか。いいんですよ、本音を言ってみてください」
えーー、別にないけどな。てか、まだそんなに日がたってないのに。緑川氏はカウンターに並ぶ自社製品に視線を戻した。
「うーーん。見た目はいいけど、名前がちょっと余分かな」
と言って手にとったのは『ごはん丸』。……うんうん、そうね、それは直した方がよいかも。
「これインテリア関連のショップに置く予定なんですよ。もっとオサレな名前ないかな」
って、私を見られても……。私は苦し紛れ、「あ、そう言えば、そのフードプロセッサー、ちょっと洗いにくいかな」
「これ?」
緑川さんが指で指す。
「ここがこう分解できると助かるんですけどーー。でもそんな大したことじゃないです」
「フンフン。なるほど」
私は部品を示して説明した。その他数点。緑川氏は真面目に耳を傾ける。
「すみません、えらそうなこと言っちゃってー」
「いやいや、とんでもない。生の声を聞きたいんですよ。ウチの女の子なんか料理しないくせに、あーだらこーだらいちゃもんばっかつけてます」
にこっと笑顔を見せて。
「いやー、でも突貫だった割りにはうまくできてるなあ。実はこれ、ウチの親父の会社でやらせてもらったんです」
「えっ?」
驚く私に陽気にぶっちゃける。
「ははは、言っちゃっていいよね? ここ、ウチのショールームに使わせてもらうんですよ。早速明日は来年用のパンフの撮影。で、キッチンはオレのオヤジの会社が作ってます。オレの実家、金沢で鉄工所やってるんだけど、燕三条にステンレス加工の工場も持ってるんだ。大手メーカーの部材作ってたりするんだけど、最近オーダーキッチン希望の個人客が増えて、オレに色々言ってくるんですよ」
「へぇぇぇ〜」
1人でどよめく私。この人もボンボン? 人は見かけに寄らないわ……。
「でさ、企画たてて軌道に乗せるまで帰ってくるな、とか言われちゃっててさ」
と言うと一段と可笑しそうに笑い声を上げた。
「はははは……。オレだって帰りたくねえよ、あんな化け物屋敷!」
「化け物屋敷?」
「ははは、ごめんね、ウチ、田舎なんで家だけは馬鹿でかいんだ。武家屋敷っての? 部屋なんて何個あるか数えたことねーや」
「えー、そうなんですか?」
「そうそう。昔イタズラするたびに蔵にぶちこまれてさ。マジ『貞子』出てきそうで怖かったーー」
えっ、貞子?
「いやー、ごめんごめん、そこまで自己紹介することもないよね。ああ、市川さんは松江だっけ? 『小京都』出身者同士、仲良くしましょー」
おもむろにまた手を出されて。「は、はあ……」従う私。ハタと気付く。
『なんでそんなこと知ってるのーー?』
会長が言ったのだろうか。そうだよね。それしか……。その辺の疑問にお構いなく彼は続ける。
「ねー? かつて裏日本なんて言われて寂しい思いしませんでした〜?」
「え〜? 裏日本、ですか?」
私がきょとんとしてると、「おや失礼」と彼はかわした。
「言わないかな? 年代のちがいっすね。気にしないでー」
えー、気にするじゃん。そんな風に呼ばれてたの? どうりで。『島根ってどこ?』なんて聞かれる筈だわ。しょぼん……。
「んーー、でも突然請け負った割りにはよく出来てません?」
と彼は話を戻した。
「はい、良過ぎるくらいです」
やっぱ急な話だったのね。
「あの、これってちなみにいくらくらいするものなんですか……」
つい本音が。恐縮して語尾が弱まる。
「ん〜、実はオレも知らないんですよ。ポケットマネーなんで、ナルの。まあ業者直なんで、『6掛け』ですが」
『えーー?』
ぽけっとまねー? 耳を疑う私。立て替えてる、とかでもなくて!?
「前もそうだったもんな」
「前?」
「あ、聞いてない?」
緑川氏はにやにやしながら、「言ってもいいのかな〜? いいか、言っちゃえ」
「へ?」
「前の会長の時。アメリカの系列のCEOの部屋真似て、ここで会食できるようにゴージャスなキッチン設備整えたんですよ。前のも結構いけてたでしょ」
「は、はあ」
「それでー、前の会長、つまりナルの親父さんの飯の世話したのが前の秘書さん。おばちゃんだったけどね。ナルがここに来る前に辞めた」
へー。そうなんだ。前の会長秘書さんは年配さんだったのか。秘書室の雰囲気違ってたのかな。今の面々は……。各部署から上がってくるデータをまとめる男の人が2人、後は全員20〜30代の女性だ。
「で、そのおばちゃん、今どこにいると思う?」
「えっ?」
何度目の「えっ」だろう。何も返せない私に、してやったりな笑みを浮かべる緑川氏。
「ふふふ、ナルの『実家』だよ。2人は密かに愛を育んでたってわけ。ま、籍は入れてないけどね。大人の事情ってやつ?」
「えーーー?」
驚き。そんなラブロマンスが? ここで?
「……だから、市川さんも頑張ってね」
緑川さんはぼそっと呟いた。
『え?』
意味深なウィンクとともに。「ふふふふ」
『あ、ちょ、何を頑張るのーーー?』
彼は先に出て行き、私は顔が火照ってしばらく動けなかった。





 遅れて出て行くと、テーブルには空の皿が並んでいた。胸をなでおろす私。それを悟られないよういつもより冷静に食器を下げる。自然と、2人の会話が耳に入る。
「―――いいなあ。オレも早く専属シェフ抱える身分になりたいっ」
「実家に戻ればいくらでもできるだろう」
「いやいやいや……」
緑川氏は首を横に振った。
「約束だからな。まだ戻れん」
「律儀だな」
言うと会長は眼鏡を外した。「ふぅー」と右手で眉間のところを軽く押さえる。
「お疲れのご様子?」
緑川氏はあごに手を当てじっと会長を見つめた。
「いや。どうも最近……。してもしなくても大して変わらんのだ」
「どういう意味?」
「PCくらいならしなくても充分見えるしな。遠くが少し霞む」
「ありゃりゃりゃ」
大きな声を出した。
「お前、それ、老眼入ってきてんのとちゃう?」
「そうだろうか」
ひいーー。何の話かと思えば。ちょっとばかし寂しいオヤジトーク?
「レンズの度数、ちゃんと合わせておけよ。フレームもそろそろ替えた方がいいんじゃないか? オレなんかヨンさまモデルだぜ〜?」
自慢げにかざしてみせる。ああ、そういえば……。それっぽい眼鏡だ。
「何だ? それは」
会長はくすっと微笑んだ。久しぶりに見る会長の素顔。相変わらずお美しい。眼鏡なくても見えるのなら外せばいいのに、なんて思ってると、会長ははぁーと息を吐いて右手で麗しの顔を隠した。
「やっぱ疲れてるのか……。ナル、うまくいきそう?」
「ああ。めどはついてる」
「そっか。もう一息だな」
打って変わって、ふたりとも真面目な顔。
「だがここは使ってもいいんだろ?」
「ああ。そのために600万投資したんだからな。しっかりやってくれよ」
「オッケー!」
『600万!?』
耳を疑うような金額が。えーっと、それってあのキッチンの値段? だとすると……。さっき、6掛けって言ってたから、実売1000万? あれってそんなにするのーー?
『えーー、金持ちってわかんないーー』
数字にめまい起こしそうだ。投資って。友人にポケットマネーでショールーム提供してやるって? せめて何気ない風を装う私。そこからは完全にビジネスのお話だった。何だかここはホントにショールームになるみたいだ。私はこそこそとキッチンに戻って、ブログの画像取り込みをすることに。完成直後のピンクのケーキ。今日はちょっとやばかったな。でもみんなの反応が楽しみ……。完全に趣味だわ。次からはもっと会長の嗜好に合わせないと。
「市川さーーん」
大方作業が終わる頃、明るい呼び声が私を立ち上がらせた。ドアを開けると訪問時と同じように、緑川さんと会長が立ってた。
「ではでは、どうもお邪魔しました。貴重なご意見をありがとう」
「いえ、とんでもないです」
私は深深と礼をした。
「それと、ご馳走様でした。美味しかったよ〜。これからも頑張ってね。プリンセステンコーの専属シェフみたいなの目指して、ねっ」
プリンセステンコー!? またまたびっくり発言。
「あ、は、はあ……」
いきなり。いくらなんでもレベル高すぎ。しかし。そこで茶化して場を盛り上げるでもなく、真面目な会長のお言葉が私に降りかかる。
「私は明日出かけるので食事はいらない。3時には戻る」
「あ、は、はい。お茶のお供はいかがいたしましょう」
「あれば食べる。それと、今後昼食は寿司にしてくれ」
「かしこまりました」
そんなやりとりを緑川さんはニヤニヤ笑って見ていた。
『なんで?』
はずかしいっつーの! も、何か誤解してない?
「じゃ、市川さん。また明日。4〜5人連れてくるんでよろしく〜」
最後の笑みも爽やかに、緑川氏と会長は連れ立って出て行った。会長、眼鏡外したまんまだった。

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密室の恋 22

『きゃ〜〜〜すごくかわいいですっ。ケーキご自分で作れるなんてホントうらやましいです!食べてくださる男性がいらっしゃると言うのも◎ですよね〜。ウチのは甘いのは完食してくれないかも。。。カンケーないけど、年末どうにか2日ほど遊んでもらえることになったんで旅行行ってきます。箱根ですけどね。。。kofiさんは何かご予定ありますか〜?』

『いいないいないいな〜〜。もうすぐクリスマスですよね。今年はケーキ作り挑戦してみようかな。実は昔ワッフルで作ってみたことがあります。ワッフルを重ねておうちをつくるのですが、子供がぐっちゃぐっちゃにしてしまいましたぁ><。まあ味は一緒なんですけどね。サンタさんの飾りを買ってきてのせるだけです♪』

家に戻ってブログ覗くと早速コメントが入っていた。好意的な感想に『ほっ……』。何だか危なかったし。会長。実は我慢してくれてるのかもしれないな。明日からもっと地味にしなくちゃ。ワッフル? それもいいかも。ワッフルメーカーもバッチリあるしね。

『こんにちは!実は今日はちょっと危なかったのですよ。やはり無難なメニューにしようと反省いたしました。旅行ですかあ。羨ましいです!私は実家に帰省するくらいですね。おそらく。まだ決めてませんが。島根なので結構大移動です。飛行機だと松江まで飛んでるんですけどね』

と打ち込んで相変わらずの貧乏性に笑いが出そうになる。給料アップしたんだから飛行機で帰省せんかい!ー−ハハハ。マジどうしよう。全然考えてなかったわ。

『どうも。ワッフルいいですね。明日はお客様が複数いらっしゃるということですのでブログできないかもしれませんが、是非参考にさせていただきますね!お子様と一緒なら何でも美味しいですよね。楽しそうなクリスマスで羨ましいです』

つらつら綴って、ハタと気付く。ーーくりすます? もうそんな時期かい! そういえば先週の金曜辺りからイルミネーションがついてたような。何故こんなにクールなの? 私。

『今年のクリスマスの予定。な〜〜んにもないから!』

ハハハ。もう笑うしか。ていうか、よく考えたらクリスマスどころか彼氏もいないし。ちなみに去年までは彼氏なり友達なり一応『予定』は入っていた。今年は今のところ『ゼロ』。久々1人きりのクリスマスイブですか? せっかく昇給したってのにさえない話だ。どうしようかなーーー……。





 朝。いつもの通り調子よくドアを開け、挨拶をしようとした私は中途半端なところで口をつぐんだ。「おはようございまぁ……」ーーーアレ?

「…… I'll call you as soon as I get there.……yes,we just want to get it over ahead of time……」

会長がお電話なさっていたからだ。低い声でべらべらと、大きな窓にもたれて、立ったまま。はじめて見る光景だった。眼鏡を外してて、とても鋭い目つきが露で。かなり若く見えた。いつもの若干オヤジ風……は微塵もない。

『ーーすみませ〜ん。お邪魔しましたぁ〜……』

心の中で呟いて、私はそそくさと退散……。すぐそばのキッチンへ続くドアに手を掛けた。

「市川くん」

中に入ってドアを閉めようとした瞬間、会長の声がそれを阻止した。

「あ、は、はい」

「おはようございます」
「おはよう」

いつもの挨拶。違うのは会長の眼鏡がないことか。裸眼でどのくらいの視力なんだろう。遮るものが何もないその眼差しはとってもきつくて私はドキドキした。

「私は今から出るので今日は何もしなくていいよ。その代わり、と言っては何だが、昨日の客が社の連中を連れて来るので世話してやってくれ。帰社予定は5時だが遅れるかもしれない」
「は、はい。わかりました」
まっすぐ見下ろされてるのがどうも気恥ずかしくて、視線をそらして答えた。

『……じゃ今日はブログお休みね』

そんなこと思いながら。

「悪いが私が戻るまでキミはここで待っていなさい。何か食べに行こう」
「へ?」
再び視線がかち合う。
「……明日から出張だからね」
「え?」

ーー出張? あ、そうだったっけ? 明日ぁ? すっかり忘れていた私は慌てた。

「そ、そうでしたーー…ね」
「食べたいものを考えておきなさい」
ーーえ?
「は、はい、ありがとうございます」
急なお言葉でただ従うしかできず、私はペコッと頭を下げた。
「いってらっしゃいませ」
会長は必要なことだけ言い終えるとすたすた出口へ向かわれて、私はそのままお見送りの言葉を言った。




 何? いきなり。行きたいところって。また5万とかそういうお店? イタめしとかじゃダメなのかな。出張か。ああ、そうだったーー。すっかり忘れてた。私、会長がいない間何してればいいんだろう……。
 考えながら手を動かして。我ながら大分慣れてきたと思う。本日のお客様向けに料理の下ごしらえだ。会長がいらっしゃらないのがわかっていたのであえて手巻き寿司とした。らくちんおもてなしメニューといえばやっぱこれだよね! 刺身や野菜、ツナ等の具をバンブーの細長いボードに載せて。それを2セット用意し、ラップをして冷蔵庫へ。炊飯器をスィッチオン。それと、大き目のホットプレートがあるのでタコヤキパーティならぬ、タコヤキプレートを使った『何でも焼き』。まあ何の工夫もなく小さく切った具を個別に焼いたり揚げたりするだけなんだけど、これが結構いい味に仕上がるのだ。そして3時のおやつにたこ焼きもどき。ホットケーキの生地にチョコとかチーズとかさまざまな具を入れて焼く。ーーまあ早い話が『手抜き』なんだけど、経験上これが一番盛り上がったりするので外せない。
 そうして仕込んでいると10時過ぎに電話が鳴った。出ると室長で、例のお客様がもうじきいらっしゃると告げられた。
『1人で大丈夫?』
なんて心配そうな声で。
『平気ですー。もう大方終わりです』
『そう? 無理しないでね』
相変わらず私は気の毒がられてるのかな。いつも帰るの秘書さんたちより早いし全然楽なんですけど……。



「こんにちは〜。来ちゃいましたっ」
11時前後に緑川氏ご一行が上がって来られた。全部で5名。会社の人だって言ってたけど、照明とか一眼レフとか脚立とか……。手ぶらの人は誰もいない。
「え〜、すごい眺めですねー」
「豪華なキッチンどすなあ」
わいわいがやがや。私も立ち会うよう言われ、見てると、お花や雑貨を飾り付けて、目の前のビルのコンランショップにあるようなそれはもう生活感のないキッチンが出来上がってーー。
「このタイルがいいよねえ。店っぽい感じを狙ったんだ」
「そうなんですか。(緑川さんがデザインしたの?)このロゴとか入っちゃってもいいんですか?」
ごはん丸って。
「いい、いい。後で消すから」
カシャ。カシャ。順調に進んで。お昼で一旦休憩となり、私は用意していた品を出した。白いカウンターに並べていると、
「これいいですねー。しゃちょ、料理並んでるとこも入れときません?」
とのひとことが上がり、それも急遽写真に収められる事に。

『キャー、もっといいモン出せばよかった』

なんて思うがもう遅い。

「すみませんね、じゃ、いただきまーす」
お初の賑やかな昼食パーティ。たこ焼きプレートで焼いた一口ステーキやちびウィンナーを寿司のお供にして。会長もこういうの見れば『私が巻くのか?』なんて発想なくなるのにね。つくづくそう思う。あの人友達とホームパーティとかしたことないのかな? 同じボンボンでも緑川さんは随分フレンドリーな感じなのに。
 そして1時間足らず。ものの見事にどれもこれも空になる。
「よかった、食べて頂けて。会長なんて、手巻き出しても『私が巻くのか』なんておっしゃるんですよ」
私は言った。
「ハハハ。許してやってちょ。ナル、その昔はディーリングルーム篭りっきりでFXやってたからなあ。食事なんていつもそこらへんで買ってきたデリですわ。ハハ」
そっか。何か似たような事聞かされたっけ。それでベーグルみたいなのでもオーケーなんだよね。
「ラッキーな事に結構いけてたからなあ。その習慣があるからか、こっち戻ってきて昼食食べに出るのが面倒だって当分言ってたよ」
アハハハと緑川さんは豪快に笑う。室長が言うとすごく気難しい人に聞こえるけど……何かえらい違いだ。
「でもさ、食事の趣味が合うのって重要だよね」
緑川さんは顔を寄せてにやっと笑った。
「え? どういう……」
「ナル、食べてるんだろ? だからそういうこと」
私はまたどきっとした。カフェで同じようなの出してたから……。たまたま、運がよかっただけ、だよね? 趣味が合うとまでは言えないんじゃない? 私、あの人のこと何も知らないし。
「ホントよろしく頼みますわぁ」
だーかーらー。そのニヤニヤするのやめて。頼むって何をーー…??


 食べ終えた食器類をデスクに除けて、撮影がまたはじまった。撮影係の男の人は色んな角度から何枚も撮っていく。パシャ。何か慣れてるんですけど。広報部隊?
「でもさ、新婚さんでもこれだけフルで家電揃えてるのって中々ないですよねー」
若い女の子が言った。
「てか、ここまで買ってやれる男がいないってのが実情?」
アハハハと笑いが起こる。
「いやあ、買ってやっても『作れない』のが現状じゃね?」
「いや、これだけ揃えて貰ったら料理教室通ってでも頑張りますよ!」
「どうだか。下手に頑張らない方がいいんじゃない? 結局残骸ばかり残って食器の山になるのが落ち……」
「だからあ、それはダンナの仕事ですって!」
「調子いいなあ」
「市川さん、実際こんなのばっかだからさ。米も炊かないんだ。生の声ってホントありがたいんだよ。だから感想引き続きお願いします」
「は、はあ」
そんなに料理ってしないものなのかな。まあ、働きながら自炊もっていうと確かに大変だろうけどさ。米も炊かないって、ウチの実家あたりじゃその方がありえない。やっぱり田舎だからか……。
「ホントにねえ。私なんて寿司飯も作れないですよ。きゃはは」
感覚の違いってこういうときに感じるもんだ。その親のお陰でわらしべ長者的今の待遇があるわけだけれども。
「まあキミら形から入るヤツもお客なんだからしゃーないよな」
ハハハと陽気な撮影は続き、そろそろ終盤かな? という頃合に「おやつタイムにしませんか?」と言ってみる。今までの経験上、タコパやって盛り上がらなかったためしはなく……たこ焼き風ホットボールとでも言うのか、子供のおやつみたいな手抜きメニュー(アハハ)もきれいに食べていただき、4時過ぎ、無事お開きとなった。

「それじゃナルによろしく」
「ありがとうございましたー」
「どうもー。お邪魔しましたー。おいしかったでーす」

皆が帰った後、たこ焼きプレートの丸い窪みをひとつひとつキュキュットしてるとふと会長の顔が浮かんだ。ホットプレートなんて縁のなさそうな会長。今日みたいなホームパーティもどき、アメリカの方が盛んだろうけれど。

会長、たこ焼きとか食べたことないんだろうな。
一度食べてみればいいのに。知らん振りしておやつにでも出しちゃおうかな。
庶民の味知らないのって可哀想じゃない?

『ーーそうだ、お好み焼きなんてどうかな』

今日のメニュー決めておけって言われてたんだ。
また万のつくとこじゃ気が引けるし、そう言ってみようかな。
『ハァ?』とか言われたら私が案内すればいいんだし。
関西焼き。それも自分で焼くヤツなんてどう?

『そうしよう!』

何だか想像するとわくわくしてきた。いつもより多い片付けもはかどって。そして会長が帰ってきた6時前。私はハヤル気持ちを押さえ、切り出した。

「あ、あのう、お好み焼きなんてどうですか? 鉄板で好きに焼いて食べるとこなんですけど……」

会長は「ああ」と頷いて、意外にもあっさりーー「いいよ」のお言葉が。
「ありがとうございます」
眼鏡なしの顔がまぶしかったり。

ーーああ、よかった! どこにしよう。ちょっとこぎれいなところがいいよね?

私は思いを巡らせた。ここは新宿。お好み焼き屋なんていくらでもある。友達とだったら反対側の風月とかいいけど、会長には……ちょっと歩いて丹波亭とか?

ーーとまあそこまではよかった。よかったんだけど、肝心な事を言い忘れていたようで。
社を出た会長はさっさとタクシーに私を乗せた。

『あ、えーと、歩いていけるんですけど……』

と心の中で呟いても聞こえるわけがない。
会長は行き先を告げ、車は動き出す。

「あのーー」

話し掛けようとするがとっても言いにくい雰囲気で。
告げられた行く先に『え?』と疑問を抱きつつ。

『もしかして、当てがあるのかな? 高級お好み焼き店??』

とでも思い込むしかなかろう。金曜日の夕方。道は混んでて会長は黙ったまま。
やがて到着したその場所を前に改めて思う私。

『ここー…、お好み焼きなんてあったっけ?』

そのへんのお好み焼き屋さんでーー…のつもりが。何故か会長が連れて行ってくれたのは新宿ですらなく。

ちょっと離れたウェスティンホテルだった。

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密室の恋 23

 およそお好み焼きとはほど遠い、立派なホテルのエントランスを抜ける。きょろきょろ見る余裕もなく、とっとと連れて行かれたそこは。


『すごーい。バブリー・・・・・・』

黒っぽいモダンな造りの、豪華お好み焼き店!
・・・・・・じゃなくて、

『鉄板焼き〜?』

さすがにぐるっと見渡しちゃいますよ。頭の中『!』と『?』でいっぱい。
えーなんで? 私、『お好み焼き』って言ったよね?
お好み焼き知らんのか、このオッサン。
で、またどっぷりメシタイムなのにスムーズに通されるしーー。

「いらっしゃいませ」

と挨拶するシェフ。奥の個室だ。何ですぐ入れるの?
やだなー、場違いっ。こんな服でいいわけ? ドキドキを抑える。何せさっきまで頭の中お好み焼きでいっぱいだったんだもの。
そんな私の心中なんて察するわけもない会長。すらすらオーダーをして、

「あとは適当に。君は何が食べたい?」

なんて軽く付け足されてびくっとした。

えーー、って言われても。
メニューなんて出てねーし! てっぱんやきって高いっすよね?


「ああ、そう言えば何か言ってたな。おこのみ……」
「わーーーーーっ!!」

慌てて大声を出す私。こんな所でしょっぱなから『お好み焼き焼いて』なんて言えねー! とんだ鉄板つながりだ。この人の頭ン中じゃ『お好み焼き』→『鉄板焼き』に変換されるの?


「ん? 何だ?」
「ーーーい、いいですっ、会長にお任せしますっ」


会長は頷き、シェフは焼きに入る。
そうして出るわ出るわ高級食材の数々……。
鮑、ホタテ、伊勢海老に車海老。最高級の松坂牛の分厚いフィレとやらを頬張る私。緊張はどこへやら、アルコールも入って上機嫌でたいらげた。
きっとこの海老一尾にしたってすごい値段なんだろうな。地元じゃ数百円で手に入るけど。ブランド食材だもんねー。私の中の鉄板焼き……市場で具材仕入れてビーチでBBQ、とは格が違いますよ(まあそれはそれで『うんまい!』だけどね)。バブルな人って数が減っただけで、いる所にはいるんだよなあ。


「君は結構飲めるんだな」
「そ、そうですか? 普通ですよ」


いや、かなり飲んでいた。何のためらいもなく。何せ久しぶりのただ酒ー。
仰せのとおり私は酒豪だったりする。普段は頼めない高そうな銘柄をつい1杯2杯……。
しかし口は良く動くが喋るのは控えめにしていた。何喋っていいかわからないし、もしも会話が弾みでもして『うちの料理人』とでも紹介されたら困るもの!
こんな『モノホン』の一流料理人を前に。めっそうもない!
そう。さすがプロフェッショナル。
余計なことは喋らず二人だけのために焼いてくれる。まさしく『専属シェフ』って感じ。ああ、もっと腕を磨かなきゃ……。
そうしてゆったりと時間は過ぎ、〆は絶品蟹パスタ。さっぱりしたクリームとハーブとチーズたっぷりのソースで和えたプリプリ蟹肉、うますぎ……。





「ああー、おいしかったです。ありがとうございました!」


帰りのタクシーで私は調子よく頭を下げた。新宿とだけ告げられて車はさっきの道を逆に進んでく。


「君も新宿方面でよかったかな」
「あ、はい」
「……どうだ、もう一軒付き合わない?」

ちらと時計を見て会長は言った。

「あ、はい。いいんですか」

ノリのいい私。思えば初日のランチからしてこうだったかも。
会長は運転手に具体的な場所を言った。

パークハイアット。

わーい、ラッキー。
近場に勤めてるものとしてやっぱ一度は抑えておきたいよねえ。
社員さんは行かれたりするのだろうけど、私は初めてだ。
昼間眺めてるビルの上へ、上へ。
パーッと視界は広がる。
窓際の席に通され、さっそく身を乗り出して夜景に見入る私。
ああ〜、東京って感じーー。バイト続けててよかったー。しみじみ思う。
散々親にクサされてきたけど、どうよ、って。


バイト

ハケン

大企業の正社員、新宿勤務
&有名ホテルのバーで上司におごってもらう


田舎の小娘にしては立派な出世図でしょ? 

それにしても東京タワーが見える席! よく空いてたな。

「それじゃ、いただきま〜す。遠慮なく」

会長は渋い薬草系のリキュール、私はとりあえず、のシャンパン。

「本当に強いんだな。気持ちがいいね」

しれっと飲む姿を見て会長は微笑んだ。

「そうですか? 家系ですかねー。うちは両親ともいけるんです」
「そうか。よく飲んだりするのかな」
「ええ。まあ、今は正月の飲み会くらいですけど。空き瓶の山ときたら半端ないですよ」
「楽しそうだ」

まあ、楽しいっちゃ楽しいですけどね。……どっちかというとうざい。

『お前は〜、今年何歳やったかのぉ?』

に始まり、

『へえ、もうそんな歳か!』
『ええ話はないんかの』
『たまには連れてこいや』
『何、おらん? 東京ちゅーたらなんぼでも男がおろう』
『○○さんとこの息子はどこぞのこんさるたんとちゅーのに世話してもろうて夏に結婚するそうな。お前もいっぺん相談しに行ってみ』
『ヘイヘイ……』


延々と続く婚活話! みな酒豪のため中々くたばらないから同じ話題がずーっと繰り返される。『うへぇ〜〜』だ。私の年頃の子はみんな片付いちゃってるからほぼ集中攻撃。今年(来年か)もそうなのかな。帰りたいような帰りたくないような。微妙。ああー、今のシュチュとは雲泥の差。会長には縁がない世界だろう。

「会長……。会長はいつもこういうお店で飲まれるんですか?」
「いや。まあ、ここは近いからね」
「落ち着きますか? いかにもNYっぽいですよねえ」
「どうかな? あまり知らんからな」

会長はグラスを傾け付け加えた。

「……昔はもっと違う店で飲んでたよ。今の仕事につく前はね」
「そうなんだ」
「酒の種類も店によって違うしね。さんざん飲み歩いたりしたものだ」
「ですかあ」
それってNYの話かな?
「東京にも色んなお店がありますよ」

お好み焼きのことを思い出して私は言った。鉄板焼きは鉄板焼きでもお好み焼きもやってるような小汚いお店で、すじコンや牡蠣バターをつまみながらちびちび……も中々おつなんだけどなあ。

「ふふ、そうだね。だが飲み歩く暇がない」

そりゃごもっとも。『私がご案内しますよ』とも言えず、お酒を口に運ぶ。夜景をバックにゆったりと腰掛けた会長のお姿はとってもさまになっていた。
いつもこんな感じならいいのに。メガネ外してきつい表情やめて。それだけで随分モテ度アップしますわよ?
私はほろ酔い気分だったのかもしれない。つい、思ったままを口にした。

「会長、今日はメガネかけてらっしゃらないんですね。今の方がいいですよ。何だかすごくいい感じです」

会長は微笑した。

「いつもこうだといいのに……。どうされたんですか? あ、ひょっとして出張の準備? いい人がアメリカにいらっしゃるとか」
「そんな風に見えるか?」

くっと笑う。と、ここまではいい感じだった。
でも。私もしらふなら絶対口にしなかっただろう。そんなことをつい、言ってしまった。

「違いますか? 外国の、はっきりしたお姉さんとお似合いかもってふと思ったんです。会長、ちょっときついところがあるから〜。秘書さんとひと悶着あったとか何とか。影で泣いちゃってる子がいるんじゃないですか〜? 泣いてるだけならまだしも、知りませんよ、訴えられても」

まあ、何とも調子よく。鉄板焼きで猫被ってた分余計に。言い終えた私の正面の会長の顔は笑ってなかった。
何秒後だろう。気まずい空気が『私』を呼び起こす。

「ふ、そうか……」

引きつった顔。
やべーー。さーーっと全身冷めてくのがわかる。

「あ、ちょ、い、今のは冗談ですよ、会長」

私は自分の言葉を掘り起こす。何を言ったんだ、私ったらーー。
いつになく、ダメージを受けているように見える会長。私の台詞に……?

「いや、そうなんだ。その通りだよ。十分自覚しているつもりだ。なのに……。何故だろう、君の言葉は胸に突き刺さるな」

『そんな』

頭のなか真っ白、な私。
会長は話しはじめた。


「そうだね。いるんじゃなくて、いたんだよ、そういう女性がね。ただし、日本人だったがね」

ふっと笑った。

「私は大学、就職と割合自由にさせてもらっていたんだ。後を継ぐことは考えていたがそこまで強制されたものではなかった。好きに働いて、向こうで知り合った緑川とお互いの家業について語ったりもしたもんだが、まだ漠然としたものだった。そのうち親しい女性ができた。アメリカに写真を学びに来ていたマヤ……」

前の昔話とはまた違う表情。懐かしむ目……。じっと聞くしかない私。

「当時は私もこんなじゃなかったがね。君の言うような快活な女性だったよ。何につけても前向きで、魅力的に思えた。いつしか、結婚を意識するようになった。親に紹介して、いずれ一緒に日本に戻るかもしれないと言った。だが……。それから少しずつ狂い始めた。私たちはお互いの素性を言わなかった。親がマヤの身元を調べたんだよ。マヤは、宗田物産の有力者の養女だったんだ」
「え」
「……ピンとこないかもしれないね。いわゆるライバル企業だね。正反対の事業方針のね」

そうなの? S物産て新宿の反対側に建ってるこれまたでっかいビル……。何て雲の上のお話なんだろうか。

「親はあくまでも結婚は私の意志を尊重する、と言ってくれたんだが。よく思うはずはない。宗田の創業者とは因縁の仲なんだ。私は一気に冷めてしまった。何度も口論となって、解消したんだ。一方的に。『ああ、もうこりごりだ』ってね。気の強い彼女が泣きながら出て行った。そうして……思いもかけない不幸が起こった。マヤは、事故に巻き込まれてね」

『ええーーーー』

声にもならず。胸がバクバク鳴った。

「それからはもう大変だったんだ。激怒したマヤの親が押しかけてきて……。それに加えて私の弟もね。弟は……高広というんだが、マヤに特別な感情を抱いていたのかもしれない。私とは正反対の自由奔放なやつさ。よくNYへ遊びに来ていたんだ。私と父を相手に怒り狂ったよ」

会長は大きなため息をついた。額に手を当てる。

「……それっきり行方不明なんだ。あらゆる手を尽くしているんだが、見つからない」

辛そうな顔で。

「ああ……。またふらふら放浪しているんじゃないかと。身元不明の変死体の報道があるたびはっとする。父はそれが元で体調を崩してしまったよ。すべて私の責任だ」

何て話……させてしまったんだろうか。
胸が震えて、涙が出そうになる。

「ど、どうしよ……。すみません、会長」

出そうになるのをこらえても出るものは出るもので……。頬に熱いすじが伝う。

「私は非情なことをしてしまった。マヤは高広にもよくしてくれた。本当の姉のようにね。高広も私と同じで母の記憶がない分マヤの存在がありがたかったのだろう。私とは少し歳が離れていて、人懐っこい、ちょうど君の年代だな。しかし、まるっきり冷めてしまったのは事実なんだ。マヤは『会社の体制が気に入らないのなら私たちで変えていけばいい』と言ったが、全く乗れなかった。彼女は最初からそのつもりで私に近づいたのではとさえ思ったよ。否定していたが、肝心なところで言葉を濁す。私はますます邪推して……。もうどうしようもなかったんだ」


夜景が涙でにじむ。やだもう……。こんな悲しい話があるだろうか。


「……つまらん話をしてしまったな。フフ、君が出してくれた小さなケーキ、まだ親に紹介する前にマヤがウェディングケーキの試作だと言って焼いた物によく似ていた。つい思い出したよ」

そうだったんだ……!
私、なんて、舞い上がったことを。

「すみません……」

声にならない。
せっかくの夜景が、セッティングが、台無し……。
頭の中、マヤさんの想像図とピンクのケーキがぐるぐる回って……。
落ち着くまでしばらくかかった。




「君が泣くことはなかろう」

タクシーの横で会長が言った。

「すみませんでした。あ、あの、今日はありがとうございました」

バラバラなお礼をする私。何とも情けない顔だっただろう。気まずいを通り越して消えてしまいたい気分……。また泣きそう。

「え、えと、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「……君も一緒に来るか?」
「え?」

よく聞こえなくて、私は会長を見た。
すごく心配そうな顔。

「あ、いや。じゃ、お休み」

ドアが閉じて、行き先聞かれつぶけた声で言って、会長の姿が遠ざかっていった。

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密室の恋 24

目覚めが悪いったらありゃしない。
いっそ目覚めんでもいいのにってくらいサイアクだった。
これも悪酔いの一種だろう。
かつてない自己嫌悪……。
何てことを言わせてしまったんだろう。
触れちゃいけない過去。それを。
魚の三枚卸じゃないけど、威勢良くすぱーーっと掻っ捌くような真似しちゃったわけだ。

『君の言葉は胸に突き刺さるな』って。

わーーー、私の馬鹿ーー。
失言、口軽もいいところ。
悔やんでも悔やみきれない、一度口をついて出た言葉は決して消し去ることができないのだ。
奥さんになるはずだった人と弟クンが同時に目の前から消えて。
会長ならずともトラウマもんのショック。
その上お家事情も絡んで……大変だったろうなあ。
弟クン。タカヒロって……。
会長がタカヒロタカヒロって言うたびエグのTAKAHIROを想像しちまった私はやっぱりド庶民……。

「はぁ」

顔を上げると窓の向こうは馬鹿みたいに晴れてる。

『会長は今頃雲の上か』

やりきれない……。ため息ついてキッチンへ立つ。流しの上のちょっとした段差に置いている小さな紅茶の缶を開ける。鍋にお水を入れて火にかけ葉を入れる。ぼーっと見てるとアップルティーの匂いが狭い部屋に広がっていく。
煮立てた紅茶の葉が吹き上がったところに牛乳を注ぐ。続いてお手製はちみつジンジャーを一滴二滴……。どこからみても景品なトムジェリのでかいカップにコポコポ注いで、アップルシナモンティーならぬ、アップルジンジャーティーの出来上がりだ。ホットカーペットの上にぺたんと座り込んですすりこむ。
あったかい……。
何気に見渡す。
そこでまたため息がもれた。
ちまちま安めの雑貨や布切れでデコレートしたわが部屋。カフェで働いていたこともあり、どこそこのアパルトマン風? みたいな雑誌の特集などなど参考に結構がんばってるつもりだけれど、所詮は狭い、古い、寒々しい6畳和室(と気持ち程度のキッチンコーナー)。
どうよ、この底辺具合ってば。
これが現実だよ、とほほ……。
どんなに職場が素敵だろうと、それは自分の能力なんかじゃないわけで。
全部あの人の『社会力』なわけで。
たまたま置かせてもらってる私なんて存在、どうにでもなるのだ。





家を出たのは2時過ぎだ。コンビニでサンドイッチでも買おうかと近所の店を目指す。
目当ての場所に近づいて小さな道路の向こう側に渡ろうとしてふと気づいた。コンビニの少し先に立て看板が見える。ぱっと見でこじゃれた店だなと思わせるそんな感じの看板。
逆に言うとそんな店って何の業種だか近づいてみないとよくわからないんだよね。

『新しい美容院でもできたのかな』

この美容院という言い方がいかにも田舎者だが。近づくと看板は黒板でbook cafeとかわいい手書きで書いてあった。
へえ〜、こんな近所にいつの間に?
興味を引かれて私は中に入った。

「いらっしゃいませ」

カラン、とベルの音がして、奥のカウンターのお姉さんに迎えられる。と同時に心地よいカフェ系BGMとコーヒーやアロマもろもろ混じったいい香りにも。何だか懐かしい……。

『ああ、これこれ。この雰囲気』

小さな店だ。片方の壁が本棚になっていて本がずらっと並んでいる。もう片方はカウンター席で、店の中央には木製のシンプルなテーブル席が数セット、その向こうにお店の人が作業するカウンターとこれまたオサレなスツールが5席ほど。私はとりあえず空いてる壁際のカウンター席に座った。テーブル席は女性とカップル客で一杯、奥のカウンターにも4名。フル回転状態だが、皆本を読んでるか読みながら談笑、とゆったりしてる。ブックカフェかぁ。実は初めてだったり。メニューを渡され、ベーグルサンドを注文した。
ブックカフェに来て本読まないわけにはいくまい。見渡してるとふと目に付いた美味しそうなカップケーキとお花の表紙の、洋書のレシピ本? こちら向きに立てかけてあった。表紙のその写真が非常に美しく私はつい手に取った。
席についてパラパラめくるとうっとり〜な写真が満載で。

『わー、かわいいなあ、やっぱり本場……。』

英語読めないのに夢中になって見る。向こうのってozとかtea spoonとかで表すのよねえ。何が書いてあるのかわからないがレシピの所は何となく理解度が増すような気がする。
写真はかわいいがさすが、これでもかっていうくらい大量のバター、クリーム、ナッツ、ベリー……。肉類は当たり前としてパねえ量だ。日ごろこんなに豆やら果実食ってる日本人いるだろうか。やっぱり民族的に胃がしょぼいのかなあ……。材料揃うには揃うだろうけど相当金がかかりそう。

「お待たせしました」

頼んだものがくるまで全然時間を感じなかった。お姉さんはくすっと笑った。

「料理、お好きなんですか?」

ちょっとドキ。

「は、はあ」

『同業(ほぼ)なんですよ』

とも言えず、似非笑いで返す。「そうですか。ごゆっくり」女の人の細い白い指に小さなリングが光っていた。
ベーグルは手作りだそうで、カウンター脇のショーケースにばら売りもしていた。もうあまり残ってない。具はこれまた手作りのソーセージとハーブ、たまねぎ、トマト。付け合せにひよこまめのディップがついて、飲み物はカフェオレ。
まさしくカフェごはん! ひとまず本を閉じて食べてると思い出した。
そういえば最初に会長に出したのってベーグルだったっけ。
すごい昔の気がする。
しみじみしてきた。会長ったら本当に無愛想で。おちゃらけても全然受けなくて。そのくせメシは全部食ってやんの……。
ああ、何もかも懐かしいーー。あの頃の私に戻りたい。
ブックカフェなのをいいことに、私は食べ終えた後も読書ならぬ読解に没頭していた。これぞ、というレシピ、何度もそこばっかり見てしまうページがあったのだ。
一生懸命英字を追って頭に叩き込もうとする。
が、自信ないし。
つい、メモろうという気になった。
メモろうったってメモ、鉛筆なんて持ち歩いてないわけで……。携帯を取り出し、日本語とローマ字ごちゃ混ぜで打ち込んでく。

「あの〜……」

私はのめりこみ過ぎてて人目というものを気にしてなかったらしい。お店の人に呼びかけられて(多分何度か)振り向くとその人が近くに立っていた。

「あっ。す、すみませんっ」

びっくりして大きな声を出した。彼女はくすりと笑って、

「よろしかったらその本差し上げましょうか?」
「えっ?」

意外な言葉にまたびっくり。いや、恐縮。気づけば私以外のお客がいなくなってて。

「す、すみません、私、つい」
「いいんですよ、ブックカフェってゆっくり本を読むためにあるんですから」
「は、はあ」
「嬉しくなってしまって。その本お気に入りなんです。実は自分用にもう一冊持ってるんですよ。写真がとってもきれいでしょ? よかったらどうぞ。多分、あまり読まれてないから」

そんなに汚れてませんよ。
そういう意味で彼女は言ったのだろう。

「え? そんな。か、買いますよ。これ」
慌てて私は言った。そうまで思ってなかったけどもらうなんてちょっと。気に入ってるし。その方がいいよね。
「いいえ。ペーパーバックですしそんなに気になさらないで」
「えー?」
「持って帰ってもらって何か作られて感想聞けたら嬉しいな」

にこっと笑った。かわいい人。目に付く左手薬指の指輪。誰かの奥さん?

「す、すみません。私。いきなり」

初見なのに。いいのか? でも、ラッキー?

「ありがとうございます! 大事に使わせてもらいます!」
彼女はくすくす微笑んだ。
「お料理されるんですね。自炊ですか?」
「い、いや、まあ、趣味程度……」
料理関係のブログやってるとか今の仕事のこととか、言えない私。
「ここ、最近オープンされたんですか?」
「そうですね。4……5ヶ月前かな」
知らなかった。こっちのコンビニ、あんまり来ないから。
「おひとりで、ですか? 大変ですね」
「いえ、今はいないけど妹と。主人の許しをもらって……やっとオープンしたんです」
やっぱ結婚してるんだ。主人の許し……なんているのか。へえ〜。
遅い午後のひと時、次のお客が入ってくるまで私たちは喋っていた。
「……あのもしお時間があれば。料理教室とかやってるんですけど、いらっしゃいませんか?」
それじゃ、と立ち上がった私にお姉さんは一枚の紙を持ってきた。
『cafe delicious』
お店は日祝休みでその休みの日を利用して店の2階で月一度教室を開いているそうだ。ベーグルに合う何か。皆で作って階下のカフェで一緒に食べる。何だか楽しそう……。
「ええ、是非」
私は言った。勉強になるしね。
「ありがとうございました」
そしてやはり気が引けるのでレジ横にあった小さなブーケを買って帰った。¥300なり〜。



うん、何だか元気をもらったぞ。
家に戻ると床があったかい。ホットカーペットつけっぱなしだったのだ。
すぐ帰るつもりだったから……。

「んーー、ぬくぬくっ」

とりあえずブーケを空き瓶に挿して、でーんと横になる。無印で買ったふわふわのカバーは洗ったばかりでレノアの香りがまだ残ってる。ああ、極楽……。長時間つけっ放しのホットカーペットの上でごろごろするここちよさったらもう。金持ちにはわからないだろう。つい、お久しぶりなipodを取り出してカフェコレっていうリストを選択する。選曲もちろんby私。バイトしてたとき店で流していた曲の中で気に入ったのだけを集めた珠玉(ププ)のBGM集。ゆるい曲ばかりのそれを聴きながら、もうすぐ日が暮れそうな薄暗い中、さっきもらった本をぺらぺらめくっていた。読めないけどきれいな料理フォトを見てるだけで幸せ……。料理だけじゃなく背景や小物もいちいち洒落てる。決して豪華なわけではないのに。その美的フィルターを通すと、出る前は貧乏たらしく映った我が部屋も不思議とかわゆく見えてくる。私、結構がんばってるじゃん、って。花や雑貨や香水のビンを飾った一番のお気に入りコーナー(っても大きめトレイサイズの簡易デスクだけど)、ディスプレイちょっと変えてみようかな。かわいいデザインの空き缶でも置いて、さっきの花を生けるの、このレシピのフォト風に……。
下からの熱は絶妙な具合に全身をあたため、マイクロファイバーの毛布を掛けていたこともあってか、私はそのまま眠ってしまった。

……トントントンッ。

それからどのくらい経ったのだろう。ノックする音が聞こえる気がした。ドンドンッ……。結構長い間だったのかもしれない。私はまだ眠りの中で、音だけが頭をかすめていく。

「……チッ、留守かよ」

最後に人の声がしてその音はなくなった。朦朧状態で夢の中と区別もつかないで。そもそもそれがどこの部屋のドアかわからない。こんな薄っぺらい造りのアパートなんかじゃあ。


ーー何だろう。隣の人、なんかトラブってるのかなあ。やだなあ、これ以上迷惑掛けないでよ。ああ、やっぱ早く引っ越さなきゃ……ムニャムニャ……。

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密室の恋 25

もそもそ起きると10時過ぎていた。またまたいい天気。しかし昨日と違って気分も割りといい感じ。瓶に挿したブーケの花がぱっと目に付いた。このままでもかわいいけど……もう一工夫したいところ。『そうだ』とりあえずそれがくるんであったピンクと薄いオレンジの不織布で瓶を巻いてリボンで結び、マイコーナーに置いてみる。中々いいじゃん……。
その足元のバッグに入れっぱなしだった携帯が光ってる。見るとメールの着信だった。親か。正月はいつ帰るんじゃあってメールだろうなと思って開けると地元の友達からだった。着信は昨日の夜だ。

『かな元気〜?ねえねえゆなの結婚話きいた?私は昨日連絡あって。とりあえず返信ください』

ああ、その話か。私はすぐに指を動かした。

『久しぶり〜。ウン知ってる。最近聞いた』

しばらくして返信が。ちなみに着メロはごはん丸同様『雪の華』のメロディ音にしている私。

『そうなんだ〜。ねえねえプレゼントどうする?』

そしてまた返す。以下同文。着信のたびにさびの所のほんのさわりの部分が部屋に響く。

『欲しいって言われた物があるけど。店で一緒に見た』
『もしかしてフープロ?』
『うん。あんたも言われたの?』
『うん。ねえねえあんたら正月帰ってくるよね?』
『うん(ゆなはどうだかしらんけど。十中八九帰るだろう)』
『だよねー。じゃあさこっちの友達集めるから飲まない?お祝いってことで』
『そうだね。いいね』
『でさフープロみんなからのプレゼントってことにして買って渡しといてもらえんかなあ。あの子住むの東京でしょ?こっちで渡しても二度手間だし。お金もしなかったら振り込むからさ。4万くらいの奴だよね?』

……何だか私ら以外の『ダチ』には既に話がついてるみたいで(はやっ)。その数10名程度。

『うんわかった。立て替えとくね』
『ありがと。ゆなにも言っとくね』

事後承諾かい。即効で10人の了承取ってるあたりがさすが地元友。ゆなも他の子に同じものねだってるって事は……。いいんだよね。『商社の社員さんなら大丈夫っしょ』みたいなこといってたけど。
まあいいんだろう。事後承諾、事後承諾。
でなわけで先日ゆなにねだられた『フープロ』はみんなで折半ということになった。
久しぶりの地元メールにほんわか&やや苦笑&単独のプレゼントじゃなくなったことにどこかほっとしてる自分がいる。やっぱり貧乏人……。




善は急げ。早速私は出かけた。先日ゆなと行ったお店。別にここじゃなくてもそこらじゅうの店で売ってるんだけど、多分ゆなはこの店オキニなんだろうし。だからここの包装紙にくるまれてる方がいいのだ。
店員さんに説明して、カウンターへ。商品確認後ぴしっと万札を差し出す今だけ太っ腹な私。
「では少々お待ち下さい」
プレゼントってお願いして待ってる時間のこそばゆかったこと。いかにも新婚さんへのプレゼントだから。お客もそれっぽい若いカップルばかり。仕事でここの商品並みの最新フル装備を与えられてはいるけれども、あくまでも職場であって自分のおうちにあるのとありがたみが全然違う。いや、幸せ度が。いいなあ、ゆな、幸せにネ。そして。私の縁談が決まった時もこれ級のプレゼント頼みますよー、地元友人よ! そっぽ向かないでよ。
「お待たせしました」
そして出来上がる、ハピフルな包装のフープロくん。『おお』こんなの貰ったら誰だって嬉しいよねえ、よほどの料理嫌いでもなきゃ。
「ありがとうございました」
ふわんふわんのリボンがちら見えするその紙袋を受け取る私も何だか嬉しくて店を出た。


幸せ光線出まくりの紙袋を持って私は街をぶらついた。久々に持ってて嬉しいショップ袋。ブランド好きの人が用もなくロゴ入り袋持ち歩くのとはちとわけが違う。
でもちょっと重い……。よく考えたらこういうのって直接送るんじゃないの? と思ったが今更……。しょうがないので目に付いたガラス張りのネットカフェに入る。幸運なことに窓際の席が空いていた。すけすけガラスの外は交差点。当然人も車もごった返し、それらを見ながらPC……ちゅうわけやね。自分のブログにつないだ。チリコンカンのバーガーとジンジャーエールを傍らに打ち込んでいく。

『こんにちは〜。今日はお休みですが先日ちょっといいことがあったのでご報告がてら……。近所にブックカフェがオープンしてまして、行って来ました!私つい料理の本読みふけっていたんですね。携帯にメモっちゃうくらい(汗)。そしたら、なんとその本いただいてしまいました』

そしてバッグの中からレシピ本を取り出しカウンターに置いて携帯でパシャ。すぐに画像送信……。

『とってもかわゆい本です。洋書なんでイミフですが、一生懸命解読して作ってみようと思います。お店の人とも約束したしね。あ、そのお店ですがとっても素敵でした!初ブックカフェでしたがアットホームな感じでとそれはそれは心地いい空間です。巨大ブックストアの中のカフェもいいけど、また違いますね。手作りのカフェって感じです。オーナーさんは若奥さんってところかな。料理教室もあるのでまた行ってみようと思います』

と終えて、ネットサーフィン。レシピ本のタイトル入れて画像検索して、そこから類推されるページに飛んで……。出てくる出てくる。かわいい画像満載でいつしか没頭してて、日が暮れていたのに気がつかなかった。
チラリ見渡せば携帯片手にPCとにらめっこしてる人もいて。皆似たようなことしてるんじゃん。ああ、同士よ! 可笑しくなって1人笑いをする。



『今日はもう食べなくていいかなーー、節約、節約』

帰りの電車を待つ間。ホームに座って携帯を開く。ブログに早速コメントが入っていた。

『わーー、かわいい本ですねえ。洋書って素敵ですよねえ。私も1冊持ってますよ。お部屋の写真が素敵だったので買ったのですが、全部英語……。意味わからなくてほとんど飾りです^^ ブックカフェですか。最近おうちカフェっていうか自宅カフェっていうのかな、流行ってますよね?東京って一杯穴場がありそうで羨ましいです。次回は是非写真もアップしてください』

『かわいいぃ〜。そうかぁ〜自宅を改装してやってる店かな? 私も何軒か行ってしまうお店があります。カフェじゃなくて田舎レストランですかね。ご主人が蕎麦打ち職人さんで、蕎麦屋なんだけど奥さんの洋風アレンジ料理がまたいいんです。特に茶蕎麦の冷製パスタ風がお気に入りです。夏のメニューですが蕎麦ときれいな食用の花びらと自家製のお野菜とハムがてんこ盛りで、ドレッシングというかタレが絶品!ほんのちょっと梅風味なんだけどそこらのとは全然違うんです。こってりさっぱり加減が絶妙……。レシピ公開されてるんですが作っても同じ味にならない。。。。車じゃないと行けない店なのですが、時々どーしても食べたくて行っちゃいます。あ〜書いてたら食べたくなっちゃった!』

読んでるとにやにやしちゃう。だよねー、だよねー、とつい呟いてしまいそうな。
自宅カフェ? それはよく知らない分野だけど。うーん、うまそう。未知なるドレッシングソースか。
会長がいない間に研究してみようかな?
私はまだ明日から自分が何を任されるのか知らなくて、漠然とそう思った。
そのまま打ち込んでく。

『そうなんですよ。洋書って素敵〜です。私も英語わからないけど、文章すっとばしてレシピのところだけ辞書片手に何とか頑張ろうと思います。写真。そうですね。カフェの写真とって来るだけでもブログできちゃいそうですね。次回ご期待を』

『そばの冷製パスタですか。聞くだけで美味しそうですね。今日はもう何も食べないつもりでいたんだけど、食べたくなってきました!ドライブがてらそういうお店で食べるなんて本当にいいですよね!私は車がないので羨ましいな』


そして最後にこう締める。

『事情がありまして、数日ブログをお休みします。あっ、別に首切られた、とかじゃないですよ。いつもひやひやですが(汗)。ちょっとばかし考えさせられる出来事がありました。やっぱ私、甘いわ(泣)初心に戻ろうと。これは決まっていたことなのであらかじめおしらせしておきますね。ではまた』



そう、私はわかってなかった。明日からの境遇。私の立ち居地。というか立ち直り早すぎ。というか無用心。というか……。
ホームに座りこんでメール(厳密にはブログ)なんてみっともないことしちゃったせいで何本か電車やり過ごして結構な時間だった。
アパートに着いて階段を上がる。2階の奥の角部屋のひとつ手前が私の部屋だ。
階段の3分の2くらい、自分の部屋が見えかかった時点で私ははっとした。
奥の部屋の前辺りで男の人が手すりにもたれかかっているのが見えた。
じっと、タバコを吸ってるのか向こうを向いている。

『え、誰?』

薄暗いから背格好で男だってことくらいしかわからない。こういうのはじめてで、ドキドキしてもう一段、足を踏み出した。ふっと、夜中の妙な物音を思い出す。

『え? やだ、あのときの音の主?』

じゃあ、私の部屋に用ないじゃん。でも何だか怖い。私の部屋と奥の変人の部屋の丁度真ん中に立ってるなんて。どうか迷惑被りませんように。祈りながらそろそろ近寄る。
不意に、男の人はこちらを見た。

「あ、帰ってきた。お帰り」

その人は私を見るなりぱっと表情を変えた。
私も同じく、だった。

「店長! どうして?」

驚いた。店長だった人。前見たときからあまり経ってないのにやつれた感じがする。ひげ伸びちゃってるからか。
店長はタバコを捨てて足で踏み潰し、1歩近づいた。

「ん。ちょっと、頼みたいことがって」

そうつぶやくように言って苦笑い気味に顔を崩した。

「な、何ですか?」

店長はチラっと横目で私の部屋のドアを見やった。

『ここじゃなんだから中に入れてくれない?』

そんな声が聞こえてくるようで。
もちろん私はわかっていてもそうするわけはない。

「何ですか?」

もう一度はっきりと尋ねた。すると、

「わりい、カネかしてくんない?」

ぷいっと右手を上げて困った顔向けられて。

「え〜?」

私はあんまり意外で、不気味さもあって、大きな声を出した。

「そ、そんな。お金? 私に??」

こんなボロアパートに住んでる女に頼みに来るかぁ? 本当にびっくりだった。

「いいじゃん、絶対返すから。少しでいいんだ、ほんの50万……」
「50まん!?」

店長の口から具体的に金額が出てきておののく私。そんな大金、あるわけない。

「そんな、無理ですよ。私、この私に? 店長、気を確かに。どうしちゃったんですか?」
「そっか。じゃ、30万でいいから。ーーーやばいんだ、オレ、殺されちゃうかも」

『えっ』

ぞっとした。30万なら……会長から貰ったお金もまだ残ってるし……。と思いかけた私だったがぶるぶる首を振った。

「だ、だめですよ、ムリムリムリ」

ぶんぶん体で拒否る。店長の目つきが変わった。

「ハ、ムリだって? ずいぶん羽振りがよさそうだけどな」
「え?」

どこが? この庶民丸出しの格好見て言ってるの? 意味がわからない。

「まーた、とぼけんじゃねえ。『しあわせおひるごはん』ってブログ書いてんのあんただろ!」

「えっ……」

私は絶句した。あまりのショックに。そして、お馬鹿なことに黙りこくってしまったことでそれが真実であることを彼に確信させたようだ。かつてない形相で睨み付ける店長……。よほど切羽詰ってるのか

「ーーータイトルと文章ですぐわかったよ。カフェで作ってたレシピのアレンジとか。はは、すげーじゃん、出世したねえ」

『しまった!』

私は本当にうかつだったのだ。
そうだ、こういうこともあるんだ。
気遣ったつもりでもこんなに簡単に身バレするとは!
よりによってこんな人に見られてたなんて!
……でも出世って! それはお世話してる方が金持ちなのであって私は全然羽振りがよくも何もないですけど!?
反論はしたいが何も出てこない。しらばっくれるにももう遅すぎ……。対処のしようがなくて突っ立ってる私。胸がバックンバックン飛び出てきそう。

「だからーー、貸してくれよ! 30万! いや、20万でいいから!!」

ぐぐっとセーターの襟元を掴まれ引っ張られる

「やっ、やめてっ」

「死ぬぞー、おまえはーー、自分の元上司を見殺しにすんのか!」

もうヤ○ザの世界。死ぬってそんな。50万ごときで? 安すぎませんか店長……。てそんなボケる余裕なし。私はブルブル震えながら首を横に振った。店長の手に力が入るのがもろ伝わる。

「くそっ、出せってんだよ!!」

どーんと突き放される。

「いたっ」

隣の部屋のドアにぶつかって、鈍い音が響いた。店長はわけのわからない台詞をわめいてる。恐怖で張り付く私。涙がにじんで、やめてーーーと叫んだつもりが声にならない。
かつて、
『何かあったら叫べばいいよね。私声でかいし』
と、のほほんと語っていた怖いもの知らずの私だったが……。
声なんて出ないじゃん!!
ああ、どうしよう。
こわいよ、こわいよーー、誰か助けろーーー!

「おらぁ、はよう出せやぁ!」

店長が雄たけびのごとく吼えた瞬間だった。

「うるせぇ!」

私の背後で別の声がした。

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