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密室の恋 26

「へっ?」

と振り向く間もなく。
声とほぼ同時にドアが威勢良く開いたのだ。こっち向きに……。

バアン。

「ぶっ」
だか、「ぐへっ」だか、判別つかない音を発して私は前に吹っ飛んだ。

『いてぇーー』

「るせえんだよ! 警察呼ぶぞっ!!」
「んだとぉ〜〜」

痛い……。足打ったのかひねったのか。
涙ながらに体を起こす。っても尻餅ついた状態だが。
店長の後姿が目の前にあった。
そしてそれと対面する……隣の部屋から出てきた人。店長の影になって顔がよくわからないけど声はかなり若い。

「あーーあ、怪我させちゃってるじゃねーの、こりゃ傷害だな! 事件事件、110番っと!」

へっ? いや、それはあんたがドア開けた勢いでつまづいたんですけど。
なんて思うがもちろん声なんて出ない。
その人は携帯を振りかざした。そして実際にピピッとボタンを押した。

「はー? ざけんなてめえ……!」

殴りかかる店長。ひーーっ。

「ばぁか」

しかしその人はするっとかわし、携帯を引っ込めると店長の脇腹に足蹴りをお見舞いした。

「ぐはっ」

うわぁ、マジ痛そうっ……。
思わず顔を背ける私。
その間カシャカシャ写メの音が。

「証拠写真〜〜。さ、警察行こうか」
「や、やめっ」

店長はげほげほ言って、よろよろ立ち上がるとだーっと駆け出した。階段ですっ転ぶ音がする。そしてタタタタ……。音が夜の向こうに消えていく。
私はただただ呆然。何すかこの展開……。
つか、この人、隣の住人?

「大丈夫?」

すっと私に手を差し出す。
ボロアパートのさびさび手すりによっかかって動けない私。
この手すりがいよいよ朽ちていたなら私は落っこちていたかもしれない。
そんな極限状態。
足いてぇ……。
いや。そんなことより何より。
目の前の男の人があんまりにも想像の範囲を超えていて。
私は文字通り頭真っ白になっちゃった。

「立てないかな?」

手を握られそうになってはっとする。私は慌てて言った。

「す、すみません、ありがとうございましたっ!」

無理に立ち上がろうとするがやはりムリ……。よろめいてしまった。

「いたっ」

激痛が走る。どうやらひねってこすってしまったようだ。

「あ、よかったら手当てしとく? オレ湿布持ってるよ」

ぶるんぶるん首を横に振るが私はその人の顔をマジ見していた。

……だって、ものすごいかっこいいんだもん!

この人、隣の住人? えーー?





超美男子というか美少年というか、その隣人を私はまじまじと見つめていた。
その人の部屋で、その人が私の足に応急処置してくれてる間(結局そういうことになった)ずっと……。
不思議とドキドキはなかったけど。
この急展開のせいだろうか。

「この湿布は医者に貰った奴だから結構効く方だけど。ちゃんと明日病院行った方がいいよ」

し終えてその人はこっちを向いた。私はふっと目をそらした。

「どうもありがとう。助けてもらって」

怪我自体は店長からくらったものじゃないが。
しかしこの人がいなければ今頃どうなってたか。恐るべし女の1人暮らし。思い出すだけで……恐怖。

「怖かった……」

ぽつりと。やっと言葉になって出てくる。

「知り合い?」
「はい。昔のバイト先の店長……。金かせって。そんな人だったなんて」
「そういうことか。まあ関わらないことだな」
「でも……。また来ちゃったらどうしよう。オレ殺されるって言ってた」
「ハ、それ常套句じゃん。パチスロですったのがおちだぜ。マジに受けとるもんじゃねーよ」
「そうなのかな」

店長……。独立したみたいなこと言ってなかった? それでお金が? でも、もし借金が本当だとして貸せるの? 保証人とかにされちゃってとんずらされたらどうするの? ぞっとする。

「本当に……ありがとうございました」

しみじみ頭を下げる私。つくづく無力だわ。

「いやいや。……あ、はじめまして。オレ、瀬尾と言います」
「あ、こちらこそ。市川です」

何年も住んでるのにへんてこな挨拶だ。お互い表札出してないから。わかってるのはまあ男だろう、女だろうってくらいだ。
その美男子はさらに続けた。

「オレ、ひとこと言っておこう言っておこうと思って中々機会がなくって。おたくには迷惑掛けてるからさ。すみません、夜中に騒いで」

ぺこっと頭を下げた。

『えっ』

ドキっとする。例の夜中の色っぽい『騒音』。そうか。迷惑掛けてるって自覚はあったんだ……。
しかし『そうですね』とも言えない。引きつった笑みでごまかす(ごまかしてないか)。彼女と熱くていいっすねー、なんて言える状況じゃないし。


「ところでおたく、島根出身?」
「えっ?」
唐突に。なに?
「……何度かおたく宛の手紙、オレのポストに間違って入ってることあってさ。差出人の住所がいつも島根だったからそうなのかなって」
あ、そういうことか。私は頷いた。
「やっぱそうか。すげー偶然だなあ。オレ、隣の県なんだ」
え?
「広島?」
私は言った。すると彼は当てが外れたような顔で、
「いや、違う」
「じゃ、山口?」
「違うって」
彼はむっとした。

「……あのー、島根の隣って言ったらまず鳥取じゃね? 鳥取だよ、鳥取」
「えーー?」

私は本当に驚いた。そう、別に鳥取の存在を無視していたわけじゃなく。今まで会ったことないから! 地元を離れて、この東京で、まず同郷の人に会ったことがない。近い所で筆頭は広島、そうして山口出身の人。島根は東西に細長ーいので接する県境の長さ的に鳥取は微々たるもの。加えてお互い日本最少人口を競ってる県。その辺の地方都市より少なかったりするのだ。悲しいかな……。
私は素直にそのことを口にした。

「私、東京出てきて鳥取の人に会ったのはじめて」
「オレもだよ。おたく、松江? オレ、米子なんだ」

超近所じゃん! 今までのこの人の奇行(?)がふっとぶ親近感。

「え〜? そうなんだ。長いんですか?」
「ここ引っ越してきたのは3年半前」
「3年? 同じくらいなんだ」
へえ〜。人って本当に話してみないとわからないものなんだな。
喋るうちに私はさっきの恐怖はどこへやら、部屋をちらりと見回していた。シンプルな部屋。ベッドと冷蔵庫と棚がひとつ。カーテン代わりのブラウンの竹? 和紙? のロールスクリーンが目立つ。床のラグと同系色で、ほほぅ、こういうコーディネートもありなのね。同じ間取りなのに貧乏くさくない。男の人の部屋って感じだ。

「少しは落ち着いた?」

イケメン鳥取県人は立ち上がると冷蔵庫から紙パックを取り出した。

「何か飲む? と聞きたいところだけど、これしかなくってさ」

コップと一緒に持ってきたそれは白バラ牛乳のコーヒー牛乳。思い切りローカルなシロモノだ。
とくとく注いで、私に差し出す。

「ありがとう。これって……大山の牛乳だよね」
飲みつけてるわけじゃないけど一応知っているので。トットリくんはちょっと嬉しそうだった。
「オレ、これ好きなんだよねー。こっち来て全然売ってなくて、見かけたらまとめ買いしてるんだ。だから冷蔵庫の中こればっかり」
「自炊……しないの?」
「あはっ、するわけねー」
後ろに手をついて、ラフな姿勢になってあぐら……。
完全にりらっくま状態。何故かそんなにドキドキしない。カッコいいんだけど。この人。不思議な雰囲気だ。
私はコクコク白バラコーヒーを飲んだ。
「美味しいね」
「だろ? グ○コや雪○のじゃ何か違うんだ」
コーヒー牛乳自体飲みつけないが何となくわかる。男の人って変な所にこだわるのかもしれない。
「あ、あの、ありがとうございました。そ、そろそろ私、戻ります」
でもやはり男……。部屋に夜いちゃまずいじゃん? 彼女さんいるんだろうし。
よろよろ立ち上がろうとして『うぐっ』と呻きそうになる私。まだ痛い。やはり明日の病院行きは決定、か。
「大丈夫? オレ送るわ」
「あ、うん、でも……」
断ろうとして、まだまともに歩けそうにないので任せる。
送るっても隣なわけで。でも肩支えてもらってさすがにちょっとドキ。鍵出してもらって部屋の中まで入れてもらう。うへ〜。男入れたの久々〜。
「じゃ、すみません、ありがとうございました。御礼はまたしますね」
ぺたんと部屋の真ん中に座り込んで言うと、彼は「うん。ちょっと待ってて」と出て行った。
すぐに戻ってきて、白いレジ袋を差し出す。
「これ、ついでっていうか、飲んでよ」
さっきの白バラだ。1000mlの紙パック。断る由もなく(美味しかったし)頷くと彼はそれをうちの冷蔵庫に入れた。
「あの〜、差し出がましいこと言うようだけど。オレ前から思ってたんだよね。年頃の女性がよくこんなボロいアパートに住んでるなって。おたく、気をつけたほうがいいよ。さっきの奴また来るかもしれねーし」
割と心配そうに言われて私は「うん」と頷いた。この鳥取人は私のこと少しは認識していたらしい。
「引越し……。するつもりではいるんだ」
「あ、そう。ならよかった。今日はたまたまオレがいたからいいけどー。頼りになりそうな奴っていねーし、このアパート。その方がいいよ。まあ今日明日はさすがに来ないだろうけどさ」
「うん。ありがとう。あの、ごめんね」
本当にそうだな。この人言うことはまともだ。
「いやいや。だから、日頃のお詫びもこめて」

私はついぷっと小さく吹いた。

「あ、でも遊んでるわけじゃないぜ。一応仕事だからな」
『仕事?』
「……秘密のね。半分幽霊住民。だから郵便物なんてこねーの。それじゃ、オレ、これから『外注』なんで」
パタン、と何もなかったかのようにドアは閉まる。
『がいちゅう???』
不思議空気が漂う……。私はしばらくぽかんとしていた。





あったかいホットカーペットの上でしばらくじっとしていた。
思わぬ隣人の助けで救われたものの、怖かった……。
何であんなになっちゃったかなー? 前から好ましくない部類の人だった。ロン毛にズルダラファッションで決めてるんだろうけど乗り切れてないっていうか、田舎娘にそう思われてちゃダメでしょ、店長……。
足を痛めないようにそおっと横になる。照明つけっぱなしだがまあいいや。今日は怖いからこのまま寝よう。寝れたらいい……。だが、うとうとしかけてはまた意識が戻ってくる。ふと音楽を聴こうという気になった。賑やかめの曲を選んでシャッフルしてヘッドフォンでガンガンに流して気を紛らわして寝てしまえ、と。私は体を起こそうとした。
『うっ……』
でも動かない。おかしいなと思って足をかばい上半身に力を入れるがいつもと違う。そうしたつもりだが全然感覚がない。
『えっ』
驚いて叫んだ。が、実際声になっているのかどうか判別できない。
『ちょ、なに?』
口を動かしたつもりなのに。やはり聞こえない。全身は微動だにしない。

ーーーもしかして、これ、金縛りって奴……?

はじめてだった。冷や汗が出た。いや、出たように自分が思うだけで感覚は全くない。
『えーーーー、やだ、だれかっ』
怖すぎる。恐怖がドンドン増す。明かりがついていようと、それはほとんど意味をなさない。真夜中に明るい天井もまた別の意味で不気味に思える。硬直状態が続く。そして、不意に気配を感じた。
『誰?』
明るいのに。見えないのに。気配を感じる。
『ひ、ひいっ』

ーーーマヤさん!?

何故だろう。彼女だと思った。女の人だ。私が想像していたに過ぎない、長い髪の、すっとした美人顔の。その人の気配を感じて、私は泣き叫んだ。出もしない声を荒げて。

『マヤさん? ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、私、そんなつもりじゃなかったんですーーーー!』

ごめんなさい、ごめんなさいと何度叫んだだろう。謝る明確な理由は恐らくない。だが私が悪いのだ。私はがんじがらめに縛られていた。おそらく、うっすらと空が白み始めるまで。あまりに緊張して、それが長く続いて、感覚がいつ戻ったのか徐々にだったのかよくわからなかった。

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密室の恋 27

も、げっそり…。

呪縛が解けたとわかったのはいつもの出勤時間間際だった。
足の痛みは少し引いたけど、ショックは大きすぎ。
何だったんだアレは。
あの気配…。

室長に連絡して、じじばばだらけの整形外科に寄って出社。怪我の具合は幸い大したことはなかった。

『まあ、捻挫? 悪いようなら無理しなくていいのよ? 今日はお休みにしとくから』

なあんて言われたけどあんな恐ろしい目に遭った部屋にいる方がよっぽど無理!!

『そう? 立ち仕事はしばらくお休みね。簡単な書類の整理だけお願いするわ。水曜までね』

水曜日。会長の出張が水曜までで出社は木曜。丸3日。大丈夫かな。激しく不安だ。
10時過ぎていたので秘書室には室長と手配&チェッカーの男の人が二人だけだった。

「無理しないでね。はい、ここに座って」

指示されたのは室長の隣の席。彼女が主に会長のスケジュール管理やら関連書類の作成などなどされているわけで実質会長秘書なのだが、会長が『あんな人』だから正式な会長秘書という職は宙に浮いている。
変な会社…。
まあ3日間大人しくしてよう。どうやら派遣の仕事とさして変わらないようだし。
痛みは引いてもいつもと違う今日の私。言われたまま地味にPC打ち込んでると妙なおたけびが上がった。
「ぐわ〜、室長、25日の会食、ダメです、変更不可です。時間ずらせません」
驚いて顔を上げた…のは私だけで、隣の室長は「ああ、そう、やっぱりね」と、軽く答えると、「いいわ、こちらに頂戴」文書を受け取り、何枚か照らし合わせて、どこかに電話…。
ああ、こういうの秘書さんぽいよな〜〜。縁の下の力持ちって言うか。影でちゃちゃっとお仕事をする。
それに比べて私って…。
ダメだ、テンション低っ。
あと3日どうやって過ごそうか。家に帰りたくない…。

室長は私の足を気遣ってくれて、お昼は社食でご馳走してくれた。
「市川さん、お昼は時々降りてきていいのよ。遠慮しないでね」
とにっこり。つくづくいい人だ。ありがたくてじ〜〜んとする。
「顔色もあまりよくないみたいだけど。どうしたの?」
「え、あ、いや」
はじめは言葉を濁していた私だったが、優しい言葉につい昨日の出来事を話してしまった。
「まあ、こわい!」
いかにもフェミニン〜なリアクションだろうか。室長は口に手を当てた。
「それは警察に行ったほうがよくない? 家に押しかけてくるなんて恐いわねえ。それに金縛りって。私、経験がないのでわからないんだけど、想像しただけで恐いわ。市川さん、1人暮らしだものね」
「はあ。私もはじめてだったんで…。さすがにこたえました」
「そうよねえ」
思い出すだけで恐すぎ。都会の1人暮らしの恐さをうんと思い知ったわけだ。26にして初めて。
「ね、よかったらうちへ泊まりに来ない? また1人きりになるの不安でしょう」
「え? いいんですか?」
「ええ」
「で、でも、ご家族がいらっしゃるんじゃ」
「主人は帰りが遅いし子供は野外活動で木曜までいないの」
「そうなんですか。でも…」
「そうなさいな。広い家じゃないけど」
寂しい一人身にこのお言葉。ありがたいよね。
「あ、はい。それじゃあ」
これまた思いがけない救いの手だろうか。
部屋に戻り、仕事がひと段落着いたところで私はコーヒーを入れることにした。
「ありがとう、市川さん」
「おお〜、やっぱ何か違う気がするな」
「いただきまっす」
特に何もしてないすけどね。いい場しのぎになるんだな、これが。
本日のお客様〜。
室長以下、男性社員2名。1人は独身、1人は既婚なり〜。
「うまいっす〜。この香りがいいんだよね」
「なんつーか、ここんとこピリピリ感が減った気がすんだよな」
「市川さんのお陰かもね」
「えー、そんな」
「しょーじき、いれてくれるのってありがたい」
「お茶入れてくれなんて俺ら口が裂けても言えないしな」
「ま、それくらいしてさしあげますわよ」
「めっそうもない、室長!」
「ただし、いれるだけですけどね。味は保証しませんわ」
「ぷっ、会長の一件以来、みんな自信喪失だったもんな〜。今思うと笑えるけど」
「いや〜、マジでワンコイン浮いた気分。うち、嫁がいれてくれないんだわ」
ああ、派遣時代を思い出すな〜。コーヒー一杯で何故か饒舌になるの。
何度も念を押すが私は特に何もしていない。
どこの給湯室にもあるコーヒーメーカー使えばそこそこ旨い一杯ができるんだけど。あの偏屈会長のせいで禁忌な飲み物だったらしい。プフ。罪なオッサンだよ。
カップを片していると、背後の秘書室が騒がしくなった。秘書さんたちが降りてきたのだ。
もうそんな時間か。
ふっと後ろを振り返ると人が立っていた。
副社長秘書さんだ。
「あ、よろしかったらコーヒー入れましょうか?」
とっさに営業スマイルな私。彼女は何も言わずぷいっと顔を背けて出て行った。
「市川さん、怪我したんですって?」
片付け終了後部屋に戻ると社長秘書さんが寄って来た。私の足首をちろりんと眺めて。
「歩いちゃって大丈夫〜? あ、室長、金曜のアレ、言いました?」
「ま、忘れてたわ!」
アレって?
「市川さん、来週の金曜、空いてる?」
「はい。何も予定ないですけど」
「朝、電話貰ってどんな状態かわからなくて、つい言いそびれていたわ。遅くなってしまって悪いんだけど、忘年会も兼ねて市川さんの歓迎会しようと思ってるの」
歓迎会!
ああ、そういえばそういうものがあるんだ、普通の会社って。派遣の時もあったような。懐かしいな〜。
「えーー、嬉しいです!」
「じゃあ、いいわね。場所はこの近くだから。また教えるわ」
「はい。ありがとうございます」
室長のお言葉に甘えることにした私は一緒に会社を出た。同じ路線だと言う社長秘書さんと3人で。
社長秘書の吉永さん。はっきりした顔立ちで喋り方もはきはきしてる。
いかにも、な秘書さんだよね。
「室長、例の時間変更、どうなりました?」
「何とか詰められたわ。変更箇所だけまた回すから」
「さっすが〜。歓迎会の日取りも決まったし、来月のはもうないですよね」
「ええ。早いわねえ、今週終わればもう12月」
「あ、横森さんには言ってないけどいいですよね? とにかく夜はダメって言ってたし」
「そうねえ。一応、承諾はとってるから。いいんじゃない?」
ゴトンゴトン…。私は二人の会話を何気に聞き流していた。
先に私たちが下りて、案内された室長のご自宅は立派な一軒家だった。しかも世田谷だよ、世田谷!
『広くないけど』
なんてご謙遜。対面カウンターのリビングダイニングキッチンはきれいに片付いていて、隣の和室も昔ながらの和室っぽくない、清潔な、いかにも今風のお家って感じだ。
誰もいなくて、2人でパスタ食べて、お風呂入らせてもらって、下着まで用意してくれて。
「下だったら新しいのあるから」
わー、そこまでしてもらって恐縮っす! 上はユニク○のブラキャミ(冬は怠慢なの…ていうか高いブラつけたところで大して変わらないし)だからまあ1日くらいならよしとしよう。
「何だか嬉しいわ〜。友達を泊める気分よ。何年ぶりかしら」
そして。リビングの横の和室に布団を二組敷く室長。私が恐がってるだろうから? いいのかな。
「あ、あの、これって」
「ふふ、私、最近ここで寝てるのよ」
「そうなんですか」
「主人、いつも帰りが遅いから。同じ部屋に寝てて起こされるのもいやだし、ゆっくりしたいじゃない?」
「は、はあ」
そんなものなのかな。未知の世界。旦那さんは夜遅く帰ってきて1人で寝支度するのかな。まあラクっちゃ楽だよな。
遠慮なく布団にもぐりこむ私。客用布団かな? ふかふかで厚みがあって、ああ、気持ちいい。口にしないまでも顔がほころぶ。
室長も横になった。
「大丈夫? 市川さん、怪我の具合は」
「あ、もう、大分ひきました」
「そう。よかったわ」
実際風呂上りに湿布を替えた時にはあのズキンズキンした痛みはなかった。
「それにしても恐いわねえ。私、一人暮らしの経験がなくて。市川さんのように地方から出てらして1人で暮らしてる女の子のこと尊敬しちゃうわ」
「そ、そんな。室長こそすごいじゃないですか、結婚されて、子供さんもいらっしゃって、家事こなしながらバリバリ働かれてて」
うんうん、マジ尊敬する。30代で室長っすよ。
「いえいえ。私は自分の親に助けてもらってるから。お恥ずかしい話だけれど、しょっちゅう母に来てもらってるのよ」
「ご近所なんですか」
「ええ」
そうなんだ〜。田舎じゃよく聞く話だけど。きっと世田谷のお嬢さん育ちなんだろうな。都心にこんな家持てるなんて私には想像もつかないわ。
「えらいわよねえ、市川さんも吉永さんも。見習わないとね」
「吉永さん…。そっかぁ…社長秘書さんも1人暮らしなんだ」
私は大したことないですけどね。低収入だったし。ボロアパートだし。
「うちはダメね、主人も私もすぐに親を頼っちゃうから。運動会や文化祭のお弁当作りも全部お任せよ。私、普段の料理はそう苦にならないんだけど子供のお弁当みたいにちょこちょこっとたくさん作るの苦手なの」
室長のゆるい喋りが耳に心地よい…。私はうとうとしていた。
「横森さんなんてよくやってると思うわ。彼女本当にーーーないのよ」

『横森さん』

眠りに落ちる瞬間だっただろうか、ぼんやりと夕方のシーンが浮かぶ。

横森さんね。
副社長秘書さん。
何かこわかったけど。何だったんだろう…。
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密室の恋 28

今時の家っていいなあ。この匂いもそうだしすっきりしてて。
目覚めるなりそう思った私だったが、すぐに訂正。
ドアを開けるとLDK。そこにいる人といきなり対面しなくちゃならない。
「おはよう、市川さん。ゆっくり寝れた?」
きゃ、このおきぬけの顔〜。
「は、はい。おはようございます」
「おお、おはようございます」
向こう向きに座っていた男の人がこっち向きながらでっかい声上げた。
声もでかいが体もでかい。
旦那さんだ〜。
「おはようございます、いつもお世話になってます。市川です」
しょっぱなからこの挨拶。
「こちらこそ、家内がいつも世話になっとります」
きゃ、家内だって。ぷるぷる、とんでもない、室長にはとってもよくしてもらってます!
「顔洗ってらっしゃいな。洗面所空いてるわ。着替えは洗濯機の横の棚の上ね」
手際よく言われ、そそくさと廊下に出て行く。
言われたとおり私が昨日着ていた服一式がそこに畳んであった。室長は夜の内に洗濯乾燥と済ましてしまうらしい。まだあたたかい、てことは予約タイマーなのかな。
「いいなあ、これが家庭だよね」
ああ、やっぱあこがれるわ。でっかいドラム式洗濯乾燥機にぴかぴかの洗面台。いいな〜。
「市川さん、ありあわせのものしかないけど、どうぞ」
「すみません、いただきます」
ありあわせってすごい量なんですけど。味噌汁、焼き鮭、野菜炒め、デカソーセージ、スクランブルエッグ、トマトスライス……。旦那さんがまあぱくぱくと気持ちいいこと! 間近で見るとほんとにいい体格してる。体育会系の中でもアメフト系の筋肉のつき方だ。
「ご飯とパン、どちらにする?」
「あ、じゃ、パンいただけますか」
室長真似てロールパンにエッグとトマト挟んで食べる。コーヒーの匂いに包まれて……ほんまもんのしあわせごはんだ。
「ところで市川さんは、コーヒーのスペシャリストなんだって?」
でかい声で突然ふっかけられる。
「えっ。と、とんでもない。そういうお店でバイトしてただけで。たまたま、です」
「へえ。んでも大したもんだね。……一時コイツ半ノイローゼ状態だったからさ。朝昼晩コーヒーコーヒーコーヒー。何杯飲まされたかなあ」
えっ。そうなんだ。やだなあ、会長ったら。
「ほほほほ。お恥ずかしいわ。これでも私、コーヒーくらいは普通に入れられるつもりでいたのよ」
「ネット検索したり本探したり、ポットやらミルやら買ってね。僕もコーヒーには結構うるさい方なんではまっちゃってさ。それで見つけたのがこれなんですよ。気に入りのブレンド」
と、カップをすする。
「ふふ、この人、将来の夢が喫茶店のマスターなのよ」
「へぇ〜〜」
私のリアクションに旦那さんはニヤニヤしてる。
「だから私、仕事辞められないの」
と小声で室長。
いいなぁ……。こういう旦那さんと晩酌したら楽しいだろうな〜。珍しく具体的な結婚生活の場面を思い浮かべたりして。友達の彼氏なり旦那さんなりにはいないタイプだ。


その旦那さんの運転する車で出社するらしい。ガレージには昨夜はなかったでかいSUVっての? そういう車がとまっていた。
「さあさあ、どうぞどうぞ」
「あなた、安全運転で頼むわよ」
「オッケー」
車高が高いのでよっこらしょと乗り込んで。室長も並んで後ろのシートへ。
ブオンと威勢のいいエンジン音。暖房ガンガンモード。時代に逆行してるかもしれないタイプの車だけど、この旦那さんにはこれしかないってくらい似合ってる。
で、これまた細い道をスピード落とさずスイスイ進むんだな。
初めてだな。こういう高さで見る東京の景色……。裏道なのでどこ通ってるかよくわからない。

「素敵な旦那さんですねえ。ありがとうございました」

お世辞じゃなくて本音で。都庁近くで下ろしてもらって、歩きながら話は弾む。スポーツトレーナーのご主人は昼前出勤でジムの営業時間の関係で夜遅いのだそう。

「ふふ、うち、アウトドア派なのよ。私以外はね」
「そうですかあ。憧れます」
「外で騒ぐ分はいいのだけどね。家にも呼びたがるから……。喫茶店の話もその延長。要するに仲間を集めて騒ぎたいのよ」
かわいい旦那さんだ。でも奥さんは大変、かな? 室長はほっそりした白いコートにブーツと上品な格好。こんなお嬢さんがどうやってあの旦那さんと知り合ったんだろうか。
「カフェじゃなくて喫茶店ってとこがね」
そこではあ、とため息。話だけ聞くと楽しいイメージばっかりだけど、実現するには段取りってもんが必要なわけで。家でも影ながらの努力してるわけですね、室長。
「大きな子供みたいよね。男の人ってね」
ああ、わかるな〜。私も結婚したらそんな台詞実感込めて吐くようになるんだろうか。
「市川さんが来てくれてあの人も嬉しいのよ。家ががらんとしてるのが嫌いな人だから。今日も是非泊まっていって頂戴。ね?」
え〜〜。いいのかな。


「おはようございます」
着替えて秘書室に入ると、吉永さんと横森さんがあちら向きに立っていた。立ち話な雰囲気でもなく。「おはようございます」挨拶は返ってくるが何となくいやなムード。つんっと横森さんがきびすを返して出て行った。
何なんだろう?
昨日の態度といい、気にかかるが口に出せない。
「室長、今日は社長が午後いらっしゃらないのでこっち来て手伝いますね」
いつもの吉永さんの顔だ。
「じゃね、市川さん、後で」

また昨日のメンバーだけになる。
今日の仕事は再来週分の重役会議の資料作り。相変わらず重要な書類は回って来ず、派遣の延長でまったり進める私。
思うところがあり、お昼前に室長に申し出た。
「室長、午後、給湯室使わせてもらっていいですか」
「ええ。どうぞ。コーヒー?」
「はい」
「まあごめんなさいね。でも嬉しいわ」
「昼休憩ちょっと外出してきます」
「はいはい」

何日ぶりかな。お昼の買出し。ついでにショッピング。会社を出てまずユニク○でブラトップとショーツを買う。色気ナッシングだけどいいの。安いし。その後勝手知ったるデパ地下で買い物。バター、チョコレート、ダークチェリー、クリームチーズ、生クリーム、グラニュー糖……。

戻ってまた作業に没頭。しばらくすると社長の見送りから戻ってきたらしい吉永さんがやってきた。入れ替わるように室長がプレゼンの打ち合わせで出て行く。吉永さんは室長の仕事を引き継ぐみたいで彼女の席に着いた。
頃合を見計らって私は給湯室へ。

「コーヒー飲まれます?」
「あ、いいの? ありがとう」
「わーい、待ってました」

給湯室の最低限の道具でできるちょこっとメニュー。
ネットサーフィンで見つけたレシピなのでお初なんだけど簡単だし味の想像つくし。
ホイルで型作って買ってきたもの混ぜただけの生地流し込んでオーブン機能付のレンジで焼くだけ!
乳脂肪もお砂糖もてんこもりだけどブラウニーってこのくらいこってりしてなくちゃ美味しくないのよ。

「わ〜。いい匂い、何々?」

出来上がってドアを開けるなり吉永さんが寄って来た。室長も戻ってきている。

「うぉ、うまそう」
「かなり甘いけどいいですか?」
「何でもいただきます!」

二口分に切り分けたブラウニーをレースペーパーに置いて皆に配って。
はい、おやつの時間ですよ〜。
材料ケチらずに投入したお陰で濃厚なスイーツの香り。
超高カロリーだけど。秘書さんたち頭使うだろうからいいよね?

「わぁ、幸せ〜。市川さんって上手ねえ」
「そんなことないですよ。これ簡単なんで」
「作るって気持ちに持っていくのが大変なんだよ」
「お店に行くの一回得した気分」

本当に誰でも作れるんだけどな。

一度流し台に戻って残りのブラウニーを他の秘書室メンバーに分けて包んでリボンして。
自分の席に着こうとしたその時だ。
ドアが開いて、横森さんが入ってきた。
何故かシン、とする室内。
横森さんは室長に向かって、
「すみません、じゃ、お先に失礼します」
ほんのちょっと頭を下げた。
そしてドアの前、私の耳元をかすめるように接近して、

「これでたらしこんだんだ。すごいね」

息で囁いた。デスクの上のお菓子の残骸を見やって。

「えっ」

瞬間、体が凍りついた。
何秒だったろう。
瞬間冷凍って表現がぴったりのカチコチ状態……。


「あーあ、感じわるっ」

吉永さんの大きな声が頭を通り抜けてく。

「吉永さん……。おやめなさい」
「だってー。何かと子供が子供が、で抜けるでしょ? 今日だって……」
「それは仕方ないでしょ。あなただってライブに行くからって代わってもらったことあったじゃない」
「ですけどー。昔の話ですよ。気を遣って誘わないようにしたら逆にすねちゃうしー」
「歓迎会のこと?」
「そうですよ。あーーー、むかつくっ!」

ダン、と大きな音がした。

『いぃ!?』

フォークが突き刺さってる。かなり分厚いマウスパッドと思しき物体。
握りしめるのは……あの理知的な吉永さん?

「よ、吉永さん、危ないから」
「ジーザスッ」

高く振りかざして。

ドゥィィーーーン。

妙な鈍い音がしてフォークは吹っ飛んだ。
刺し所が悪かったのか。
吉永さんの力が勝り過ぎたのか。

『ひぃぃぃーーー』

「ほ、ほほほほ。もうやあねえ」
「市川さんもあの人に近寄らない方がいいわよ。最近機嫌悪いのよ」
「やめなさいって」

室長の制止なんてなんのその、吉永さんは止まらない。

「彼女、市川さんと同じく派遣で上がってきた人なのよ」
「えっ」

そうなんだ。

「うち、来年度から派遣の採用やめるのよ。ほら、最近色々うるさいじゃない? 今いる派遣社員の内『デキる』人は本採用に通してる最中なの」

ええーー。知らなかった。私、駆け込みセーフってヤツ??

「プライド高いからさ。市川さんのこと変にやっかんでるかもしれないね。あの人、会長と特に合わなかったから」

やっかむって、こんな私を?
あ、でも、さっきのあの台詞。誰にも聞こえなかっただろうけど、鬱積した感情が漏れ出て来た様子だった。

「会長があんなになってしまわれたのには仕方ない理由があるの。皆知ってるからまだ我慢できるんだけど、あの人はね、もう何言ってもダメ。家庭がどうのこうの、ピーチーエーが何たらかんたら、言い訳ばっかり」
「吉永さん……。だからそれはそれで大変なのよ。私もそうだったんだから。私は親の援助が受けられるけど横森さんは違うでしょ? 全部自分達でやらないといけないのよ。大変だと思うわ」
「そんなの! んなことやってる人ごまんといますよ!」

うわー。何だか知らないけどこの2人の間で何かあったみたいだ。
誰も彼女を止められず……。話は続く続く。

「だからー。自分のことしか見えてないでしょ? 世の中はもっと広いんだっての! 会長だって好きで会長やってるわけじゃないじゃない!」

「そ、そうなんですか?」

私が弱弱しく聞くと「そうよ」ときっぱり吉永さんは言った。

「うちの役職じゃなかったしね。本当はアトランタのLEX社のEVPに就任される予定で話も進んでたの。その合併話がこじれにこじれて……。何年前かな? ニュースでちょっと流れたんだけど知らない? 突然S物産の赤字部門買収なんて話が降って沸いたように持ち上がってきて」

S物産? 私はどきっとした。会長が言ってたことと重なるじゃん。
そう、やっぱ重大事件だったんだ。会長……。

「米側はかんかんよ。前会長は倒れちゃうし。コーディネートしたのがあの人だったから責任とってその処理っていうか関連雑務をやってるの。会長という肩書きで。だから本来ここにいらっしゃる予定でなかった人なの。お気の毒だって皆思ってる」
「アトランタ……。じゃあ会長はいずれそちらへ?」
「そう。それが伸びに伸びてあと1年くらいかかりそうなの」

ずーーんと沈む。
そうなんだ。

「あーー、むかつくむかつくむかつく! ぜーーったい社長秘書の座は譲らないんだからっ」
「吉永さんたら……。何もそこまで思ってないでしょ」
「思ってないとは限らないじゃないですか! 私、絶対やめませんからねっ」
「ほらほら……。落ち着いて頂戴、それは人事が決める話よ」
「いやですっ」



会長、いなくなっちゃうんだ。
じゃ、私、私は……?
ひょっとして、タイムリミット1年?

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密室の恋 29

「本当にそれだけでいいの?」
「はあ」

食事時のにぎやかな店内。
室長の前には、名前なんだったかな? グツグツ煮えたぎる坦々麺風の赤茶色のスープにニラもやし餃子ひき肉てんこ盛りの1人鍋。
外見に似合わず結構いけるんですね……。
うまそうな匂いがこっちにも漂う。
普段なら絶対こういうの頼むんだけどな。
「いただきます」
おじやに箸、じゃなくれんげをつける私(しょっぱなからいきなりこれかい)。

『これでたらしこんだんだ』
あのひとことが重くのしかかってテンションぐーーんと低い。

「市川さん、さっきのお話気にしないでね。聞かなかったことにして」

まあそれは私だけの胸の内に置いとくとして。
思わぬ内部事情を聞かされ私が気にしているだろうと室長は気を遣ってくれて、鍋料理専門店に連れて来てくれたわけだ。

「横森さん、派遣社員さんだったんですね」
やはり食の進まない私はポツリ呟いた。
「ええ。随分前の話よ」
「すごい出世ですよね」
「当時はね。就職情報サイトに載ったことがあったわ」

へえ。
つまり、派遣の星ってわけか。
プライドあって当然じゃん。
なのに、お茶の味が少々微妙なくらいでけなされて(会長……)。
私みたいなのが突拍子もなく上がってきて、お茶汲みだけで同じくらいの給料貰ったんじゃあ、そりゃ面白くないよね。

『やっかんでるかもしれないね』
だよね。ああ、落ち込む。

それに。

『のびにのびてあと一年くらいかかりそうなの』
って。それって私の仕事もあと一年ってこと? その後は……。
はぁー……。

「もっとお食べなさいな。今晩は冷えそうよ」
「はあ」
心配かけても悪いので無理やり流し込んだ。



確かに寒い夜だ。
またまたお世話になる室長宅はタイマーなのか暖房がガンガン効いてて快適だった。
シャワーの前にこそこそユニク○の下着を開封する私。
「まあ、気を遣わなくてもいいのに」なんて言われたけど、連日ぱんつの世話までさせちゃあいけないよね。
早めに寝よう……。
とするも、布団被るとあの言葉が頭の中ヒュンヒュン流れる。


コワイよ。
秘書室があんなにギスギスしてたなんて知らなかった。
社長秘書と副社長秘書が犬猿の仲、なんて……。
新米田舎娘がそれに火をつけちゃったのか。
うなだれもせずけろっとしてるもんだから……。
せめて悲壮感漂わせてりゃ良かったのか。
知らなかった。KYだったのね、私って。
私、1年後どうしてるんだろう?
いきなり、ハイ、終了〜?
もしかして、秘書室雑用係?
あんなところで仕事するのならまだ前の部署のほうが良かったな。
怖くて聞けなかった。
でも。ちゃんと聞いておかなきゃ。
ああ、会長、早く帰ってこないかな……。



「おはようございます」
「おお、おはよう!」
「おはよう、市川さん」

朝からハイテンションな旦那さん。
身支度して席に着くと、昨日と同様ににぎやかな食卓の、旦那さんの分は大方済んでいた。

「今朝は冷えるなあ。そろそろ雪が降るかもしれないね」
「まだ11月よ、それはないでしょう」

旦那さんは大きなグラスに豆乳を注ぎ、半分くらいになったところで別の紙パックにチェンジ。
何となく見ていて「あれ?」と思った。
見覚えのあるパッケージ。

「これ、白バラコーヒー?」
「ああ、そう。うまいよ。飲む?」

すすめられた流れでコップに注ぐ。
旦那さんはぐい飲みして、空いた皿にパンとウィンナーをのせてフォークでさした。
まだ食べるんかい……。

「コーヒー三昧だった頃見つけたんだよ。鳥取の大山のコーヒーなんだ。っても知らないだろうね。大きい山と書いてだいせんって読むんだよ」

やはり田舎扱いか。まあいい。

「知ってますよ。私、松江出身なんで」
「えっ。そうなんだ。オレ、大学が関西で、よくスキーに行ってたんだ。そのときこれ知ってさ。こっちで売ってるなんて思わないから見つけたとき感動した。市川さんは滑れる口?」
「はあ、まあ」

大山まではあんまり行かないけど。
しかし都会人にこんなに喜んでもらって幸せだな。コーヒー牛乳よ。はるばる東京までやってきた甲斐があるってもんだ。

「親戚の家の裏山でちょろちょろ滑るレベルですよ」
「ほー。そりゃいいねえ。貸切じゃん。じゃあ夏はBBQし放題?」
「そうですねえ。田んぼ以外何もないですからね」
「羨ましいなあ、海も山も近いもんな」
「そりゃ田舎ですから」

ハハハ……と自虐的な笑みを返す私。
適当に終わらせようと言う意味を込めてのものだったが。
旦那さんの話はずっと続いて(体育会系……)、車から降りる前まで主にスキーについて、蔵王の雪がどうのこうのとかやっていた。



何か体がぽかぽかするなあ。車も暖房効かせすぎか?
静かな室内で黙々と作業しているからなのか、頭がぼーっとして、いつのまにかお昼に吉永さんと室長と社食に行く流れになっていた。
ここの社食30Fにあってさすがに眺望はすばらしいのだが、上のキッチンには負けるよなあ。インテリアの面で。
早く戻りたい……。
ぼんやり思って、うどんをすする。

「市川さん、元気出してね。皆何とも思ってないから。ほら、吉永さんも言ってあげて頂戴」
「気を悪くしたらごめんね。でもね、来てくれて助かってるのは本当よ。ボスのお仕事がスムーズに進むよう気遣いをするのも私たちの仕事なの。それって、秘書のポイントなのよ」
「はあ……」
ボス? ああ、会長か。助かってるって。あの人の仕事が順調かどうかなんて私には分からない。
「会長のご機嫌伺いをしなくてよくなってみんなほっとしてるの。市川さん想像できないだろうけど本当に雲泥の差なんだから。トップのお食事の世話をするのも立派なお仕事じゃない? ストレス減って商談がまとまれば会社にもみんなにもいいんだし」

会長も同じようなこと言ってたっけ。
釣りごときで『100億の商談がまとまるのだから安いものだ』って。
そういう感覚ってこの人たち特有なのだろう。
貧乏人にはちょっと……ね。

「……なのにあの人ったらさ。あんなにカシカシして副社長気が休まるのかしら。お気の毒よ」
「ほらほら、それが余計でしょう」
「はいはい。でもそうじゃないですかー? 今日の外回りも長引いたりして」

副社長。あの釣りきちおじさんか。
にこにこしてたけどなあ。お土産まで持ってきてくれて。
どうなんだろう……。
秘書が有能すぎて気が休まらないって。本末転倒だ。

「ね、ところで今日も何か作ってくれるの?」
「え? いえ、まだ考えてないです」
「そっか。もし作ったら私の分キープしててくれない?」
「は、はあ」
「吉永さんたら」

何だかあんな風に言われると今日も一品用意せざるを得ない、というか。
どうしようかな。本日のスイーツ。
ちょっと迷ったけど昨日の残りで簡単なカップケーキを焼くことにした。
マーブルや水玉などかわいい模様の紙の容器を昨日しこたま買い込んでいたので、それに生地を流し込んでオーブンでベーキング。
ナッツやベリー、ホイップした生クリームを別の器に添えてトレイにのせお出しする。

「かわいいわね」
「いい匂いするねえ。すぐそこで作ってもらえるのっていいねえ」
「クリームはケーキにつけてもいいし、コーヒーに浮かべてウィンナコーヒーにされてもいいですよ」
「おお、いいねえ」

意外と甘党な男2人。クリームをぼとりとコーヒーに落とした。
「いただきまっす」
「う〜〜ん、いい香り〜、癒される〜」
皆にこにこにこ……。出してよかったなと実感する瞬間だ。
大したものじゃないけどこれしかとりえがないし。
しかし。
もう少し時間をずらすなり配慮した方が良かったかもしれない(やっぱりKY?)。
横森さんが現れたのだ。

「あ、よろしかったらどうぞ」
カップケーキをすすめる私。
「コーヒー、でいいですか?」
立ち上がってくらっとした。

『ん?』

何か変だ。
天井がぐにゃっとしてる。

「へえ、また作ったの」
「は、はい」
「ねえ、今度教えてもらえない?」

うわ、挑発〜〜。
無論そのつもりで言ってるのじゃないのは私でも分かる。

「ええ」

ヘラヘラ口を半開きにするも、ひきつっていたかもしれない。
またまたしーんとする。
誰かなんかフォローしてくれよ、オイ。
緊迫した状況であるにもかかわらず……男共はケーキを口に運びコーヒーをすするし。

「子供にね、たまには手作りのもの作って食べさせたいの。市販のものだと不安じゃない」
「あは、そうですね」
「お上手なのよねえ。市川さんは何か免許お持ちなの?」
「い、いえ……」


『お子さんおいくつですか?』
何も知らなければそう切り替えしていただろう。KYでもなんでもいい。でも今はちょっと。出てこないっす。

そんな午後3時前。
勢いよくドアが開いた。
それはいつぞやのように、バァン、と。
私は背中を向けていたので、誰が入ってきたかわからない。

「か、会長?」

室長の驚きの表情。
あまりに露骨な驚きようにつられて後ろを振り返ると、なんと会長が立っていた。
予定じゃまだ雲の上……のはず。

「会長」
「会長、おかえりさない」

唖然とした顔を無理やり戻し、即効で立ち上がって頭を下げる面々。
私は驚いて突っ立っていた。

「これは土産だ。皆で分けなさい」

会長は相も変わらずクールな顔でさっとでかい紙袋を室長に差し出した。

「は、はい、ありがとうございます」

そしてすぐ横の横森さんを一瞥。
キッ。

『ひぃっ』

次に私だ。

「か、会長?」
マジで?

目が合ってどきっとした。

「来なさい」

「えっ」

ぐいっと手を引っ張られ、私はドアの外へ連れて行かれた。




えっえっえーー? てっ、手がーー。
こんなに強く手を握られてドキドキドキ……。
と私の乙女心が勝手に暴走するも、実際は物みたいに持っていかれて着いたのは懐かしの会長室……。
ドアが開くなり、こころなしヒンヤリ感じた。

「すまないが、一杯入れてもらえるか? 落ち着かないんだ」
「は、はい」

突然の寸劇に熱は一時的に引いたらしい。
挨拶する間もなく私はキッチンへ立った。

『エスプレッソでいいんだよね?』

ぱっと浮かんだのでそういうことにしてマシンを動かす。
出来上がって持っていくと会長は既に席についてPCを開けてるとこだった。

『ホントに会長か?』

これって本物だよな? 夕方着便に乗ってるはずが何故?
マジマジ見つめてしまうって……。

「お帰りなさいませ」

サーブするそのついでに今更ながらぺこっと頭を下げた。

「ああ、急ぎで悪いが何か出してもらえるか?」
「え?」

瞬間、こう返した。

「パンでもいいですか?」
「何でもいい。食事が合わなくて……いらいらするんだ」

『へ?』

不思議な空気に包まれる私。
食事が合わないって、出張先はアメリカだ。
あんたアメリカに住んでたんじゃないの?
パーティ続きで和食が恋しくなったって意味?
ごはんのほうがよかったかしらん??

1人(脳内)つっこみしつつ後ずさり。
キッチンに戻り、席に着いた。
いつものようにPC電源を入れて、ふと窓の外を見る。
何日ぶりだろう……。この景色。
じ〜〜んと胸が熱くなる。

ああ、やっと戻ってきた――…。

色々あった分感慨もひとしおで。
ぼ〜〜っと眺めていた。

パークハイアット。
摩天楼と呼ぶにはちと寂しいが、ビル群の中にそびえ立つパークタワーの高層階に陣取る、東京で1、2を争う人気ホテル。
あの日私が余計なこと言わなきゃいい記念になったのになあ……。

立ち上がったのに気づいてブログにアクセス。
タイトルが出て、画面表示しかけのところで私はそこにうつ伏せた。

そもそもこんなタイトルつけなきゃあ、店長も押しかけてなんてこなかったろう。
仕事だっつーのに調子乗ってきゃーきゃーやって。
実情はそんなモンじゃない。

あーあ、甘かった……。

一気に力が抜けていく。
何だか限界……。
発火したように体が熱い。


あーー、もうどうでもいいや。
世の中どんなカフェが流行ろうが私はここがいい。
この光の入り方、眺め、カウンター配列、道具の数々……完璧だ。
期間限定、私だけの空間。
私は私に与えられた仕事だけ頑張ればいい。
ご主人様はちょっと変だけど。
メシさえ与えておけば害はない。
せめてこのポジションだけは死守したい……。


あっという間に体を巡る熱、熱、熱。
どうやら旦那さんの車が熱かった(会話も含め)せいじゃないらしい……。
足の痛みが引いたと思ったらこれかよ。
脳細胞が沸騰してるんじゃないかって思うくらい尋常じゃない。


「……くん、市川くん―――…」


会長の声が霞の向こうでこだましてた。

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密室の恋 30

ああ、真っ白だ。
見渡してもただただ白いだけで出口なんてない。
歩こうにも体が動く感覚がない。
ただじっとしてるだけで……。
行けども行けどもって感じじゃない。
そのうち空間の一部がふわーっと膨らみ始めた。
次々連鎖して……。
押し寄せて圧迫感を感じたところで目が覚めた。


焦点が合わない。

『ここ、どこ?』

薄暗い……。

わからないまま体を起こした。

不意に声が。

「目が覚めたか」

視界が定まらない……ぼんやりしたままそちらを向く。

『誰?』

まるでドライアイスをたいてるような、霞がかったというか、えらく厳かなそんな雰囲気だったのだ。

見てるとそのうち目が慣れてきた。

「ん?」

やっとそれが見覚えのある人物だと気づく。

「会長?」

えーーーー?

どこここ〜〜?

見渡すがはじめて見る部屋だ。

無論会社じゃない。

よくよく見ると私がいるのはベッドの上。

つい自分で自分の体を確認した。

こういうシチュエーションの場合、十人中十人がとるであろうお決まりのパターン。私的には人生初だ。

会長はふっと微笑した。

「……君、39度近い熱出してたんだよ。だいぶ下がったようだが」

はっ、そうだったんだ! 私、キッチンで、PC見ようとして……。

「寝てるのかと思ったら。熱が高かったので医者に見せたんだ」
「す、すみません」
「季節性のウィルスだそうだ(要するに風邪)。先に言ってくれれば無理に頼んだりしなかったのに。足も痛めてるじゃないか」
「や、そんな」

足? もう痛くないし。回復はやっ! そんなことより……。ここはどこ〜? キョロキョロ落ち着かない私とは対照的に会長は1人がけのソファに腰掛け、オットマンに足を伸ばしてリラックスした様子……から足を下ろして座り直した。傍らのサイドテーブルにはノートPCがある。
よくみるとホテルっぽいじゃん、ここ。何でホテルなんかにいるの? それも何だかえらい高そうな……。ベッドはもうひとつ並んでる。会長はスーツ姿のまま。

「ここ、どこですか?」
「ふ、近所のホテルだよ。医務室のベッドに寝かせたままというわけにはいかんからな」

そう言って立ち上がって窓のカーテンをさーっと引いた。

「我が社が見えるな」

暗い……。窓の外。夜景は夜景でも随分明度の落ちた夜景だ。しかし。

「えっ」

うちの会社が向かいに見えるってことは。

『パークハイアット?』

……間違いない。その後ろには、絶対エンパイアステートぱくっただろうと誰もが突っ込みを入れたくなる超有名ドコモタワーが存在感をアピールしてる。

「な、なんでっ!?」

思わず叫んじまった。
会長はふっと笑った。

「私の常宿なんだよ。よく利用してるんだ」

はいーー? 初耳。なんちゅーリッチな暮らしなんだ。ここ、最低でも5、6万しない? アパートの一か月分の家賃ですよ。

「い、いま、何時ですか?」
「3時過ぎかな」

ちらっとPC見て会長は言った。

ちょ、3時過ぎー? 半日眠ってたのかよ? オイオイ、私〜、どうやってここまで来たの〜?

「喋れる位回復して何よりだ。まあゆっくりしてなさい」

ゆ、ゆっくりって。そういうわけにはいかないだろう。と、ベッドから立ち上がろうとした。

「気にしなくていいよ。別に部屋をとっているから。君はここで休んでなさい」
「えー、でも」
「今日は出社しなくていい。病状は白本君に伝えてある」

ドキ。だからどうやってここに運び込まれたんだろう。荷物は?

「あ、あの。でも。すみません、私のバッグは……」
「ああ」

会長はクローゼットの扉を開け中から私のバッグを取り出した。ロッカーにあった筈の私の服がバーに掛けてあり、ドキドキする。


「喉は渇いてないか?」
「え? は、はあ……」

そういえば……。下さいとも言えず無言の私に会長は冷蔵庫のペットボトルをコンソールの上のコップに注ぎ、差し出した。

「あ、ありがとうございます」

やだな、いつもの逆。照れつつごくっと喉に入れるとアイソトニック飲料だった。ゴクゴク体に染みていく。

「温かいものがよければそっちのポットに入ってるよ。ホットカルピスだそうだ」

ホットカルピス〜? らしくない飲み物だが。ホテルの人が持ってきたのか。
ナイトテーブルにコップを置いて、ふう、と一息ついた。


「そうそう、君にこれを渡そうと思って」

「?」振り向くと、会長は大きなショップ袋を手にしていて。
見るなり私は釘付けになった。
miumiuって……。

「私に、ですか?」
「泣かせてしまったから……。気になってたんだ」

そんな……! ときめく私。

「それに、君は何だか子供の手提げかばんのようなものを持っていただろう?」

い〜? チェックしてたの? 私のこのバッグを。
……こどものてさげかばんて。
PORTERで1万円以上したんですけど。この人から見るとその程度なのか? 確かにかわいげはないがせめて実用的と言って。
しかしドキドキして私は紙袋を開けた。とたんにふわ〜んといい匂いが鼻をくすぐる。

『わあ、かわいい』

Miu Miuってセカンドラインの割りにおばさんくさいよね〜とかつて言い放っていた私だったが。
前言完全撤回! ええ、貧乏人の僻みでございました! キルティングバッグ=おばさんくさいと決め付けていた私が間違っていましたとも!
シャーリングかわいいじゃないですか〜。フラップを留めるピカピカの金具。何といっても淡いカラーが素敵……。
これを、会長が選んでくれたの?
 
「こ、こんなの貰っちゃっていいんですか?」

会長は苦笑して頷いた。
すげー高そうなんですけど。これを通勤バッグにしろと?

「いつも世話になっているしね」
「そ、そんな」

世話って。それこそ子どもの手習いで出てきそうなメニューに過ぎないのに。
全くもって不思議……。この高評価はなんなんだ。

「ど、どうもありがとうございましたっ」

やっと立ち上がって私は頭を下げた。
しばし沈黙……。
ふっと、直接会長に聞かなければ……と思っていたこと。それを思い出して、顔を見上げた。

「あ、あの……。会長、1年後、アトランタに行かれるって聞いたんですけど」
「ああ、そうだが」

さらっと言われる。
その後私はどうすれば……?
続く言葉が途切れる。ドキドキしてうまくまとまらない。

「早く済ませたいんだがね。少しは早まりそうかな」

じゃ、1年じゃなくて?
もっと早い時期に行っちゃうの?

「君のお陰かな」

ん!?

「君には引き続き世話になるよ」
「えーーと、それは、どういう意味で」
「だからそのままさ。私の食事を作って欲しいんだ」
「えっ」

ちょっと待て……。

「アトランタでもね」

えーーー??


ドックン


まさにトムジェリのように波打つ心の臓。


『食事を作って欲しい』って。


それってうちの田舎じゃ男の人がプロポーズするときに使う台詞なんですけど?
『結婚しよう』に次ぐプロポーズの決まり文句だ。
(注 親戚の座談会における統計)

「食事のストレスが減るだけでこんなにスムーズに事が運ぶとは……。意外だった。今回も連れて行けばよかったと思ってね。あんなに食事がまずいと思ったことはなかったな」

ちょっと、収まれよ、心臓っ、てか、紛らわしい言い方するなーーー! 乙女心が爆走するじゃないのっ!

「アトランタなんてもっと……絶望的だからな。あきらめていたんだが助かったよ」
「え、あ、で、でも、アトランタってまさか……」
「ん? 君、パスポートは持ってないのか」

じゃなくって!

「わ、私も行くんですか?」
「そうだよ」

えーー!? 一体いつ決まったんだ? そうだよって、まさかの『選択肢なし』?
てか、アトランタってどこよ? 私、実は飛行機大の苦手……。帰省で利用したのだって一回きり。大学卒業旅行のグァムが最長レベル。そしてそれ以上耐えれそうにない。そんなやつなんですけどー?

「そ、そんな……」
「ないなら用意しておきなさい。その他の手続きは白本くんにでも聞いて」

信じられないんですけど。たかがちょろっとメシ出すくらいで。パスポートとっとけだぁ〜?

「でも、キ、キッチンとか、あるんですか? 向こうに」
「そんなものは標準装備だ」

は、そうですか。

「早めにね。次の出張は同行してもらうからな」
「えーー?」

信じられない。

「じゃ、じゃあ、秘書室のお仕事は」
「それは今回だけだな。私から伝えておく。私の出張は全部アメリカだ。今後それ以外で二日以上席を空けることはまずないから君もそのつもりでいて」
「は、はあ」

もうどう答えていいやら……。

『長時間フライトなんて無理です!』

何て言えそうにないこの空気……。どうしよう。

「ふ。ま、今日の分は仕方ないがね。ゆっくり休養とって明日からまた頼むよ」
「は、はい」

会長が横にちょっと動いたそのときだ。ふとPCの画面が目に入った。

「い〜〜!?」

私は思い切り叫んでいた。

『しあわせおひるごはん』て。

「ぎゃ〜〜、なにみてるんですかっ!!」

慌ててPCの脇へ駆け寄る。

「ん? ああ、君のPCついたままだったんで……。うまいこと考えるもんだね」
「ちょっ……」
「更新してあげたら? 皆心配してるよ」

うっ。
まさか、今までずっと見てたの? コレを? やめてくれーーー!!
顔から火が出た。マジで。
ああーー、バカバカ、私! PCなんか立ち上げるんじゃなかったぁーー!
慌てふためく私を前に会長はくすっと笑った。

「マヤもそのブログとやらをやってるよ。感心するね。私にはない発想だ」

ああ、そうかい。

……え?
マヤさんって。

い、生きてるの??

と、つい叫んでしまいそうになるのを必死でこらえる。

生きてるの?? ブロガー??

懸命に記憶を辿る。
えーーと、確か、事故に巻き込まれたって。
……事故に遭って、亡くなられた訳じゃなかったんだ。
私の早とちりかよ。
てか、それならそれで『事故に巻き込まれたけど助かった』くらい言ってくれ!
じゃなきゃ誰でも勘違いするって――…。

いや。
ちょっと待てい。
それじゃ、あのときの金縛りのアレの正体は?
確かに気配感じましたが?

ぞ〜〜〜〜。

私はソファにぺたんと座り込んだ。
こわいっ。何だったんだ、あれは。


「……ふふ、調子が戻ったかな? じゃ、私はこれで。時間は気にせず休んでなさい。薬はPCの横の袋の中だ」

会長はパタンと出て行った。


ポツン、とひとりきりになる。


「……何だ。この展開」


置いてけぼりかよ、オイ。


こんなホテルの部屋で。
ド真夜中に。
Miu Miuのバッグプレゼントしてくれて。
めがね外して。


『私の食事を作って欲しいんだ』


だと?
ときめいちゃったじゃないか、バカヤロー!

メシ、メシって。
私はメシタキ女ですかーー?

……ま、そうなんだけども。

お茶くみがいつの間にかそうなって。
アトランタまでついて来いですと??


「夢、か?」


PCはしっかりと私のブログを表示してやがる。
何気に最新コメントを見てみる。

『みなみんさん、よかったですね〜。おめでとうございます。いいなあ。お話聞きたいな』
byプシィさん

ん?
何事かと思って先(前か)を読むと……。

『お久しぶりです〜〜。kofiさん、お休みですか〜? 残念。私、実はヒロくんの実家にご挨拶がてらお泊りにいってきましたっ。来年あたりいいご報告できそうですっ。復活されてまた来ますねっ』 
byみなみんさん

え〜〜。そういえばご無沙汰だったなあ。それってそういうことだよね。wedding? いいなぁ……。

流れで他のコメントを読む。読む。読む……。

『こんにちは〜。お休みですか。何かあったのかなあ。待ってますね』
『気になります〜。早く出てきてくださいね』
『私もケーキ焼いたんですよーーってご報告しようと思ったらアララ。。。次楽しみにしてます』

ほっとする。色々あったけどそれ全部くるんでくれるような。りせっとしてくれるような。こんなほんのちょっとのことばで……。

これ見られちゃったわけ? 全部バレちゃった?
narsさんなんて呼んでるのも、食べてもらえたってはしゃいじゃってるのも。
どんな顔して見てたんだろう。やだもう。パスワード制にしようかな。
恥ずかしすぎる……。

『マヤもそのブログとやらをやってるよ』

って。
マヤさん、ご健在なんだ。
よかった……。
ブログなんて見るんだね。


ふっと窓の外を見た。
えっ、と目を凝らした。
雪?
ちらついていた。確かに。
まだ11月なんだけど。
室長の旦那さんのカンあたったんだ――…。

ああ、雪まで降ってこの部屋に1人きりとは。最高にもったいない……。
これがハリウッド映画とかなら、今頃二人窓際に寄り添ってこの雪を眺めてるんだろうに……。


……。何その妄想。
万が一そんなムーディな展開になってもらっちゃ私だって困る。
ぱんつユニク○だし……。


「ぷっ」

思わず吹き出した。


何なんだよ!
いきなり帰ってきたかと思えば。
『食事がまずい』だー?
便変更するほど我慢できんのか。

……まさか。
それで早く帰ってきたの?
本当に??

それって――…。

『母ちゃんのメシじゃないと食った気がせんのじゃ!』

って仕事場からわざわざ昼飯食べるために軽トラで家まで戻ってくる親戚のおじちゃんみたい!?

あの人、あんなにかっこいいのに。

母ちゃん(この場合は嫁さんの意味だが)のメシに餌付けされちゃった田舎のおっさんと同じかよ―――。

「やだー、もう、笑かすなっ!」

ああーー、ちくしょうっ。
久々笑いのツボにはまっちまって。
私は当分笑い転げていた。





ホテルでひとり過ごすのも中々いいものだ。
ゴージャスなバスルームでシャワー浴びてすっきり〜。
8時前には……朝食が運ばれてきて、びっくり。
さすがはプロ、のセッティングを間近にして、優雅〜にルームサービスのサンドをいただく。
サンドと言ってもコンビニで売ってるような形状のものではなく、スライスしたイングリッシュマフィンの上に生ハムやらチーズやらルッコラその他具が散らしてある豪勢な一皿だ。傍らにはエッグベネディクト。
食べててふと思った。

会長も同じものを食べてるのかな。

こんな高級ホテルの料理ばっか食ってるから舌が麻痺するんだよ。
だから私のなんちゃって手料理なんかが新鮮に思えちゃうの。
普通の人と反対だ。

……仕方ないよね、お母さんがいないんだもの。

男ばっかりの家で育って、どこか偏っちゃったんだよね?
弟思いのお兄さん。弟クンのこと語ってるときの苦しそうな表情が胸に痛い。

弟クンよ、今いずこ……。

食べ終えて私はオットマンにちょこんと腰掛けてぼーっとしていた。
人に入れてもらったコーヒーを飲みながら。
窓の外にはいつもの反対側の新宿の景色が広がって。
傍らにはPC。

アレ? この雰囲気って……会長室と似てないか?

1年後……。
こうしてアトランタの街並みを眺めてるんだろうか。
ピンとこないな。
でも。
この窓枠の風景がアトランタのそれになるだけで部屋の中の状況は今と変わらない気がする。
きっと。
アトランタだろうとどこだろうと。
例えあのドコモタワーが本物のエンパイアステートになろうとも。
あの人はあのまんま。
そしてそれを密かに愉しむ私がいて。
この距離感がいいんだよね。

ふふ。

問題は飛行機だ。乗りたくないなあ……。
試しに年末出雲便で帰省してみるか。
田舎の皆に話したら驚くだろうなあ。
母親に『あんた、いつ料理人になったの?』て不思議がられそうだ。
うちの父親も昼時に帰ってくるほどじゃないけど『母ちゃんの料理』に餌付けされてる口だったりする。

……早めに帰っておせちのおさらいでもしておこうか。

おふくろの味を知らないご主人様。
これ以上変な性格にならないよう私がしっかり食育してあげなくちゃ……。





お言葉に甘えて。
午後もホテルでまったり過ごした私。

おかげさまで次の日元気に出社する事ができたわけだが。
以後何とな〜く遠巻きに視線を感じるようになった。

その理由、つまり、いかにして私が会長室から連れ出されたか――…を第三者の口から聞かされたのは、随分後のことだった。

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